愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 307 書籍-17 故郷-4 クック山麓にて故郷回顧

2022-12-18 10:07:49 | 漢詩を読む

 在庫克山脚 回顧故郷       [去声十八嘯韻] 

  庫克山脚(クック山の麓)にて 故郷を回顧す 

深夜朦朧庫山嶠,

 深夜(ヨフケ) 朦朧(モウロウ)たり庫(クック)山の嶠(ミネ)、  

南十字架何処照。

 南十字架(ミナミジュウジセイ)は何処にて照(カガヤ)けるか。  

蓬莱南島甘蔗地,

 蓬莱(ホウライ)南島 甘蔗(カンシャ)の地(ハタケ)、 

躺臥蝎星光閃耀。

 躺臥(トウガ)す蝎星(シエシン) 光 閃耀(センヨウ)たり。  

 註] ○庫山:豪州のアオラギクック山; 〇嶠:嶺; 〇蓬莱:此処では  

 日本の意; 〇甘蔗地:サトウキビの畑; 〇躺臥:寝そべる、横になる; 

 ○蝎星:さそり座(天蝎座)の星々; 〇閃耀:きらきら光る。 

 ※転句と結句は、一小学生の句:「さそり座が大きくねそべるきびばたけ」

 に拠る。  

<現代語訳> 

 夜更け宿の外に出て四方を眺望するとクック山の峰がぼんやりと見えた、天空に南十字星を求めたが、何処で輝いているのか、探し当てることができず。サトウキビ畑が広がる蓬莱の南の島の夜空へと 思いは馳せた、畑の上空 南の空にはさそり座が横たわり、星々がきらきらと輝いていた。 

<簡体字表記>  

 在库克山脚 回顾故乡  

深夜朦胧庫山峤,南十字架何处照。

蓬莱南岛甘蔗地,躺卧蝎星光闪耀。

 

<記>

 NZ旅行の目的の一つに、 “南十字星”を目にすることがあったが、目的を達成できず。残念な思いに駆られて、想像は故郷・蓬莱の島の星空に馳せていた。

 小学生の頃の孫娘が発表した俳句に触発されて書いた漢詩である。 

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閑話休題 306  書籍-16  故郷-3  南島 真夏の夢

2022-12-15 10:05:17 | 漢詩を読む

   次韻蘇軾《夜泛西湖 五絶 其四》

      南島 盛夏の夜の夢        [下平声七陽韻]

深深天際太洋茫、

  深深(センセン)たり天際(テンサイ) 太洋 茫(ボウ)たり、

爍爍波浪海灘香。

  爍爍(シャクシャク)として波揺れて、海灘(カイタン)香(カン)ばし。

豈海潮無覚心跳、

  豈(アニ) 海潮(カイチョウ)に 心跳(シンチョウ)を覚えざらんか、

遺思佳麗映月光。

  思いを遺(ノコ)す佳麗(カレイ) 月光に映(エイ)ず。

 註] 〇深深:奥深いさま; 〇天際:空の果て、水平線; 〇茫:広々として果てしないさま; 〇爍爍:明るく照り輝くさま; 〇海灘:磯,波打ち際; 〇豈:どうして……か; 〇海潮:潮騒(シオサイ)、潮の満ちて来るときに、波の騒ぎ立つ音; 〇心跳:心のときめき; 〇遺思:思いを遺す、名残の尽きないこと; ○佳麗:美しい女性。 

<現代語訳>

 南島 真夏の夜の夢 

水平線は遥か奥深く 眼前には太平洋の大海原が果てしなく広がり、揺れる波 月光を反射してキラキラと輝き、海辺には香ばしい磯の香りが漂う。潮騒(シオサイ)の音を聞くにつけ、どうして胸のときめきを覚えないでおこうか、想いを遺す美しい人の影が月光に映えて佇んでいる。 

<簡体字表記> 

   南岛盛夏夜梦  

深深天际太洋茫、烁烁波浪海滩香。

岂海潮觉心跳、遗思佳丽映月光。

 

<記> 

太平洋に面して泛ぶ南の小島、入江の縁には真っ白な砂浜が広がる。沖に目を遣れば、洋洋たる大海の遥か遠く、空の碧と海の蒼が溶け合い、曖昧な水平線に戸惑いを覚えるほどに奥深い。渚に立てば、そよ風が磯の香りを運んできてくれます。

 

干潮時には入り江の干潟に千鳥の群れが餌を啄み、此処かしこでシオマネキ蟹が手を振り、潮を招いているようだ。潮が満ちると、渚が砂浜に大きく孤を描いて伸び、波が寄せては返している。やがて陽が沈み、月光が輝くと、一面ロマンの雰囲気に包まれる。 

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閑話休題 305 飛蓬-163  玉くしげ 箱根のみ湖…… 三代将軍源実朝

2022-12-12 09:35:36 | 漢詩を読む

今回話題にする源実朝の歌(下記)は、二所詣(ニショウモウデ)の折に詠まれたもので、東国方言を詠みこむなどユーモラスな面があるかと思えば、ウン?と、一瞬、考え込ませる面もある歌である。本歌がいつの二所詣での作かは定かではない。詞書から推して、最初の二所詣の機会ではないことは確かである。

 

oooooooooo

  (詞書) 又のとし二所へまいりたりし時 箱根のみず海を見てよみ侍る歌 

玉くしげ 箱根のみ湖(ウミ)」 けゝれあれや

  二国(フタクニ)かけて 中にたゆたふ  (源実朝 金槐和歌集・雑・638) 

    註] 〇けゝれ:当時の東国の方言で、“こころ”。

 (大意) 箱根のこの湖は 心を持っているかのようである。相模と駿河の二国の間に 

  横たわって ゆらゆらと波が揺れ動いている。 

xxxxxxxxxxx

<漢詩> 

 箱根湖所感   箱根の湖についての所感  [上平声七虞韻]

水光瀲灔乎, 水光 瀲灔(レンエン)乎(コ)たり,

玉匣箱根湖。 玉匣(ギョクコウ)箱根の湖(ウミ)。

疑是有情緒, 疑うらくは是(コ)れ情緒(ココロ)有るかと,

動揺相駿紆。 相・駿 (ソウ・シュン)双国に紆(マトワ)りて、動揺 (ユレウゴ)いており。

 註] 〇箱根湖:箱根山上にある“芦ノ湖”; 〇瀲灔:水が揺れて光きらめくさま; 

  〇玉匣:美しい小箱、“匣”は四角で蓋のある小型のはこ、ここでは“箱根”の枕詞で、 

  特に訳すべき意味はない; 〇動揺:たゆとう、ゆれる、動揺する; 

  〇相駿:相模(サガミ)の国と駿河(スルガ)の国; 〇紆:掛ける、まとわりつく。 

<現代語訳> 

 芦ノ湖についての所感 

湖面の水波が揺れてきらきらと輝いており、

何とも美しい芦ノ湖だよ。

芦ノ湖には 人と同じように “こころ”があるのであろうか、

相模・駿河の両国に跨がり ともに思いを寄せて こころが揺れているかに見える。

<簡体字およびピンイン> 

 箱根湖所感  Xiānggēn hú suǒ gǎn  

水光潋滟乎, Shuǐ guāng liàn yàn , 

玉匣箱根湖。 yù xiá xiānggēn .  

疑是有情緒, Yí shì yǒu qíngxù, 

动摇相骏纡。 dòng yáo xiāng jùn . 

xxxxxxxxxxx

 

実朝は、将軍として計8回二所詣を実施している。先に読んだ「箱根路を  ……」(閑話休題284)は、『金槐和歌集』中、(雑・639)として上掲の歌の次に載せられている。「箱根路を ……」の歌は、『吾妻鑑』で建保二 (1214) 年2月1日、4回目の二所詣の折の項に記載されており、上掲歌もその折の作であろう。

 

鎌倉での二所詣は、朝廷で行われていた“熊野詣”に倣って、初代将軍頼朝(1147~1199)が始めたとされている。“熊野詣”とは、熊野信仰に基づいて、和歌山県熊野地方にある熊野三山(本宮、新宮、那智の3社)に参詣することである。

 

曽て朝廷では宇多法皇~亀山上皇の間に約100回、後白河法皇が34回、後鳥羽上皇が28回、 “熊野詣”を実施したとの記録がある。世の安寧、戦の際の加護を祈る行事で、通常年始に実施されていた。平安の世では、拝礼ののち、酒宴や演芸大会、また歌会などが催されていた と。なお、天皇の行幸はなかったようである。

 

参詣には、まず出発に先立って精進潔斎、すなわち酒肉の飲食その他の行為を慎み、沐浴(モクヨク)などして心身を清める行事を行う と。頼朝は、その名の通り、箱根権現(箱根神社)と伊豆山権現(伊豆山神社)の2か所を参拝していたが、後に三島大社が加わった。

 

箱根権現は、将軍家の祖先・源頼義が「前九年の役」の際、武運長久を祈るなど、源氏に縁のある神社で、箱根の芦ノ湖の辺に鎮座する。伊豆山神社は、流人・頼朝が源氏の再興を祈り、また政子との逢瀬を重ねたとされる特別な神社であり、熱海に鎮座する。

 

三島大社は、頼朝が戦勝祈願を行った神社で、同社の例大祭の日、8月17日に挙兵を実行している。三島市に鎮座する。これら3社は、頼朝、さらに幕府にとって篤く信仰されてきた神社である。鎌倉での二所詣は、由比ガ浜で沐浴後に出発し、箱根、三島、伊豆山の順に参ることで定着した。

 

二所詣は、頼朝没(1199)後、しばらく途絶えていたが、1207(建永二)年1月22日実朝によって復活する。その折には、北条義時、時房、大江広元ら重鎮を伴った5泊6日の行程でった由。その後数年途絶えた後、毎年の年中行事として定着、実朝没後も幕府滅亡まで続くことになる。

 

歌人・源実朝の誕生 (4)

 

1209(承元三)年7月5日、近臣・内藤知親が上京し、実朝がこれまでに作った歌20首を住吉大社に奉納、さらに30首を選び、藤原定家に届ける所まで、先に(閑話休題302)紹介しました。

 

この年の8月13日、知親が京より帰参し、定家の筆になる詩歌の口伝書一巻『近代秀歌』を持ち帰った。既存の歌の手引書ではなく、定家が実朝のために書いた理論書ということである。『新古今和歌集』の評価、反省、歌の技術論、秀歌の例など載せてあるという。

 

実朝は、自作歌の評価ばかりでなく、定家に対して和歌に関する一般的な疑問点も問うていたようである。例えば、和歌の“六義風体”についての実朝の質問に対しても答えているという。因みに和歌の“六義風体”とは、和歌の六種の表現様式、歌風をいう。

 

中国の『詩経』では、詩が、内容上3種および表現上3種、計6種(“六義”)に分類されている。それに倣い、紀貫之が『古今和歌集』の「仮名序」で、和歌を六種の風体に分類して述べてあるという。その解説であろう。

 

1211(建歴一)年10月13日、飛鳥井雅経の仲介で、鴨長明(1155~1216)が鎌倉に下向、実朝と再三面談している。その折、雅経が実朝に歌の師として長明を推挙したが、実朝は承諾しなかったという。実朝の胸の内には、定家が居座っていたのでしょう。

 

なお、13日は、頼朝の月違い命日(没日:1月13日)に当たり、法華堂において読経法会が催された。その際、長明は、頼朝を偲び、懐旧の涙を流し、堂の柱に次の和歌一首を記した と。

 

 草も木も なひきし秋の 霜消えて

      むなしき苔を はらふ風      (『吾妻鑑』1211.10.13) 

    (大意) 草木もなびくほどの権勢を誇った頼朝も 秋の霜の如くに消えて、

      今は墓の苔には空しく風が吹き払っている。

  

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閑話休題304 書籍-15  故郷-2   成長を続ける島

2022-12-09 15:15:37 | 漢詩を読む

 次韻蘇軾《澄邁駅通潮閣》

     遙遠懷故    [上平声十三元韻] 

    蘇軾《澄邁駅通潮閣》に次韻 遠処(トオク)にありて故郷を懷(オモ)う 

繚乱芙蓉夢里村,

 繚乱たる芙蓉 夢の村,

胡蝶乱舞奪人魂。

 胡蝶(コチョウ)の乱舞 人の魂を奪(ウバ)う。 

何奇猶長珊瑚島,

 何ぞ奇なる 猶(ナ)お長(チョウ)ず 珊瑚(サンゴ)の島, 

万里顧懷行古原。

 万里 顧懷(コカイ)し 古原(コゲン)を行く。 

 註] 〇繚乱:花の咲き乱れるさま;  〇芙蓉:ハイビスカスの花;  

   〇胡蝶:蝶; 〇珊瑚島:サンゴショウの島;  〇顧懷:なつかしむ。

<現代語訳> 

 遠くにありて故郷を懐う   

深紅のハイビスカスの花が咲き乱れる夢の村、色々な美しい蝶の乱舞する情景は人の心を奪う。興味を引くのは今なお成長を続ける珊瑚礁の島であり、遥かに遠くはなれた余所で振り返れば、故郷の情景が蘇ってくるのである。 

<簡体字表記> 

 次韵苏轼「澄迈驿通潮阁」 遥远怀故乡

繚乱芙蓉梦里村,胡蝶乱舞夺人魂。

何奇犹长珊瑚岛,万里顾怀行古原。

 

<記> 

 舞台は、九州の遥か南の小島・喜界島である。同島ではアサギマダラとは別に、「南の島の貴婦人」と呼ばれるオオゴマダラ蝶が生息しており、その蛹の宿は黄金の佇まいである(写真)。興味を引く点は、同島は、極わずかながら、今なお、より高く、より広く と成長を続けていることである。 

20160701撮影

  亜熱帯域の同島は、年を通じて緑豊かな土地である。地球物理学は理解の外であるが、島の生い立ちを生噛りで紹介すると、次のようである。

 初めごく小さな島として海面上に姿を現し、以後十数万年の間、毎年約2mmの等速で隆起してきた。島の周囲の海岸は、サンゴ虫の生育の好条件に恵まれている。

 サンゴ虫が盛んに繁殖を続けていて、海岸周縁のサンゴ礁は、形態上薄い裾礁として分類されるもので、島の海岸周縁がすべて裾礁である点および島の隆起速度が激しい点、世界でも珍しいということである。

 島の最高地点・百之台(標高200m)は十二、三万年前のサンゴ礁段丘であると。アサギマダラ蝶のほか、“オオゴマダラ蝶”が生息している。「南の島の貴婦人」と称される美しい蝶で、羽は白地に黒のまだら模様で、羽を広げると約15cmと比較的大柄。

 インドや東南アジア等の暖かい地方で生息するが、日本では喜界島が北限とされている。蛹は黄金色の豪華な宿で羽化を待つのである(写真)。

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閑話休題303 書籍-14 故郷-1 アサギマダラ

2022-12-08 10:53:04 | 漢詩を読む

南国の“情熱の花”ハイビスカスと美装を纏った旅する蝶・アサギマダラ(下写真)の交歓を話題にします。

 

舞台は、本邦・南西諸島の一小島・喜界島の東沿岸を念頭に書いています。そこではアサギマダラが繁殖し、海を渡り、多くの地方を旅しています。

 

アサギマダラの長旅の助けにと、蜜を蓄えて待っているハイビスカスの“思い遣り”の心を想像しました。

 

< 原文 と 読み下し文> 

   次韻蘇軾《海棠》   通紅芙蓉   [下平声七陽韻] 

太洋瀲灔曙瑞光, 

 太洋 瀲灔(レンエン) として曙(アケボノ)の瑞光, 

蝶飄飄旋転廊。 

 蛱蝶(キョウチョウ) 飄飄(ヒョウヒョウ) として廊に旋転(センテン)す。 

芙蓉猶恐蜜充否, 

 芙蓉(フヨウ) 猶(ナ)お恐る蜜の充なるや否やを, 

更待旅蝶耀紅粧。

 更に待つ 旅蝶(リョチョウ) 紅粧(コウショウ)を耀かして。 

 註] ○芙蓉:ハイビスカス; ○瀲灔:広々とさざ波を湛えたさま;  

 ○飄飄:漂い翻るさま;  ○旋転:ぐるぐる舞まわる; ○旅蝶:アサギマダラ 

 のこと、大海を渡って旅する蝶。 

 

<現代語訳> 

  蘇軾《海棠》に次韻   真紅のハイビスカスの花 

波静かな大洋の水平線に日が顔を出すと、海面では瑞光を映して漣の如くに光が揺れる、

廂の向こうには、大小、色取りどりの蝶がひらひらと活動を始めた。

ハイビスカスは、蓄えた蜜が充分であるか 気にしながら、

真っ赤な装いを輝かして、これから旅に出る旅蝶の来訪を待っている。

 

<簡体字表記> 

 次韵苏轼《海棠》通红芙蓉  

太洋潋滟曙瑞光, 蛱蝶飘飘旋转廊。

芙蓉犹恐蜜充否, 更待旅蝶耀红妆。

 

<記>

喜界島は、鹿児島―沖縄間のほぼ中間に位置、太平洋に面していて、温暖な亜熱帯に属する、周囲ca.49km面積ca.57km2の小島である。

 

島の東海岸に立てば、太平洋が一望でき、遥か水平線はやや凸に孤を描き、円い地球が実感できる。朝日や夕の望月が水平線上に顔を覗かせると、海面の漣に揺れる光が映える。

 

同島で注目される一つは、島の台地の森林内に生息(/繁殖)したアサギマダラの乱舞する情景にお目に掛かれることである。

 

ハイビスカスの蜜は、生命維持・活動のための栄養源の補給が目的となろう。「蜜を十分に蓄えたよ!長旅に耐える体力作りに利用して」と、目印として花を真っ赤に染めて、蝶を待っているのだ。

 

植物の多くは、独特な色または香りを発して、有翅昆虫や小鳥などを呼び寄せ、蜜を提供する。その代償に受粉の手助けをしてもらっている。

 

ハイビスカスとアサギマダラの関係もその例から外れることはない、「持ちつ・持たれつ」の生態系の一例と言えよう。

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