祖父が相撲好きだったので、幼い頃一緒にテレビ観戦していました。
その頃は正に「柏鵬時代」でした。確かに私も、横綱は優勝するのが当たり前、大鵬は勝つのが当たり前と思っていました。
本書は、日本経済新聞の「私の履歴書」の欄で連載された戦後最強の横綱「大鵬」関の自伝です。
今の時代とは隔絶の感がありますが、未だ変わらぬ大鵬氏の信念が語られています。
(p1より引用) 「巨人、大鵬、卵焼き」などと言われたときは「冗談じゃない」と思った。いい選手をそろえて強くなった巨人と、裸一貫、稽古、稽古で横綱になった私が何で一緒なのかと考えてしまう。
大鵬氏の自負溢れる言葉です。
この言葉にあるように、大鵬氏の修行時代の努力は凄まじいものがあったようです。
幕下の時、大鵬氏は過酷な稽古が原因で手術・入院しました。先輩力士がつける当時の稽古は、それは酷いものでした。
(p86より引用) 入院の原因となったあのしごきともいうべき猛烈な稽古を考えた。自分のためになるとはいえ、あまりに度が過ぎてはいないだろうか。もっと合理的な稽古があっていいのではないのか。頭の中をこんな理念が渦巻いていた。しかし、退院するころは「何事も我慢だ。これくらいのことでへこたれていたら男と言えん」と辛抱を貫く覚悟を決めた。
正否ではない決心ですね。私なら別の結論を出したと思いますが、いかにも大鵬氏らしい姿です。
大鵬氏の努力は常に「勝つため」のものでした。その大鵬氏についてまわった「勝つという宿命」は、やはり大きなジレンマでもあったのです。
(p103より引用) 私は師匠から、「お前はこうあらねば」と型にはめられる。「お前は勝つのが当たり前なんだ。負けるのがおかしい。お前は勝たなきゃいけないんだ」と徹底して言われ続けた。
結局、冒険できず、自分の好きな相撲が取れないからそれが嫌で嫌でしょうがなかった。・・・
柏戸関は性格もあっけらかんとして相撲も一直線。それに対して自分の場合はネチネチしたようなしぶとさが身上だ。
「絶対に負けられないんだ」
そう思うと自然と勝つための慎重で防御型の相撲に向かわざるをえなかった。
本書で、大鵬氏は、自らの地道な努力や苦労の数々も綴っていますが、同時に多くの人々のお蔭で成長し今の自分があるのだとも語っています。
それは、母親であり、柏戸関であり、後援者の方々の支えでした。もちろん、その中でも師匠の影響は絶大でした。
「大鵬の相撲には型がない」と批評されたとき、師匠の二所ノ関親方は大鵬氏に対してこう話しました。
(p153より引用) 「お前には自然体という立派な型があるじゃないか。型にはまらないでどんな相撲でも取れる。それが大鵬の非凡なところだ。・・・型の上を行く、自然体で取れるのが大鵬の強みなんだ」
この言葉を受けて、大鵬氏は、相手十分に対して自然体で応じ我慢を重ねて辛抱して勝つというスタイルを“大鵬の型”にしようと決心したといいます。
本書と通して感じられるのは、まさにこの大鵬氏の「型」です。
相撲界を大事に思いそれを通しての人格形成に価値を置いた考え方は、いろいろな評価を受けると思いますが、大鵬氏の信念は純粋です。
本当に「純朴」な方なのだと思います。
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