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真っ当 (修養(新渡戸 稲造))

2006-02-18 13:54:42 | 本と雑誌

 新渡戸氏はものすごく真っ当な人物でした。

 この本は、どこを読んでも真摯な教訓・箴言に溢れています。クエーカー教徒としての人道主義的姿勢の現われかもしれません。また、随所に、「菜根譚」からの引用も見られます。ともかく、いかにも明治の一流の人格者・知識人という印象です。
(ところどころには当時の社会常識に依った言い様が残っています。現在の私たちの感性では少々気にはなりますが、これは、当時の世相を思うと、新渡戸氏ほどの人物ですらということでしょう・・・)

(p126より引用) たとえ敵意をもって反対する者に対してでも、自分はその善と信ずるところを行うておれば、必ずその誠意が通じて、相手を動かす時機が到来するものと思う。
 末遂に海となるべき山水も しばし木の葉の下くぐるなり
の一句は形而下の身分や立身にのみ応用する歌でなく、もっと高い思想にも適用ができると思う。

 この心は、吉田松陰の名言と言われる「至誠にして動かざる者いまだこれ有らざるなり(出典:孟子(至誠而不動者未之有也))」と同じです。
(ちなみにこの松陰の言葉は、私が学生時代、日本政治思想史の講義で唯一記憶に残っている最も好きな言葉です。)

 この「修養」という本は、明治44年から昭和9年にかけて148版を重ねたと言います。
 新渡戸氏の教育者としての想いが、「青年の特性」「青年の立志」「職業の選択」「決心の継続」「勇気の修養」「克己の工夫」「貯蓄」「余が実験せる読書法」「逆境にある時の心得」等々の全17章にこめられています。

(p307より引用) 一見すると他人の利は我が害、他人の損は我の得というように見えるが、実際はそうでない。そうでないどころか、一人の利は万人の利、一人の苦は万人の苦、一人の楽は万人の楽である。かく観ずれば、世界の調和は美しい。

コメント
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