いつも聞いているピーター・バラカンさんのpodcastの番組に著者の赤塚りえ子さんがゲスト出演した際に紹介していた著作です。
赤塚さんはギャグ漫画家赤塚不二夫さんの娘さん。
不二夫さん自身もハチャメチャでしたが、ご家族もかなり個性的で飛び抜けたキャラクタだったようです。当然、再婚メンバーも含め、とんでもない暮らしぶりのファミリーでした。
家族の記録として、ともかく想像を絶するエピソードが満載のこの本ですが、それらの中から、両親の離婚を経て、りえ子さんが語る “赤塚ファミリー” の姿を一言で語ったくだり。
(p120より引用) 今から思うと、うちはもともと「母子家庭に赤塚不二夫がいる」という家庭だったの かもしれない。
パパは家族というよりも、『天才バカボン』の登場人物のようだった。
晩年、赤塚不二夫さんは時折テレビの対談番組にも出演していました。その姿は「真面目にギャグを体現している」という様で、本当に純粋な方なんだなと感じ入った記憶があります。最近目につく“他人を貶めて笑いを取る”やり方とは全く別次元の「天才的エンタメ・クリエーター」でした。
さて、本書に記されている赤塚不二夫さんの人となりの中から、私の最も印象に残った “ザ・赤塚不二夫” というべきエピソードを書き留めておきます。
(p189より引用) 七三年、当時「週刊少年マガジン」(講談社)で連載していた『天才バカボン』の担当だった五十嵐隆夫さんが、できあがったばかりの原稿をタクシーの中に置き忘れてしまったことがある。タクシーには連絡できない。翌日には印刷所に原稿を渡さなければな らない。五十嵐さんは、顔面蒼白でパパのところに駆け戻って来た。
事情を話し謝罪すると、パパは言った。
「ネームが残っているから、また描ける」
そして、失態を責めるどころか、五十嵐さんを元気づけた。
「まだ少し時間がある。呑みに行こう!」
パパは酒場でも、意気消沈している五十嵐さんを気遣ってギャグを飛ばしていたという。
帰ってくると、また何時間かかけて同じ原稿を仕上げた。
「二度目だから、もっと上手く描けたよ」
そう言って、原稿を五十嵐さんに手渡した。
後日、紛失した原稿が戻ってきました。それを赤塚さんからプレゼントされた五十嵐さんは、その時以来赤塚さんが亡くなるまでの35年間、ずっと大切に保管していたのだそうです。
このあたりも、本当に“純粋”な赤塚さんですね。
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