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シュリーマン旅行記清国・日本 (シュリーマン)

2006-10-01 14:13:18 | 本と雑誌

Banri_no_chojo   トロイア遺跡の発掘で世界的に有名なハインリッヒ・シュリーマンが、考古学に本格的に取り組む前、中国を経由し日本を訪れていました。

 頃は幕末、明治に変わる3年前、1865年6月1日から9月2日までの3ヶ月間の日本滞在でした。

(p213より引用) 長く滞在すればその土地が分る、というものではない。いやむしろ、反って分らなくなっていく。長く住めば、地元民と同じ眼を持つようになるからである。そしてその地元民こそが、地元の本当の長所、短所をともにもっとも知らない人びとである。それは、自分のことをもっとも知らないのが、自分自身であるのと同じである。本人はしばしば同意しないが、他人による評価のほうが、はるかに客観的で正しい。

 上記、巻末の木村尚三郎氏の解説にもありますように、短期間の滞在であったにも関わらず、シュリーマンは、「鳥の目、虫の目」で当時の中国・日本を捉え、溢れる好奇心でそれらを書きとめていきました。

 いかにもシュリーマンらしい細かな記述がそこここに見られます。

 「万里の長城」の記述は、

(p44より引用) 長城は、焼煉瓦ではなく、いぶした煉瓦でできている。藁に泥を混ぜてつくったもので、長さ六十七センチ、幅二十五センチ、厚さ十七センチ。城壁の上部は六十七センチ角、厚さ十七センチの煉瓦で張られている。敷石が失われている数ヶ所から、内部に花崗岩の塊を使用していることがわかった。・・・

 といった具合ですし、「上海の劇場」の描写は、

(p64より引用) 平土間には、いす十脚に囲まれたテーブルが六台あった。つづいて両側には、安楽椅子が十二脚と椅子三十六脚をおさめた桟敷が二つある。ホールの奥には四十四脚の椅子が二列並び、さらにその後ろに木のベンチとソファが二十二人分用意されている。・・・

という感じです。

 「確かにそうだ・・・」と思わせるのは、以下の「ちょんまげ」の解説です。

(p77より引用) 髪型も、隣人であるシナ人のそれとはずいぶん違っていた。額から頭頂部まで三インチほど剃りあげ、残りの髪は編まずにたっぷりポマードをつけて一本の白い紐で結び、さらに二.五インチくらい後方で折り曲げて頭頂部でふたたび紐で結びつけられるのである。その結果、まげ先が剃りあげた頭のちょうど中央、額から一インチほどのところで管の形で残ることとなる。

シュリーマン旅行記清国・日本 シュリーマン旅行記清国・日本
価格:¥ 840(税込)
発売日:1998-04

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