歌唱・作詞・作曲・編曲・演奏といったパーツを多様な観点からテクニカルに分析したところもありますし、ミキサー・エコライザー・シンセサイザー等、音づくりに関する機器の技術面からの解説も興味深いものです。ちょっと長い引用になりますが、こんな感じです。
(p70より引用) いしだあゆみと奥村チヨの歌唱に共通する「小唄風」の歌い回しは同様の手法で、微細な表現を「レコーディング」という作業において可能にしたのは歌手の個性と技量はもちろんだが、ヴォーカルのトラックが他の楽器類とは完全に独立していることにある。・・・
これ以降、音楽レコードはより立体的かつ臨場感あふれる芸術へと進化を遂げ、レコーディング・システムにおける歌手の表現方法は無限ともいえる広がりをみせて、奥村チヨの悩殺歌唱やいしだあゆみの小唄風ヴィブラートといった独創性が大いに発揮されることになる。90年代にCHARAやUAの臨場感に満ちた個性的な歌唱が多くのフォロワーを生んだが、先駆者は68~69年のいしだあゆみであり奥村チヨである。
録音技術の進歩をトリガーに、奥村チヨとCHARAとを結びつける視点は著者ならではでしょう。
多面的な考察のもう一つの視点が「世相」という切り口です。
たとえば、1969年、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」。
(p78より引用) 「いいじゃないの幸せならば」は異色ともいえる四行詩で「恋の季節」と同じように時代の空気を鮮やかに切り取った作品である。激化する政治闘争と、70年代に中産階級を形成することになる一般市民の価値観や理想と現実のギャップが、後に「シラケ」という言葉で表現されることになるが、そのような時代の雰囲気が、抑制された曲調や演奏、歌唱と一体化されてクールに醸しだされている。
岩谷時子作詞、いずみたく作曲の60年代最後(1969年)のレコード大賞受賞曲です。
もうひとつ、1982年、中森明菜の「少女A」。
(p219より引用) 世の中は以前にもまして少しずつ軋みつつあったし、外形的な取り繕いもそろそろ疲弊しはじめていた。「少女A」は物質文明と管理社会のもたらした閉塞感や既成概念や規範への反発と同時に、社会に埋没してしまう「個」の不安を歌ったきわめて同世代的な歌謡である。
この曲が流行ったのも、もう30年も前のことなのですね。
歌謡曲は、大衆文化の代表的な具現形態ですから、その時代を象徴するタイムカプセルとしてひとりひとりの記憶の中に残り続けています。想い出の歌を耳にするとタイムカプセルが開き、その当時の懐かしいシーンが、また気分が活き活きとあるいは薄いベールを被って甦るのです。
歌謡曲――時代を彩った歌たち (岩波新書) 価格:¥ 840(税込) 発売日:2011-02-19 |
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