この写真は読売センタ-発行の「マイタウンガイド」のものです
住みたい街に選ばれる浦安市では、今日明日に盛大な浦安三社祭が行われます。
ディズニーリゾートのイメージが根付いていますが、浦安は元々は漁師町で、貝や海苔で生計をたてていました。現在の浦安市の半分以上の土地が埋め立てで、東京メトロ東西線の浦安駅と、JR京葉線の新浦安とでは、街並みの景観がだいぶ違います。
埋め立て地の新浦安駅辺りは、現在では多くのマンションが立ち並び、道幅も広く整備されています。それに比べ浦安駅辺りは、路がいりくんでいて細い路地が多く、町の真中に運河があり、昔の漁師町の名残も感じられる所も有ります。小さいながらも浦安市場もあります。そして昔ながらの町の中に、清龍神社・稲荷神社・豊受神社の三つの神社があります。
この浦安三社祭は4年に一度行われ、始まりは大正時代から受け継がれて来ました。途中様々が事情により、中断された時期も有りました。噂によると浦安のお祭は、いまは穏やかな活気のあるお祭ですが、昔はあの岸和田の過激がお祭よりも激しく、別の町内のお神輿が鉢合わせすると、そこでケンカが始まったそうです。時には気に入らない家に、お神輿ごと突っ込む事も有ったと聞きます。あまりにも過激すぎて、一時お祭を取りやめていた事もあると言っていました。
現在の浦安は、ディズニーリゾートがある事で知名度も上がり、日本全国から夢を求めてたくさんの人が集まって来ます。しかし随分前・・東葛飾郡浦安町の頃以前は、ここは東京都の外れの離れ小島で、この漁師町に来る手段は、1本の浦安橋を渡るしか、手段がありませんでした。年輩の人の話を聞くと、昔はタクシーも橋を渡りたがらなかったとか、他の土地からこの浦安町にお嫁に来る事は、結構大変だったらしいです。昔ながらの漁師町のため、気質は荒かったようです。あまり知られていませんが、浦安弁も存在します。
そんな浦安ですが、運河も整備され街もきれいになりました。そして新しい人たちがたくさん住み、新しい浦安に変わって来ました。そんな旧い物と新しい物を合わせ持った浦安が僕は好きです。
この浦安三社祭では、前回のお祭の時には、路線バスも神輿が通り過ぎるまで止まっていました。
お祭好きの方、4年に一度のこのお祭に、是非見てください。
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