もう40年近く前になりますが、私が中学生のころは、月刊の「平凡」や「明星」の付録についていた歌本が大流行していました。放課後には誰かのギターを囲んで、という風景です。
本書は、私と同じ世代の方にはとても懐かしくまた面白く感じられるのではないでしょうか。「歌謡曲」を媒体にした世相史という位置づけも可能ですが、素直に「歌謡曲」の足跡をたどる目録・年表として眺めても十分充実した内容です。
さて、そういう話題満載の本書から、特に印象に残ったくだりをいくつか書き留めておきます。
まずは、「第1章 和製ポップスへの道」から。
(p17より引用) 日本の大衆音楽の歴史上、最も大きなムーヴメントのひとつであるグループ・サウンズ(GS)ブームとモダン・フォークの関係については注意深く多面的に認識する必要がある。・・・はじまりはエレキバンドが歌うことであり、フォーク・グループがロック化することだった。フォーク・グループのGS化の代表ともいえるのが、ヴィレッジ・シンガーズで、エレキ・バンドがフォーク寄りの楽曲でヴォーカルに取り組んだのがザ・サベージである。
もちろんここには「ビートルズ」が厳然と際立ったエポックメーカーとして存在しています。
つぎは、「女の子なんだもん」を歌った初期のアイドル派歌手「麻丘めぐみ」さんの評価について。
(p106より引用) 麻丘めぐみは自己を歌うのではなく、ひたすら「聴き手=あなた」を対象に歌うのである。聴き手はもちろん同世代の男性である。聴き手は歌い手(主人公)の心情や物語に感情移入するのではなく、歌われている世界に自己投影するわけで、これは歌謡曲のパーソナル化ともいえる現象で特筆に値する。千家和也による麻丘めぐみは南沙織によってはじまったアイドル・ポップスの進化型であり、ひとつの大きなエポックである。
麻丘さんは私より少し年上になりますが、もちろんキラキラと輝いていたアイドル時代も知っています。さらには、今年(2011年)春、会社のイベントでお呼びしたのでとても親近感を感じているのですが、こういう位置づけの評価は新鮮です。
そして、当然のごとく登場する吉田拓郎と井上陽水。
(p108より引用) 井上陽水の音楽はそれ以前の日本のポピュラー音楽にはみられなかった歌詞が特徴である。よしだたくろう「人間なんて」の外に向けたメッセージは同世代の同性に多くの共感を呼んだが、「心もよう」に象徴される井上陽水の自己に向けた内省的な歌詞は文学的で自由詩の要素を多く含んでいた。
この二人にかぐや姫が加わると、まさに私の中学時代の音楽の原点の登場ということになります。最初に買ったアルバムも拓郎でした。
歌謡曲――時代を彩った歌たち (岩波新書) 価格:¥ 840(税込) 発売日:2011-02-19 |
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