いつも行っている図書館の新着書コーナーで目に付いたので手に取ってみました。
著者の森まゆみさんはノンフィクション作家ですが、地域雑誌の発行等の市民視点の地域活動も行っています。
本書は、その森さんによる東日本大震災の等身大の記録です。森さんとその周りの人びとの震災発生後その時々の生の声を残したもので、とても興味深い内容です。
それら数々の記録の中から、いくつか覚えとして書きとめておきます。
まずは、日本の旧来型マスコミに見られた3月27日東京での脱原発デモの扱いについてです。
意図的に情報を矮小化したとしか考えられない姿勢が、海外メディアとの対比の中で際立ちます。
(p28より引用) この脱原発デモは日本のマスコミでは報道されなかった。取材に来ていたのはフランスやドイツのテレビクルーであった。NHKは朝の番組「おはよう世界」のなかで、海外ニュースが東京のデモを伝えているという報道をした。なんとまだるっこしい話。
今回の大震災は、いろいろな面で様々な人々の実像を浮かび上がらせました。それは個々人の場合もあれば集団の場合もありました。
美点という点では、災害後の治安の安定がよく語られていましたが、こんな日本人評もありました。
(p30より引用) ピーター・バラカンさんは大危機における日本人の自制心と助け合いに敬意を表しつつも、「自分で判断すべき時には判断する」という民主主義と個人主義の力が弱いのではないか、と述べていた。そのとおり。
ちなみに、ピーター・バラカン氏はイギリス生まれで日本在住の音楽評論家、テレビ番組のキャスターも務めたこともある社会派です。特に巨大津波が押し寄せた際、「自己の判断力」が厳しい運命の分水嶺にもなりました。
外国の方という点では、海外からいち早く援助の手が差し伸べられたことは多くの報道で伝えられました。他方、あまりマスコミには取り上げられませんでしたが、日本在住の外国人の方からも献身的な心遣いをいただいていたのです。いわきで炊き出しのボランティアをされたマクブールさん。
(p92より引用) マクブールさんはバングラディッシュ人。東京で長らく料理人をしていたがいま失業中。そんな人が日本人のために震災直後から二か月、一人で調理してきた。「わたし金ない、だから体だけサービス」が口癖。
こういった個人レベルでの援助がさまざまなシーンで広がりをみせた反面、国・地方自治体等行政機関のいかにも「お役所仕事」といった後追い対応も問題視されました。
被災状況の把握・援助物資の分配・・・、被災現場の切迫した状況への対応としては不十分でした。
(p134より引用) 今回、地域に密着した支所は機能したが市役所はまったくだめ。・・・みんな市役所はあてにならないと思い切った。水だって区長さんが運んで配った。来た物資は名前だけ書けば持っていって、それでよかった。家も流されない壊れないのに物を持っていく人もいたが全体の一割程度。それより早く配る方が大事だった。
献身的な活躍をした自衛隊に対してですら、震災後日が経つにつれ、実際に被災した方々は微妙な気持ちのズレを感じ始めたとのことです。
(p196より引用) テントと食糧、暖房もあって給料も出ている自衛隊員と、家を流され何もないなかで家族や親戚を捜す被災者である消防団員のすこしずつ開いていく溝。
このあたりの現場でなくては感じることのできないリアルな感覚はとても大事だと思います。
今回の未曽有の大災害は、人々の生活のありとあらゆる面に計り知れないほどの傷を残しました。その傷は、癒されつつあるものもあれば、未だに快方に向かっていない、むしろ傷口が広がりつつあるものもあります。
本書で紹介されている地道な活動は、日々起こっている現実を現場視線で掴み続けること、そしてそれを問題意識とともに発信し続けることの重要性を改めて強く訴えています。
この先、復興の名で行われる諸々の営みが、旧態の復活に止まらないよう、喉元過ぎれば・・・には決してならないよう、折に触れ心したいと思います。
震災日録――記憶を記録する (岩波新書) 価格:¥ 861(税込) 発売日:2013-02-21 |
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