たまたま図書館で目に入ったので借りてみました。
以前読んだ「アースダイバー」や「地図から消えた東京遺産」といった本と関心の根は同じです。
このところ、営みとしての必然性の薄い市町村合併等による「名前の喪失」が著しく、さらに、代わりに登場した新たな名前はといえば、根無し草のような味気のないものになっています。
そういう中で、身近な土地の由来や今に至る変遷、過去と現在の対比・変貌には、時折思い出したように興味を感じます。
本書は、東京都内のJR・私鉄・地下鉄などの駅を中心に、その地名の由来やその地域にまつわる歴史的トピックスを集め紹介したものです。
読んでみて、改めて感じたところがいくつかありました。
有名なところでは、江戸期の大藩の藩邸のその後です。
薩摩藩島津家の下屋敷跡が新高輪プリンスホテルに、紀伊藩の屋敷跡が赤坂プリンスホテルに、井伊家の屋敷跡がホテルニューオータニに、また、尾張藩の屋敷跡が上智大学に、仙台藩伊達家の下屋敷跡が清泉女子大に・・・その他、それなりの広さの敷地を要する施設は、大藩の武家屋敷跡に建てられたようです。
また、今の東京の街並み形成に大きな影響を与えたのは、江戸の華といわれた「大火」だったということ。
(p133より引用) 明暦三年(一六五七)正月の明暦大火により、江戸市中が焼け、幕府は早急な市街地の復興と再編を迫られることとなった。まず、幕府は、江戸城への類焼を防ぐため御三家や諸大名の屋敷を郊外へ移転させた。また、・・・多くの寺社、門前町を江戸市外へ転出させたりした。これら一連の政策は江戸近郊農村の市街地化を促し、江戸の範囲は大幅に拡大することになった。
明暦の大火(1657年)は、外堀以内のほぼ全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼き尽くしました。
その後の江戸再興策により、延焼を防ぐ対策として町の各所に火除地や広小路が設けられました。そして、そのいくつかは上野広小路に代表されるような地名で、今に残っています。
続 駅名で読む江戸・東京 価格:¥ 924(税込) 発売日:2004-02 |
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