OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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談志ひとり会 文句と御託 (立川 談志)

2006-10-10 23:14:57 | 本と雑誌

Suehirotei  ご存知だとはおもいますが、著者の立川談志氏は、東京の落語家です。
 辛辣な口ぶりが有名ですが、噺家としての技量には定評があります。今から20年以上前になりますが、真打ち制度をめぐって落語協会と対立、協会を離れ「落語立川流」を立ち上げました。

 私の落語の好みは、以前は上方落語中心でした。
 いわゆる、「上方落語四天王」といわれた、(笑福亭)松鶴・(桂)米朝・(桂)小文枝(後の故5代目桂文枝)、(桂)春団治に始まり、その後は、やはり枝雀さんでした。あの天才肌の芸風の噺家はもう現れないかもしれません・・・。

 いずれにしても、ちょっと落語には関心があったこともあり、近所の図書館の返却棚にあったこの本を衝動的に手に取ったという次第です。

 そもそもこの本は、談志さんの独演会(談志ひとり会)のプログラムに書かれた(談志さんの)エッセイ風の「文句・御託」をまとめたものです。

(p238より引用) だって結構、世間にゃ相手にされない場所やモノに面白いのがあるよ。イヤ、世間で面白がられている場所や、モノより面白く受取れるよ。また、その発見、行動のほうが楽だし、価値もあるよ。

といったフレーズや、

(p306より引用)“落語とは人間の業の肯定である”・・・ただ、人間の中の、本音というか、嘘のない部分を「業」なんと言っていたのである。
 ところが、どうも正解らしい、“合ってるよ”と思えてきた。

とかの談志さん一流の「落語論」あたりは面白いのですが・・・。

 正直、よほどの談志ファンでないと読み物としてはどうでしょう?
 月に1度、独演会のプログラムでお目にかかる程度であればそれなりに楽しめるのでしょうが、400ページを越える1冊の本でまとめて来られると、(談志さんに特別の思い入れのない身としては)少々食傷気味になります。

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わかるレベル (「わかる」とは何か(長尾 真))

2006-10-09 12:22:45 | 本と雑誌

 よく言われることですが、「わかる」という状態にも様々な形態があります。
 長尾氏は、「3つのレベル」に分類します。

(p116より引用) 「わかる」ということには、いくつものレベルがあることが想像できるだろう。
 第一のレベルは、言葉の範囲内で理解することであり、第二のレベルは、文が述べている対象世界との関係で理解することであり、さらに第三のレベルとして、自分の知識と経験、感覚に照らして理解すること(いわゆる身体でわかる)というレベルを設定することが必要であろう。

 そして、昨今の科学的トピックスを踏まえると、「科学」の立場から今後重視すべきは、「第三のレベルの理解」であると述べています。

(p116より引用) 科学技術の文章においては、第二のレベルまでの理解でよい。しかし、第三のレベルの理解ということが必要な場面も出てきつつある。たとえば遺伝子操作、クローン生物、臓器移植、脳死判定といった問題になると、理屈の世界でわかっただけでは私たち人間は納得できず、感情的体験的世界においても納得することが必要であり、これを避けて通ることができなくなっているのである。

 長尾氏は、別の章でも、科学的理解以上のものとして「感情的理解」「感性的理解」の重要性を指摘しています。
 「理解」に「優劣」があるとは思いませんが、「理解の質的な違いを意識する」という視点は大事だと思います。
 「頭ではわかるんだけど、どうしても納得できない・・・」という、いわゆる「普通の感覚での納得感」の問題です。

(p174より引用) 論理的な理解のほかに身体的レベルにおける理解、心の底から納得できる状態というものがあって、これはかならずしも論理的なものかどうかはわからないが、個人にとってはむしろこの納得のほうがはるかに優位にある理解といってよいだろう。客観的真理が絶対的なものでなく、それを超えた理解の状態の大切さということにもっと目を向けるべき時代にきているのではないだろうか。

 科学者として、さらには科学者を育てる教育者の立場からの主張であるだけに、なおさら注目すべき指摘だと思います。

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推論の前提 (「わかる」とは何か(長尾 真))

2006-10-08 12:08:57 | 本と雑誌

 「わかる」過程は、「論理をたどった理解」とも言えます。
 論理をたどるにあたってはいろいろな方法がありますが、そのひとつが「推論」です。

 長尾氏は、「推論」にあたっての留意点として「場」の意識を挙げています。

(p83より引用) ふつうの推論においてはほとんど意識されないが、議論がおこなわれている「場」について考えることも必要である。これは、論理的には可能世界の問題と呼ばれているものと考えてもよい。

 「場」とは、議論が展開される土俵のようなものです。
 同じ土俵の中の話なのか、土俵外かが問題になります。土俵が違っていることを意識せずに議論・推論を進めると、「意見の対立」「理解不能」「同床異夢」といった状態になります。

 科学の世界での例示です。

(p83より引用) ・・・ある推論規則がどういう場で成立するものであるかを、つねに注意する必要がある。ニュートン力学は原子・分子のはたらきを調べる極微の世界では成り立たず、量子力学にその席をゆずることになる。物体は落下するというのも重力のあるところで、分子・原子のような極微の世界でなく、人間の目に見える程度の大きさの物質の場合といった多くの条件が存在するのである。

 しかし、科学的な議論に限らず通常の場合は、いちいち「前提」を明らかにしません。お互い共通の土俵で話していると思い込んでいます。
 しかし、この「共通の土俵」というのは極めてあいまいな概念です。よく「常識の範囲で」といいますが、この「常識」ほど突き詰めていくとあいまいなものはありません。

 「常識」とは「それぞれの一人一人で違うもの」だと思うべきです。
 「違う」ことを意識してそれを前提に議論の場に臨むと、「相手を意識した丁寧な説明」が自然にできるようになります。(ただ、くどくはなりますが・・・)

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科学者への教育 (「わかる」とは何か(長尾 真))

2006-10-07 16:35:24 | 本と雑誌

 「わかる」ということについては、今までもいくつかの本を読んでみました。

 この本は、元京都大学総長(専攻:情報科学)の長尾真氏によるもので、科学・研究にたずさわる者に対して、ある種、教育的な立場?からの解説です。
 そういった点からみて、いくつか関心を惹いた部分をご紹介します。

 まずは、「因果関係と相関関係」についてです。

 なんらかの関係がありそうな二つの事象があった場合、それらの間に「明確な因果関係=法則性がある」のか、「単に相関性が高いだけ」なのかの判別は結構難しいものです。
 普段の生活においては、どちらであっても表層的事象は似たようなものなので特段気にはなりませんが、科学的立場からはそうはいきません。
 まさに、そこが研究のコアになります。

(p38より引用) 問題はたんなる共起の相関性が高いというだけなのか、あるいはその共起の理由を深く調べていくと、ある種の因果関係が見つかるのかという疑問である。科学はつねに疑いをいだき、そこに法則性が認められるかもしれないという態度で研究を進めていくべきであろう。そして確実な因果関係を発見する努力をするのである。

 2点目は、「科学者の説明責任」についてです。

 長尾氏は、科学の著作は「解りやすい文体」で書くべきだと主張します。

(p112より引用) 多くの著者のなかには、内容を正確に表現することが必要だというもっともらしい理由から、内容をことさらむずかしい用語を用いて、しかもひじょうに複雑な文体で表現することに喜びを感じている人がいるように思われるが、これは、学問を社会に広めていくという方向には逆行している。

 ただ、この点は、科学の著作に限らず、「人に何かを伝えるための媒体」に共通に当てはまることです。

 もうひとつの主張は、「専門家としての姿勢」です。

(p173より引用) その分野の専門家といえども一般社会の一員以上の者ではありえない。一般社会人のほうに理解責任があるとしても、それ以上に専門分野の人の説明責任は大きいのである。

 このあたりは、専門家を育成する立場である長尾氏の「教育者」としての一面が強く出ています。

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16世紀の効用 (禅と日本文化(鈴木 大拙))

2006-10-05 00:08:16 | 本と雑誌

Ryoan_ji  「禅」は、当初から武士の生活・精神に密接な関係がありました。

 鎌倉時代初期、日本に最初に禅宗を伝えたといわれる栄西は、武家政権である鎌倉幕府の帰依をうけて京都に建仁寺を開きました。
 その後、禅は、足利時代・戦国時代・徳川時代と武士階級を中心に種々の影響を及ぼしました。
 特に、戦国時代には、武士階級における精神的ストレスの極度の高まりに対応し、「禅の精神」が広く深く浸透したようです。

(ア) (p54より引用) ある観点からすれば、十六世紀の日本は多くの立派な人間の標本を造りだした。国家はいわば政治的にも社会的にも寸断された。封建諸侯が日本中で互いに戦った。庶民ははなはだ苦しんだに違いないが、この武門階級の間における政治的・軍事的の覇権の争奪戦はあらゆる方法を尽して精神的・道徳的の力を極度に緊張する助けとなった。

 そういった中、戦国諸侯の中にも仏教に帰依する有力大名が次々と現れました。

(p54より引用) 生活のいろいろな方面に剛毅の気風が現れて、武士道を作る徳の大部分はこの時期に形成され、信玄と謙信は仏門諸侯の典型的な代表者であったということができよう。彼らはともに勇気があって、死に面して怯まず、戦闘のみならず領民を支配する点でも賢明にして思慮ふかく智慧があった。無智鈍感な一介の武人ではなくて、諸芸に通じ宗教心に富んでいた。

 「禅」は体験を重んじ行動を求める教えです。まさに「武士の宗教」として相応しいものでした。

(p60より引用) 禅はかならずしも霊魂の不滅や神の道の義しさや倫理的行為については彼ら(武士修禅者)と議論しなかったが、ただ合理・非合理いかなる結論にもせよ、人がそれに達したものをもって突進することを説いた。哲学は知的精神の所有者によって安全に保存せられてよい。禅は行動することを欲する。最も有効な行動は、ひとたび決心した以上、振りかえらずに進むことである。この点において禅はじつに武士の宗教である。

 この精神は、以降、武士のみならず広く一般庶民にも浸透しました。
 「ひとたび決心した以上、振りかえらずに進む」という行動規範は、時に不幸にも、先鋭的な姿として現れたのです。

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禅と日本文化 (鈴木 大拙)

2006-10-04 00:16:51 | 本と雑誌

Suzuki_daisetsu  「兵法家伝書」「五輪書」「武士道」などを読んでみると、やはり「禅」についてちょっとかじりたくなります。

 著者の鈴木大拙(すずきだいせつ 1870~1966)氏は、本名、貞太郎、石川県金沢市に生まれの仏教哲学者です。学生時代に鎌倉円覚寺の今北洪川師らについて参禅し大拙の道号を受けました。

 この本の原書(英文)は、1935-36年、英米の諸大学での鈴木大拙氏の講演を骨子としてまとめられたものです。本書において鈴木氏は、日本の諸美術・武士道の発展、儒教、茶道の興隆、芭蕉を中心とした俳句といったものを通して「禅」の精神を探っていきます。

 冒頭、「禅と日本文化」に関して、こう記されています。

(p1より引用) いまさらいうまでもないが、日本人の道徳的または修養的ないし精神的生活に関し、公明にかつ理解をもって、書いている内外権威者の多くは、禅宗が日本人の性格を築きあげる上にきわめて重要な役割を勤めたという点で、意見をひとしくしている。

Daruma  「禅」は、禅宗において悟りに至る方法です。「禅」の原則は「不立文字」だと言います。

(p7より引用) 禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)というのである。
 この点において、禅は科学、または科学的の名によって行なわれる一切の事物とは反対である。禅は体験的であり、科学は非体験的である。非体験的なるものは抽象的であり、個人的経験に対してはあまり関心を持たぬ。体験的なるものはまったく個人に属し、その人の経験を背景としなくては意義を持たぬ。科学は系統化を意味し、禅はまさにその反対である。言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合は妨げとなる。なぜであるか。言葉は代表するものであって、実体そのものではない、実体こそ、禅において最も高く評価されるものなのである。

 「禅」は、文字(言葉)による科学的論証ではなく、「直覚的知識」を重んじます。
 その点において、鈴木氏は、結果として「禅」を「近代科学精神に対峙するもの」として位置づけます。すなわち、真理がどんなものであろうと、まず身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬことが肝要なのだ、と考えるのです。

 「直覚的知識」に基づく「禅」の教え、その根本義が「一即多、多即一」です。

(p32より引用) 『一即多、多即一』という句は、まず「一」と「多」という二概念に分析して、両者の間に「即」をおくのではない。ここでは分別を働かしてはならぬ。それはそのまま受取って、そこに腰を落ちつけねばならぬ。これがここで必要ないっさいである。

 この「禅」における「直覚」が、剣術・茶道・俳諧といった日本の文化・芸術の底流をなしているのです。

(p21より引用) 非均衡性・非対称性・「一角」性・貧乏性・単純性・さび・わび・孤絶性・その他、日本のおよび文化の最も著しい特性となる同種の観念は、みなすべて「多即一、一即多」という禅の真理を中心から認識するところに発する。

(p147より引用) 剣士・茶人そのほかの各種芸道の師匠たちが了解したいろいろな専門的な諸直覚は、要するに、一つの大きな体験の各特殊な応用にすぎないとは、事実、日本人一般からかたく信じられているところである。

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「客観」 (シュリーマン旅行記清国・日本(シュリーマン))

2006-10-03 00:41:27 | 本と雑誌

 シュリーマンは必ずしも恵まれた少年時代を過ごしたわけではありませんでした。14歳から食料品雑貨商のもとで働きはじめ、その後、独学で数ヶ国語をマスターし、貿易商から考古学の道へと波乱万丈の生涯を送ることになります。

 トロイア発掘にかけた情熱、それを支えた強靭な意志、突き進むことを止めない探究心。それらの一端が、この本に記された日本訪問にも表れています。

 とりわけ、「日本」の観察・描写において、シュリーマンの素晴らしいところは、対象に向かう「客観性」です。

(p83より引用) ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。

 客観的な事実の観察と自らの感性を基軸に、「ヨーロッパの普通」と「日本の普通」とを素直に比較・評価しています。

(p84より引用) 寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。もし、正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござを用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。

 また、流石の「観察眼」も見られます。

(p141より引用) 日本の宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。

 3ヶ月という短期間の滞在で、更には、幕末という外国人にとっては身の危険もあり行動するにも極めて不自由であった中、これだけの見聞記をまとめた原動力は、やはりシュリーマンならではの情熱溢れる探究心だったのでしょう。

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発売日:1998-04

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シュリーマン旅行記清国・日本 (シュリーマン)

2006-10-01 14:13:18 | 本と雑誌

Banri_no_chojo   トロイア遺跡の発掘で世界的に有名なハインリッヒ・シュリーマンが、考古学に本格的に取り組む前、中国を経由し日本を訪れていました。

 頃は幕末、明治に変わる3年前、1865年6月1日から9月2日までの3ヶ月間の日本滞在でした。

(p213より引用) 長く滞在すればその土地が分る、というものではない。いやむしろ、反って分らなくなっていく。長く住めば、地元民と同じ眼を持つようになるからである。そしてその地元民こそが、地元の本当の長所、短所をともにもっとも知らない人びとである。それは、自分のことをもっとも知らないのが、自分自身であるのと同じである。本人はしばしば同意しないが、他人による評価のほうが、はるかに客観的で正しい。

 上記、巻末の木村尚三郎氏の解説にもありますように、短期間の滞在であったにも関わらず、シュリーマンは、「鳥の目、虫の目」で当時の中国・日本を捉え、溢れる好奇心でそれらを書きとめていきました。

 いかにもシュリーマンらしい細かな記述がそこここに見られます。

 「万里の長城」の記述は、

(p44より引用) 長城は、焼煉瓦ではなく、いぶした煉瓦でできている。藁に泥を混ぜてつくったもので、長さ六十七センチ、幅二十五センチ、厚さ十七センチ。城壁の上部は六十七センチ角、厚さ十七センチの煉瓦で張られている。敷石が失われている数ヶ所から、内部に花崗岩の塊を使用していることがわかった。・・・

 といった具合ですし、「上海の劇場」の描写は、

(p64より引用) 平土間には、いす十脚に囲まれたテーブルが六台あった。つづいて両側には、安楽椅子が十二脚と椅子三十六脚をおさめた桟敷が二つある。ホールの奥には四十四脚の椅子が二列並び、さらにその後ろに木のベンチとソファが二十二人分用意されている。・・・

という感じです。

 「確かにそうだ・・・」と思わせるのは、以下の「ちょんまげ」の解説です。

(p77より引用) 髪型も、隣人であるシナ人のそれとはずいぶん違っていた。額から頭頂部まで三インチほど剃りあげ、残りの髪は編まずにたっぷりポマードをつけて一本の白い紐で結び、さらに二.五インチくらい後方で折り曲げて頭頂部でふたたび紐で結びつけられるのである。その結果、まげ先が剃りあげた頭のちょうど中央、額から一インチほどのところで管の形で残ることとなる。

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