『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

若狭の民話

2008-11-24 17:36:14 | Weblog

   嫁おどしの面

 昔、十楽村に与三次という百姓が住んでいました。
 与三次は、妻のきよと二人の子供、それに母親の五人でつつましく暮らしていました。
 ところが、与三次はふとしたことから重い病にかかり、そのうえ、二人の子供にまで病がうつり、三人共つぎつぎと亡くなってしまいました。
後に残ったのは、きよと姑のおばぁさんと二人だけになりました。

 杖とも柱とも頼む夫に先立たれ、二人の子供までなくして、世をはかなんだきよは其のころ吉崎と言う所で教えを広めていた蓮如上人と言う名高いお坊さんの教えを聞きに行くようになりました。

 朝は朝星、夜は夕星を見て、田畑の仕事をやり、姑との暮らしを支えながら、毎晩、遠い道を歩いて、吉崎へと通いました。

 ところが、きよが熱心に吉崎へ参ればまいるほど、ばあさんは気にいらなかったのです。

 そこで、吉崎へ出かけようとするきよに、用事をいいつけて、邪魔をしたりしました。
 「寺参りばかりして、ちっとも自分のめんどうを見てくれん。」と近所中に嫁の悪口をいいふらしました。
それでもきよは、蓮如上人の教えを守り、姑を大切にしました。

 吉原には蓮如上人が山を切り開いて、立派な念仏道場を建て、多屋(たや)とよばれる宿泊所や食べ物屋に茶屋まで出来ました。
 お山全体を吉崎御坊と呼び、大変な賑わいでした。ばあさんがきよを憎んだのはきよも、賑わいに誘われ茶屋あたりで男と逢引でもしているものと、思うようになったのでした。

 だが、きよは、いくら悪口を言われても、口答えせず、いくらとめられても、吉崎参りをかかさなかったのです。

 とうとうばあさんは、どこからか探し出してきた鬼の面を持ち出し、
 「ふふん、これでおどろかしてやろう。いくら気の強い嫁でも、鬼が出れば恐ろしゅうなって、吉崎参りをやめるじゃろうて。」
 まもなく、きよが、何時ものように出かけて行くと、ばあさんは鬼の面をかぶり、死人の着る白いかたびらを着てなわの帯を巻くと、きよの後を付けて行きました。

 十楽から吉崎御坊へ行く途中に、小谷という所があり、そこは木が生い繁り、昼でも薄暗くて、気味の悪い所です。

 ばあさんは、先回りして小谷の杉の木立にかくれて、きよの来るのを待っていました。
 「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。」と念仏を唱えながら、嫁のきよがやって来ます。

 ばあさんは、木立からぱっと飛び出しました。髪を振り乱し、耳まで裂けよと大きく口をあけて叫びました。

 「母上の言うことを聞かぬやつは、容赦はせぬゾ。吉崎参りをやめると誓えばよし、誓わねば、ひと口に食べてしまうぞ。さぁ~どうじゃ。」

 ところが、きよは、立ち止まりもせず、いっそう声高く
 「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と、唱えながら御坊へ向かっていきます。
 「御坊へ、吉崎へは行ってはならぬと、母上が言うたでないか。御坊へ、いっては・・・」

 ばあさんは、夢中でさけびながら、きよを追いましたが、きよの念仏はますます早くなり足も速くなって、年寄りの足では、追いつけずに、見失ってしまいました。

 ばあさんは、仕方なく家に帰り、面を取ろうとすると、面は顔の皮膚にひっついてとれません。無理にはがそうとすると血が出てきました。これは困った。どうしよう、あわてふためいたばあさんは、やがて、べったりと座り込んでしまいました。きよが帰ってくるまでになんとかして面を取らなければと立ち上がろうとしましたが腰がぬけて立つこともできません。手や足もしびれてきました。

 きよが帰って来て、戸をあけると、そこには小谷であった鬼がいました。
 「あっ。」と立ちすくむきよに向かって、ばあさんは、
 「わしじゃわしじゃよ。」と大声で泣き叫びました。
 「どうなされましたェ、おっかさん。」
 ばあさんが、嫁のきよに許しをこうて訳を話すと、きよは一心に念仏を唱えました。
 「早ようお母さんも念仏を唱えてくだされ。」ときよにすすめられて、吉崎へお参りに行き、蓮如上人に一切の話をしました。そして上人に鬼の面をさしだしました。

 蓮如上人は、その面を末代までのあかしにと、願慶寺におさめました。

 その面は、今も、(肉ずきの面)とか(嫁おどしの面)と呼ばれ、願慶寺にあります。
        と言うことだそうです。

 

 今日はここまで・・・

 

 

 


越前若狭の民話

2008-11-20 20:05:04 | Weblog

 平家物語の途中です。が、只今民話に、はまっています。

     永平寺の五百羅漢

 今から4百年の昔、織田信長が日の本(日本)統一を押し進めていた時の話です。

 都の苛酷な政策に、生死をかけた一向一揆の火の手が北陸地方に上がりました。
一揆を知った信長は、兵を北陸に進めて、一向一揆を鎮め、最後に大本山永平寺を占拠するため何千と言う兵を差し向け、寺の明け渡しを要求しました。

 「ギィー」と山門が開き、中からしずかに禅師様が出てこられて、
 「仏の道を求めて修行する者に戦など無縁のもの。どうぞお引取りを。」と威厳をもって答えられました。が、それでも信長の家来は、頑として引き下がろうとはしませんでした。
しかたなく、禅師様は、
 「修行僧を寺から退出させますので、半日の猶予を下さらんか」と願われたので家来も半日待つことにしました。

 さっそくそのことを修行僧に告げましたが、修行僧達は誰一人立ち上がろうとはせず皆、仏様のおそばに仕える者、この寺に残り仏様を守りたいと言って動きませんでした。
禅師様は、ほとほと困り果てておられた時です。

 山門の外では、とても不思議なことがおこっておりました。旅支度をした修行僧が長い行列を作って、山門を下っていくのです。
その列は夕方になっても続き、先頭を行く僧は福井まで達していました。信長の家来達は、僧の数の多さに驚き、更に、合掌したままの姿で進み続ける彼らの姿に、御仏を見るようで心を打たれ、家来の中には合掌する者さえ出てきました。
信長も、とうとう寺の包囲をといて引き上げていきました。

 これは、永平寺を戦禍にまきこまないように、山門楼上に安置されている五百羅漢が、修行僧に身を変えて、寺を守ってくれたと伝えられています。

 

 これは、テストです。どうも、パソコンの調子が悪く思うようになりません。

 すぐ、消えてしまいます。今度は、どうでしょうか?
 

 


 民話

2008-11-14 15:16:55 | Weblog

 

      越前若狭の民話から

   永平寺の豆太鼓

 昔、意地の悪い姑と、おとなしく素直な嫁さんがおりました。
 嫁さんのする事は、何をやっても気に入らず、ことあるごとに嫁に辛く当たって、この姑の意地悪さは例えようもないほどでした。

 ある日嫁さんが畑に豆蒔きに行くことを知った姑は、こっそりと豆を生炒りにしておいて、嫁さんが出掛ける時にその豆を渡しました。
 嫁さんは、炒り豆だと知っていましたが、お母さんに文句一つ言えませんので、だまって毎日せっせと豆蒔きをしました。
でも、豆は一粒も芽を出しません。
 「お前の蒔き方が悪いから、一つも芽が出んではないか!」と
姑は毎日意地悪く嫁さんをののしっておりました。

 幾日かたったある朝、一粒だけ芽を出した豆がありました。きっと、一粒でもよいから芽を出しておくれと、願って蒔いた嫁さんの気持ちが通じたのでしょう。

 その豆はみるみる成長していきました。そして、見上げるような大木になって、数え切れないほどに豆がなりました。

 これを見た姑は、すっかり心を入れ替えて嫁いびりをしなくなり、二人仲良く暮らすようになりました。

 そして、その豆の木の幹を切って太鼓を作り、永平寺に寄進したそうです。

 その太鼓は、今でも永平寺の豆太鼓として寺宝になっている、とのことです。

 

 

 


立冬

2008-11-07 18:22:16 | Weblog

  

  雨に濡れた枯れ落ち葉が道路にべったりとくっつき、竹箒で掃いたくらいでは、到底取れるものではありません。

  庭の木の葉に「よそ様にご迷惑をかけてはいけません」といつも言い聞かせてはいます。が頷いてはいるものの、一向に効き目がなく、ひたすら枯れ葉集めのまいにちです。
おまけに、近くにある公園のプラタナスの大きい葉っぱまでが我が家に舞い込む始末。

 庭の主が、気の毒そうな顔で私に同情しながらも心の中で「ニヤッ」としているみたい・・・・

 あいも変わらず、タヌ君は私のツブヤキ相手ですが、時々裏切って知らん顔する術(すべ)を覚えたみたいで、なかなか「にっくき」やつです。

 我が家の庭の賑わいは、枯れ葉だけでなく、すずめとヒヨドリの楽園でもあるらしく、すずめたちは誰もいないのを見定めながら日がな一日餌をついばんでいます。

 ヒヨドリ、これがなかなかの曲者で、すずめたちが気付かずにいようものなら「キキッ」と鋭い鳴き声で牽制し二羽でゆうゆうとりんごをたべている(この鳥はりんごしかたべない)

 やがて、満たされたヒヨドリは優雅に飛び去って行きます。

 すると、すずめが生意気にも私に「早くお家にはいってよ」と喧しく喚きだす。(と言うのも、ヒヨドリは人がいても案外平気でたべています)

 あのすずめたちにも、都合があって臆病のせいでしょう餌はもらっても、人前では決して啄ばまない。
 「しょうがない今日はもうやめよう」
玄関に入ったとたん、どこかで見ていたのでしょう「ソレッ」とばかりに、数十羽が飛んできて先を争そって啄ばんでいます。何時もの光景ですが、思わず顔がほころんでしまう。

  冷たい立冬の風が吹いてきました。木の葉は一段と高く舞い飛んでいきました。

 

 

 

 

 


 小春日和

2008-11-06 21:48:43 | Weblog

 風もなく、珍しく穏やかな暖かい日です。

 随分と長い間、身体が言う事をきかず、抜け殻状態が続きましたが一ヶ月たってようやく自分に戻り今日は、元気溌溂!

 天気が良く身体がじっとしていません。朝早くから、まずカーテンを冬用にして、洗濯。それからは窓拭き、これが一番大変で随分時間がかかりましたけど、きれいになりホッと一息いれ、お茶です。

 夫は物置の片付けと洗車。 朝10時頃から始め、お昼は1時間、
家中の窓を開けハタキをかけ大掃除。最後は、路上の落ち葉集め・・・

 終わったのはもう4時でした。

風が冷たく、夜の帳が半分おりてきています。

久し振りに、思うように身体が動き大満足・・・

 ああぁ!よかった

 ちょっと時間が掛かったけど、まだ身体が動くんだと嬉しくなりましたよ・・・