愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 222 飛蓬-129 小倉百人一首:(道因法師)思いわび 

2021-08-09 09:03:38 | 漢詩を読む
(82番) 思いわび さても命は あるものを 
       憂きにたへぬは 涙なりけり 
             道因法師(『千載和歌集』恋三・817) 
<訳> 思い通りにならない恋で嘆き哀しんでいるが、それでも命は長らえているのに、つらさで耐えきれないのは、こぼれ落ちてくる涙であるのだなあ。(板野博行)

ooooooooooooooo 
昔、命を懸けても…と心底恋した人からつれない仕打ち受け、その嘆きは未だに消えることがない。それでも猶、命は長らえているが、涙は憂いに耐え切れず、ひとりでに溢れ出てくるのだ。 

失恋を嘆く何の技巧もない、単純な歌に見えて、かなり意味深に思える歌ではある。胸の内に“歎き”を秘めつつ、器(身体)である“命”は生き長らえているが、ただ水分の“涙”が、耐え切れずに“ひとりでに”溢れ出ていると。“涙“を擬人化した表現の歌に思える。 

このような意味合いを念頭に漢詩化に挑みました。歌の作者は、道因法師(1090~1182 ?)、俗名は藤原敦頼(アツヨリ)。70歳台から作歌活動が活発となり、83歳を過ぎて出家した。没年は不詳である。五言絶句の漢詩としました。 

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<漢字原文および読み下し文>  [去声七遇韻] 
 未滅的昔日嘆  未だ滅(キエ)ぬ昔日(セキジツ)の嘆  
無情前日嘆, 無情たり前日の嘆,
猶命年光度。 猶(ナオ)命(イノチ) は年光(ネンコウ)を度(ワタ)る。 
惟有流溢泪, 惟(タ)だ流溢(リュウイツ)する泪(ナミダ)有り, 
憂愁经不住。 憂愁(ユウシュウ)に经(ヘ)るを住(トド)めず。 
 註] 
  前日:むかし、以前。    年光:年月、歳月。 
  度:過ごす、暮らす。    流溢:あふれて流れ出す。 
  经不住:(試練などに)耐えられない。 

<現代語訳> 
 未だに消えぬ昔の嘆き 
むかし、つれない仕打ちを受けた嘆きが今も消えない、 
それでもなお我が命は長らえて、今生を過ごしている。 
ただ止め処無くあふれ出る涙があり、 
涙は憂いに耐えきれないのだ。 

<簡体字およびピンイン> 
 未灭的昔日叹 Wèi miè de xīrì tàn 
无情前日叹, Wú qíng qiánrì tàn,  
犹命年光度。 yóu mìng niánguāng . 
惟有流溢泪, Wéi yǒu liúyì lèi,  
忧愁经不住。 yōuchóu jīng bù zhù. 
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敦頼は、藤原北家・藤原高藤(838~900)の末裔。治部丞清隆の息子。若いころの事績は不明である。官位は従五位上・右馬助に至る。80歳を過ぎて出家した目的は、仏道修行や隠棲のためではなく、雑事を離れて歌に専念したいためであったらしい。 

歌への執心は、出家以前から一方ならず、また七、八十歳になっても、歌の上達を願って、歌神として信仰されていた大阪の住吉大社にわざわざ徒歩で、毎月参詣していたという。また歌会でも、講師の席近くに陣取って、歌の講評に熱心に聞き入っていたと。 

歌壇での活動は晩年に活発となるが、俊恵(85番)主催の歌人集団である歌林苑の会員の一人で、俊成(1114~1204、83番)などと交流があった。1160~81年にかけて開催された主要な歌合せに参加、出詠している。参考までに列挙すると: 

「太皇太后宮大新進清輔歌合」(1160)、「左衛門督実国歌合」(1170)、「右大臣兼実歌合」(1175,1179)、「別雷社歌合」(1178)等。また自らも「住吉社歌合」(1170)や「広田社歌合」(1172)などの社頭歌合せを奉納、勧進している。 

1172年、藤原清輔(1104~1177、84番)主催の「暮春白河尚歯会和歌」に参加、その折、「散位敦頼八十三歳」の記録があり、その後まもなく出家したと考えられている。なお、“散位”とは、律令制で位階だけで官職のないこと、また、その人をいう。 

当歌は、先述したように、何ら技巧や工夫なく単純に見えて、実は“涙”を擬人化して表現する技術が隠されているように思われる。その隠れた味が、俊成や定家の革新的な歌風に一脈通じるところがあって、定家によって百人一首に撰ばれた と愚行する。 

敦頼の没後に編纂された『千載和歌集』(俊成撰、1183年成立)には敦頼の歌20首入集されている。それに関連して、歌に対する敦頼の執心深さに纏わる逸話が語られている。俊成は当初18首撰進していた。 

そこで敦頼は、俊成の夢に現れて、18首もの歌を撰んでくれた と涙を流して喜び、お礼を述べたと。俊成は、敦頼の歌に対するひた向きさを意に留めて2首追加して20首にしたと。なお当歌はその20首のうちの一首である。 『千載和歌集』(20首)以下の勅撰和歌集に41首入集。選集『現存集』(散逸)がある。 

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