この9月半ば、小倉百人一首の全百首を漢詩に翻訳した『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』(文芸社)の出版に漕ぎつけた。その最後の原稿を仕上げ、ホッとした折に、思い浮かんだ“心象風景”を詠んだのが下記の漢詩である。
同書の表紙は、藤原定家が百人一首を撰したとされる庵迹が遺る、京都嵯峨野・小倉山の麓にある古刹・二尊院庭園の盛秋の一風景です。「紅葉の馬場」とも呼ばれる名所の一場面で、非常に印象的な一葉です。書店にお越しの折には、是非手に取って見てください。
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井中瘦蛙 井中の瘦蛙 [上平声十二文韻]
古池漲暁氛, 古池 漲(ミナギ)る暁氛(ギョウフン),
面静映孤雲。 水面 静かにして孤雲を映ず。
奇声蛙跳入, 奇声を残して 蛙 池に跳び入り,
井蛙想波紋。 井中の蛙 波紋を想う。
註] 〇井中:池の水中; 〇瘦蛙:痩せた蛙; 〇暁氛:暁に感じる清気;
〇波紋:池などに、物が落ちたとき、水面に幾重にも輪を描いて広がる波の模様。
<現代語訳>
井中の瘦せガエル
森の中にある古い池、暁の清気が漲っており、
水面は平らかにして、青空に浮く孤雲を映している。
ピョトンと妙な音を残して、一匹の蛙が池に飛び込んでいった、
池に潜った蛙は水面に広がる波紋を思っている。
<簡体字およびピンイン>
井中瘦蛙 Jǐng zhōng shòu wā
古池涨晓氛, Gǔ chí zhǎng xiǎo fēn,
面静映孤云。 miàn jìng yìng gū yún.
奇声蛙跳入, Qí shēng wā tiào rù,
井蛙想波纹。 jǐng wā xiǎng bō wén.
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先ず頭を過ぎったのは、芭蕉翁の「古池や……」の俳句でした。それに尾鰭が付いて、出来たのは次の歌であり、この翻訳が上掲の漢詩である。
古池や 蛙(カワズ)飛び込む 水の音
水の環(ワ)思う 井中(イナカ)の蛙
(大意) 瘦せ蛙が 古池にピョトンと飛び込んで 水中で、水面の環の広がりは
ドナイナモンヤロカ と思いを巡らしている。
註] 〇上の句:松尾芭蕉の俳句; 〇瘦せ蛙:小林一茶の俳句、「瘦(ヤ)せガエル
負けるな一茶 是にあり」から; 〇井蛙:井の中の蛙大海を知らず、
『荘子・秋水』:「井蛙(セイア)には以て海を語るべからざるは、虚に拘(カカ)わればなり」
(意::井戸の中の蛙には、海のことを話してもわからない。それは蛙が
狭い環境にとらわれているからである。)
『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』として、世に出すことができましたが、紙幅の関係で同書では十分に触れることが出来なかった点、読者の参考に資すべく、此処で2,3付記しておきたいと思います。ここでは、以下 “和歌は”、“歌”と略記します。
百人一首を漢詩に、という発想は、かねて両者に対し親しみを感じていたことから、自らの漢詩表現能力を高めるための一方策として取り組んだのである。しかし生易しい仕事ではないことに気づき、何度か放棄を考えた。“意地”で進めた面が強い。
最も大きな難題は、600年の長いスパンにおける歌風の変遷にある。実感を率直に詠う万葉調から、幽玄・有心等を説く俊成・定家の歌風、その変遷を漢詩に反映させ得るか?後者の歌を、所謂、“直訳”したのでは味気なく、まさに「非拠達磨歌(ヨリドコロノナイダルマウタ)」の類の詩となるであろう。
これと関連して、『万葉集』の元歌が『新古今集』で採録された時点で、新歌風の歌に替わっており、それへの対処は如何?これらの課題についての考え方などは、その道の熟達者の方向付けを俟ちたい。
さて、中国文学の泰斗吉川幸次郎氏は、
- 中国文学のメインテーマは『詩経』から魯迅まで政治、
- 日本文学は『万葉集』から谷崎潤一郎までラブロマンス
との見解を述べられた旨、ある記事で読んだことがある。残念ながら、筆者は未だその原著には当っていない。
詠う主題・内容ばかりでなく、表現技法等々を含め、漢詩は“固い、hard”、対して和歌は“柔らか、soft”との印象を持っていたが、吉川幸次郎氏の見解に照らして納得できるように思われる。歌の漢詩化とは、“soft”な歌を“hard”な漢詩に表現することに他ならず、その難問に直面して進める作業であった。
勿論、晩唐・李商隠に見るように、艶のある“soft”な漢詩はあります。但し豊富な語彙、表現技能ともに優れた詩人なればこその作品に違いない。常人のなせる業ではなく、ここでは思考停止の上、回り道して、先に進むことにした。
一つの対処策の回り道として、「歌作者の思い」を片言で表現できると思える、現代に通用されている熟語や成語をも敢えて活用することとした。‘掟破り’の方策であるが。結果、「候う文」と「です・ます調文」の混在する句となったことは否めないであろう。拙書の漢詩を鑑賞する際、是非心に留めて頂きたい一点である。
古典の歌について、翻訳上、今ひとつ直面した課題に、序詞(ジョコトバ)、掛詞(カケコトバ)、枕詞(マクラコトバ)などの技法の存在がある。これらの詞を用いた歌は、必ずしも多くはないが、歌を成り立たせる重要な表現技法であり、拙書では漢詩表現の中に、次の様な形で活かすよう心掛けた。
序詞については、絶句の話題提示部である起・承句として活かすようにした。掛詞は、例えば、「松/待つ」の場合、それぞれの語意を含む、二つの“物語”を語る詩として読み込むよう心掛けた。枕詞については、枕詞本来の語意あるいは生まれた経緯を活かし、且つ詩の雰囲気に合うと思える語を選んだ。
技法はさておき、翻訳に当たって最も意を注いだ点は、歌の作者の想い、“歌のこころ”を汲み取り漢詩に反映させるという点にあった。書名を『こころの詩……』と銘打った所以であるが、如何ほど達成できたかは心もとない限りではある。
拙書では、歌の翻訳漢詩と言うばかりでなく、万葉~鎌倉時代に至るほゝ600年に及ぶ歌及び歌を育んだ時代背景や環境、特に、皇族や藤原摂関体制の推移にも紙幅を割いた。歴史の流れの中で、百人一首を通読、鑑賞した時、新たな発見があるように思える。
古より綿綿として読まれてきた本邦の古典、“文化の華”と言える百人一首の“歌”を外語に翻訳し、日本文化を海外に紹介する一助となれば という大それた、“秘かな思い”は、趣味の域を遥かに超えた課題ではある。切にその道の達人の研究進展に俟つ所以である。上掲の詩の結句、“井蛙想波纹”の真意はそこにあります。