OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

起業家精神の芽 (考えあう技術(苅谷剛彦・西研))

2005-12-30 00:36:32 | 本と雑誌

(p54より引用) 財界人とかが日本の教育を批判するとき、今の若者には起業家精神が欠けているなんて指摘する。そのときに、たいてい引き合いに出されるのがアメリカの個人主義の社会ですね。・・・もちろん個人も重要なんだけど、もう少し小さい単位での複数の人間が集団を立ち上げる。起業にしても、たいていは複数の人と企業を興すのであって、個人業ではない。複数の人間がなにかを立ち上げるというときの能力は、必ずしもばらばらな個人をつくりだすためでもない。・・・複数の人たちが集まり、集団を立ち上げようというのは、いわゆる共同体主義とは違う思想ですよね。

 「集団を立ち上げ営む能力」は、「個人主義」でもなければ「共同体(集団)主義」でもないところから発する能力のようです。これは、それら二つの考え方の「中間」にあるというよりも、その二つを包含した「より上位層の考え方」のように思います。

 すなわち「個人主義的な独創性やリーダシップ」と「集団主義的な協調性やチームワーク」との双方を必要条件とする能力なのです。

 こういった能力は、少なくとも「ひとりだけの環境」では決し身につけることはできません。
 「試行錯誤できる集団」の中で身につけるのが一番で、だとするとそのひとつの有力候補は「学校」ということになります。

 ただ、その学校も、

(p88より引用) 個性重視というからには個別の対応が優先されるはずだから、ルール自体を柔軟にすればいいのだけど、ルールの柔軟化ではない。

という状況ですから、様々な個性(のたまご)が他者との関係の中で磨かれる「テストベッド」としての役割を果たすのは、現実的には難しいようです。

コメント
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