愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 308 飛蓬-164  今朝みれば 山も霞て…… 三代将軍源実朝

2022-12-19 09:55:06 | 漢詩を読む

『金槐和歌集』の巻頭を飾る一首である。霞は春の象徴で、野や里はもちろん山にも霞が掛かっている と新しい春を迎えた喜びを感慨深く詠っています。勅撰和歌集の配列に従って、春の到来を告げる本歌を集の冒頭に置いています。

 

この歌を取り上げるには、時期的に少々早いですが、安寧の佳き新年を迎えられますよう祈念の意を込めて、実朝の春到来の歌を鑑賞します。 

 

  (詞書) 正月一日 詠む 

今朝みれば 山も霞(カスミ)て 久方の 

   天の原より 春は来にけり    (金槐和歌集  春・1) 

  註] 〇久方の:天に関わる語にかかる枕詞。

 (大意) 元旦の今朝、眺めてみると空も山も霞がかかっている。春は大空からやってきたのだなあ。 

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<漢詩> 

 元旦 詠      元旦に詠む     [上平声十一真韻]

盈盈淑氣入佳辰, 盈盈(エイエイ)たり 淑気(シュクキ) 佳辰(カシン)に入る, 

知是今朝万象新。 知る是(コレ) 今朝 万象(バンショウ)新たなるを。 

一望瑞霞滿山面, 一望すれば瑞霞(ズイカ) 山面に滿つ, 

從天空到翠煙春。 翠煙の春は 天空從(ヨ)り到るか。 

 註] 〇盈盈:気の立ち上るさま; 〇淑氣:新春のめでたく和やかな雰囲気; 

    〇佳辰:佳き時; 〇翠煙:青みを帯びた水蒸気、もや。

<現代語訳> 

 元旦に詠む 

新春の和やかな気が満ちて 良き時節を迎えた、

今朝 すべての事柄が装いを新たにしている。

山を望めば 春霞が一面に棚引いており、

青みを帯びた霞の春は 天空からやってきたのだ。 

<簡体字およびピンイン> 

   元旦 咏         Yuándàn yǒng   

盈盈淑气入佳辰, Yíng yíng shū qì rù jiā chén,  

知是今朝万象新。 zhī shì jīnzhāo wànxiàng xīn.  

一望瑞霞满山面, Yīwàng ruì xiá mǎn shān miàn,  

从天空到翠烟春。 cóng tiānkōng dào cuì yān chūn

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実朝は、1205年に『新古今集』を入手しており、その翌年(15歳)から本格的に和歌を作り始めたとされています。『新古今集』の巻頭歌は、摂政太政大臣藤原良経(ヨシツネ) (1169~1206)の次の歌である:

 

み吉野は 山もかすみて 白雪の 

 ふりにし里に 春はきにけり (摂政太政大臣藤原良経『新古今和歌集』 春・1)

  (大意) 吉野の山も霞んでおり、これまで雪が降っていた吉野の里にも 春がきたのだなあ。

 

掲題歌と良経の歌とを対比した時、後者の「…… 山もかすみて …… 春はきにけり」の部分を借りていることがわかります。掲題歌は、良経の歌を“本歌”とした“本歌取り”の歌と言える。このような作歌法は、実朝の作歌の大きな特徴の一つである。同様の例は、先に読んだ「もののふの……」でもみられた(閑話休題299)。

 

『新古今集』の巻頭・良経の歌を“本歌取り”とした自らの歌を『金塊集』の巻頭に置いた事実は、『新古今集』に対する実朝の並々ならぬ傾倒ぶりを物語っていよう。実朝の歌を鑑賞するに当たって、大いに参考となるように思われる。 

 

なお、藤原良経は、官位ばかりか、和歌、漢詩、書道、……と、万能の才の持ち主で、『新古今集』の仮名序も書いている。後鳥羽上皇(在位1183~1198)は、「……あまりに佳い歌が多く、平凡な歌がないことが良経の欠点だ」と漏らすほどの歌詠みである。

 

良経の歌は『百人一首』にも取り上げられている(91番、下記)。この歌の背景および漢詩訳は、拙著『こころの詩(うた) 漢詩で詠む百人一首』(文芸社、2022.09刊)をご参照下さい。

 

91番 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 

      衣かたしき ひとりかも寝む (『新古今和歌集』 秋下・518) 

 

歌人・源実朝の誕生 (5)  

 

1213(建歴三)年(実朝22歳)、元旦、鶴岡八幡宮参拝、法華経供養に始まり、恒例の諸行事が執り行われた。正月22~26日にかけて、北条義時、時房らの供揃えで二所詣を実施、当回の二所詣では、夕刻から俄かに降り出した激しい風雨に難渋したようである。 

 

2月1日には御所で「梅花万春を契る」の題で歌会が催され、平穏裏に年が進むかに見えた。しかし5月初め、和田義盛の合戦が勃発、一時、鎌倉は大混乱に陥っている。焼失した御所が新築され、実朝が移転したのは8月末であった。そんな中、7月7日、大江広元邸で、義時、泰時らが加わり、歌会が実施されている。

 

8月17日、藤原定家から、飛鳥井雅経を介して、和歌に関する書物が献上されたようであるが、詳細は不明である。11月23日には、やはり雅経を介して、定家から相伝の私本『万葉集』が献上されている。実朝は、「何物にも勝る重宝である」と喜ばれている。

 

『万葉集』の献上に当たっては、心改まる裏話がある。定家は、自分のある所領で地頭による不法な収奪に遭っていて、世上に疎く、人知れず悩んでいた。そんな折、鎌倉の大江広元から「何か手助けできることがあるなら……」と書状を貰った。

 

定家は、農民への気遣いから、これ幸いと 実情を広元に報せた。結果、直ちに所領の件、不法停止の処置が採られた。一方、定家は、かねて雅経を介して、実朝が『万葉集』を欲しがっていることを聞いていた。そこで、定家は、所領の一件 解決への返しとして、相伝の『万葉集』を実朝に献上した と。和歌を巡る一佳話として記されている。

 

この年、特筆すべきは、定家の許で『金塊和歌集』編纂が終了したことである。すなわち、いわゆる定家所伝の同集の奥書に“建歴三年十二月十八日”とある と。これまでに実朝から定家の元に届けられた和歌663首が収められている。

 

『金塊和歌集』には、2系列の伝本があり、定家所伝の通称『定家本(テイカボン)』、今一つは『貞享(ジョウキョウ)四年板本』、通称『貞享本』で実朝の歌716首が収められている。『金塊集』については稿を改めます。 

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