「わかる」過程は、「論理をたどった理解」とも言えます。
論理をたどるにあたってはいろいろな方法がありますが、そのひとつが「推論」です。
長尾氏は、「推論」にあたっての留意点として「場」の意識を挙げています。
(p83より引用) ふつうの推論においてはほとんど意識されないが、議論がおこなわれている「場」について考えることも必要である。これは、論理的には可能世界の問題と呼ばれているものと考えてもよい。
「場」とは、議論が展開される土俵のようなものです。
同じ土俵の中の話なのか、土俵外かが問題になります。土俵が違っていることを意識せずに議論・推論を進めると、「意見の対立」「理解不能」「同床異夢」といった状態になります。
科学の世界での例示です。
(p83より引用) ・・・ある推論規則がどういう場で成立するものであるかを、つねに注意する必要がある。ニュートン力学は原子・分子のはたらきを調べる極微の世界では成り立たず、量子力学にその席をゆずることになる。物体は落下するというのも重力のあるところで、分子・原子のような極微の世界でなく、人間の目に見える程度の大きさの物質の場合といった多くの条件が存在するのである。
しかし、科学的な議論に限らず通常の場合は、いちいち「前提」を明らかにしません。お互い共通の土俵で話していると思い込んでいます。
しかし、この「共通の土俵」というのは極めてあいまいな概念です。よく「常識の範囲で」といいますが、この「常識」ほど突き詰めていくとあいまいなものはありません。
「常識」とは「それぞれの一人一人で違うもの」だと思うべきです。
「違う」ことを意識してそれを前提に議論の場に臨むと、「相手を意識した丁寧な説明」が自然にできるようになります。(ただ、くどくはなりますが・・・)
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