今年第二陣の乳燕(コツバメ)の巣立ちを目撃した(下写真)。その巣は今年設えた新しい巣のようです。その隣では、第一陣が5月下旬に巣立っていったが、その巣は2階建てを思わせる造りで、黄白地の古巣に下写真に見るような黒緑色地の縁取りが追加された巣でした。
何れの巣でも、五羽が誕生、写真の巣では、1,2 (?)羽がすでに巣立った後でした。“ツバメだけは、古巣を忘れず、貧乏な我が家にまた帰ってくるよ“と詠った于濆(ウ フン)《事に感ず》を反芻しながら、劉禹錫(リュウ ウシャク)《烏衣巷》の韻を借りて作詩を試みました。
乳燕 ’22.07.21 撮影
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次韻 劉禹錫《烏衣巷》 劉禹錫《烏衣巷》に次韻
喜燕出飛第二陣 燕の出飛(シュッピ)第二陣を喜ぶ [下平声六麻韻]
院中莫莫繡球花、 院中 莫莫(バクバク)たる繡球花(アジサイノハナ)
淫雨潇潇潤朵斜。 淫雨(インウ) 潇潇(ショウショウ)として潤(ウル)おう朵(エダ) 斜(ナナ)めなり。
昊天万里出飛燕, 昊天(コウテン) 万里 出飛せし燕,
要学旅遊亦復家。 学ぶ要(ベキ)か 旅遊(リョユウ) 亦家に復(カエ)るを。
註] 〇出飛:小鳥が巣立つこと; 〇第二陣:第1陣は春期5月に巣立ち、7月に
巣立った乳燕(コツバメ); 〇莫莫:盛んに茂るさま; 〇繡球花:アジサイの花;
〇淫雨:長雨、梅雨; 〇潇潇:小雨がそぼ降るさま、しとしとと;
〇朵:花のついた枝; 〇昊天:大空。
<現代語訳>
庭のアジサイが満開に花開いているが、
梅雨時、しとしとと降る雨に濡れて、枝が撓垂(シナダ)れている。
大空めがけて万里、第2陣の乳燕が巣立っていった、
学ぶべきか、燕は旅に遊んでも、貧しい家に又帰ってくることを。
<簡体字およびピンイン>
次韵刘禹锡《乌衣巷》 Cìyùn LiúYǔxī “wū yī xiàng”
喜燕出飞第二阵 Xǐ yàn chū fēi dì èr zhèn
院中莫莫绣球花, Yuàn zhōng mò mò xiùqiú huā,
淫雨潇潇润朵斜。 yínyǔ xiāo xiāo rùn duǒ xiá*.
昊天万里出飞燕, Hào tiān wàn lǐ chū fēi yàn,
要学旅游亦复家。 yào xué lǚyóu yì fù jiā.
*韻の関係でここではxiáと発音する。
oooooooooooooo
<劉禹錫の詩>
烏衣巷 [下平声六麻韻]
朱雀橋辺野草花、 朱雀橋(スジャクキョウ)辺(ヘン) 野草の花、
烏衣巷口夕陽斜。 烏衣巷(ウイコウ)口(コウ) 夕陽(セキヨウ)斜(ナナ)めなり。
旧時王謝堂前燕、 旧時 王謝(オウシャ)堂前の燕、
飛入尋常百姓家。 飛んで入る尋常(ジンジョウ)百姓(ヒャクセイ)の家。
註] 〇烏衣巷:江蘇省南京市が健康と呼ばれた昔、秦淮河の南の辺りにあった街の
名。東晋の頃、此処には王氏、謝氏などの大貴族の邸宅が立ち並んでいた;
〇朱雀橋:烏衣巷の入り口。秦淮河に掛かり、朱雀門の前にあった橋;
〇堂前:建物の中央の広間; 〇尋常:ありふれた; 〇百姓:“ヒャクセイ”と
読む、庶民。
<現代語訳>
烏衣巷
朱雀橋のほとりには野の草花が咲き、
烏衣巷の街の入り口には、夕陽が斜めにさしている。
昔、大貴族の屋敷に巣をかけたツバメが、
今ではありふれた庶民の家の軒に飛び込んでゆく。
[石川忠久監修 『新漢詩紀行ガイド』 NHK, 2010に拠る]
<簡体字およびピンイン>
乌衣巷 Wū yī xiàng
朱雀桥辺野草花、 Zhūquè qiáo biān yě cǎo huā,
乌衣巷口夕阳斜*。 wūyī xiàng kǒu xī yáng xiá*.
旧时王谢堂前燕、 Jiù shí wáng xiè táng qián yàn,
飞入寻常百姓家。 fēi rù xún cháng bǎi xìng jiā.
*韻の関係でここではxiáと発音する。
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劉禹錫(772~842)は、中唐の詩人。793年進士。《烏衣巷》は、禹錫が和州(現安徽省和県)刺史の任にあった時期に作った「金陵五題」の一首。「烏衣巷」とは、建康(現南京市)を貫く川・秦淮河の南にあった街路。六朝時代、東晋の王氏や謝氏など名族が住んでいた。
唐の時代になると、古都はさびれ、かっての栄華は見る影もなく、目に入るのは野の花、夕陽、そしてツバメが巣を造るのは、今は庶民の家である と。禹錫の詩風はさりげない表現の中に深い含意を込めるのが特色であるとされる。その作風がよく出た詩と言えよう。
白楽天は、“子供に背かれた” と嘆いている劉(リュウ)爺さんに、“爺さんだって若い時 親に背いたではないか……” と、ツバメの巣立ちの情景を譬え話にして諭し、慰めています(白楽天:《燕の詩 劉叟に示す》)。このようにツバメは、人の世の姿を訴えるのに格好な小鳥のようである。
筆者は、現在の日本国情に思いを馳せつゝ、自ら反省の念を込めて、《烏衣巷》に次韻する詩を練りました。すなわち、人口の東京一極(または都会への)集中、地方、特に農村での人口減による疲弊、食料自給率の低下等々。大きな政治課題でありながら、最近、“地方創生”の掛け声を聞くことはなくなった。
6、70年代以降、“工業、科学技術立国、米欧に追いつけ、追い越せ”のスローガンを胸に、“高度成長期”を経て、遂には“Japan as No. one (Ezra F. Vogel 著)”に至った。筆者もその流れの中で“一駒”として役割を担ったことになる。働き手は異郷に住み着き、“古巣”に帰る時期を失して、「ツバメに学ぶべきか」と反省しきりなのである。
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