メンデル(Gregor Johann Mendel 1822~84)は、「遺伝の法則」の発見者として有名ですが、本来の顔は修道士です。研究の場も修道院が中心でした。
本書は、その遺伝の法則を発表した論文の全訳です。
さて、この論文ですが、発表された当時はほとんど注目されなかったそうです。本書の巻末の解説で、訳者の岩槻氏はこう説明しています。
(p107より引用) 刊行されても生物学会で評価されることがなかったこの論文は、・・・数量的な検討を含め、極めて科学的な論証で一貫している。19世紀中葉の生物学は、よい意味でも悪い意味でも博物学に徹底していた。数学的論理に従った現象の解析には、研究者は慣れていなかった。だから、当時第一線で研究を行なっていた生物学者にとってさえ、この論文は時代を少し超えすぎており、理解が届かなかったのではあるまいか。
メンデルも論文の序言において、本研究の意義と従来の研究との違いについて言及しています。
(p9より引用) これまで行なわれた多くの実験の中には、雑種の子孫に現われる種々の型の数を決定したり、各世代における雑種の型を適確に整理し、雑種の型の相互の比の値を確定できるような範囲や方法を用いて行なわれたものが1つもないことである。それほど広い範囲まで包含する研究にとりかかることは、とにかくかなりの勇気を必要とすることである。しかし、それが生物の進化の歴史にとって重大な意味を有する問題を最終的に解決できる、唯一で正当な道であるように思われる。
日の目を見なかった「メンデルの遺伝の法則」は、19世紀と20世紀とのまさに境の1900年に、ド・フリース、コレンス、チェルマクの3人により再発見されました。
メンデルの研究は、その発見した法則自体の重要性に加え、生物学研究の方法論においても大きな変革をもたらしたのでした。
(p112より引用) 19世紀の生物学は、現象の記載に手一杯で、その向こうにある普遍的な原理に迫る準備はできていなかった。・・・20世紀の生物学は、だから、物理化学の思考法に従って、生物の示す多様な現象から、それを支配する生命の普遍的な原理を追求する方向での研究に邁進することになった。
従来の博物学から自然科学への質的転換です。
メンデルは、数多くの地道な実験結果の積み上げをもとに、その中から普遍的法則の発見に努めました。そして、発見された普遍的法則は、文字記号を使ったシンプルな記述で説明されます。
この法則の表現方法の点でも、メンデルは大きな貢献を果たしているのです。
(p104より引用) 遺伝を支配する因子と推定したもの(現在のゲノムに相当する)をA,B,a,bなどの単純な記号で表記する方法を案出したことも、その後の遺伝学の発展に絶大な貢献となるものだった。
記号での表記は、以下の引用にあるような一見法則の非適用例を見なされそうな事象についても、論理的かつ簡明な説明を可能としました。
(p57より引用) 色の形質については、エンドウ属の場合と完全に一致していると結論づけることは難しい。たとえば、白色と紫紅色の交雑の結果では、紫紅色から薄紫色や白色までの種々の色がでるうえ、花の咲いた31株のうち、ただ1株だけが白色、すなわち劣性の形質をもっているというのも注意を惹く結果である。エンドウ属では平均4つに1つが劣性形質であるというのと、明瞭に異なっている。
しかし、一見奇妙なこの現象も、つぎのような仮定によって、エンドウ属と同じ法則で説明できる。すなわち、ベニバナインゲンの花や種子の色は、それぞれ2つあるいはそれより多い相互に独立の色が組合わさってできているものであり、植物の他の不変の形質と同様に1つ1つが独立の形質のように行動すると考えるのである。
本書に採録されているメンデルの論文で明らかにされた遺伝の法則は、高校の生物の授業でも御馴染みのものです。
遺伝子の構造や交配のしくみを知っているものからすると、メンデルの実験は「夏休みの自由研究の発展形」ぐらいにしか思えないかもしれません。
しかしながら、「法則を知っていて実験結果を評価する」のと、「実験結果から(あるかないかも分らない)普遍的法則を導き出す」のとでは、本質において天と地ほどの絶対差があるのです。
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