雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「最期の言葉の村へ」 ③ 誰にも止めることはできない

2021-03-20 06:30:00 | 読書案内

読書案内「最期の言葉の村へ」
③ 誰にも止めることはできない
 (前回②からの続き)
 だが、……

(ランプの中の)縄の切れ端を灯心にして火をつけた。私の灯油が共給する弱い黄色のチラチラする明かりが、夜の闇を照らした。私がガンプにいないときは、商売に意欲的な村人が儲けるため町で買ってガンプに持ち帰って売った。電池式の安い中国製LEDランタンのスイッチを入れる者もいた。そういうランタンの光は青く冷たくてギラギラしている。電池の消耗が早いため、ランタンは数日しか持たない。そして熱帯雨林で電池は入手しにくい。(引用)

 最後に奪われるものは
   白い人たちが訪れるたびに、ガンプの村は豊かになり、人々は白い人たちを歓迎した。
   熱帯雨林の中の植物を採って食べ、獲物を捕らえ、さばいて食べる。
   すべての行為は自分たちのために…である。
   簡単な布、あるいは植物で編んだ物を腰の周りに巻き付けるだけの簡易なもの、
   そんなものさえ必要としない部族もいる。白い人が入ってくれば、腰の巻布は短パンに代り、
   やがて、それらは富の象徴として定着していく。
   著者が訪れたとき、彼らは泥で汚れ、よれよれになりぼろぼろの短パンを身に着けていた。
   それは、貧しさゆえにという理由からではなく、
   元来衣服に対する感覚が私たちとは異なっていて、
   白い人が持ってきた便利な物程度の意味しか持っていないのだ。
           銃を持った白い人と一緒に暴力も入ってくる。

   物と物の交換を経て、最後に彼らが交換するのは、人とお金なのだ。
           「人狩り」(という表現は著者は使用していない)が頻繁に行われる。
   白い人が熱帯雨林の村々を訪れ、
短期契約労働者として男たちが他所に集められ、
   村々から消えていく。
   プランテーションで働く労働力としてガンプ村の人々も「狩られ」ていく。  
  

プランテーションとは
 プランテーション (plantation) とは、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、国際的に取引価値の高い単一作物を大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園またはその手法をさす。 植民地主義によって推進され、歴史的には先住民や黒人奴隷などの熱帯地域に耐えうる安価な労働力が使われてきたコーヒー、カカオ、天然ゴム、サトウキビ、綿花、バナナなどが商品作物として生産され輸出される。近年では労働者の人権問題、地球環境等問題も多数内蔵している。               (ウィキペディア等を参照 加筆)

   数年後、契約労働を終えた男たちは帰ってくる。
   西洋由来の土産を持って、たとえば点かなくなった懐中電灯の電池であったり、
           鍋や釜、工場生産の布などである。
   そして、最大の土産は公用語として使われている新しい言語トク・ピシンであった。
   白い人達が訪れるたびに持ってきた物をガンプ村の人々は歓迎した。
   新しいものが入ってくるつどに村は変化し、それに伴って何かを失っていった。
   新しい物、特にトク・ピシン語を話すことは、
   彼ら契約労働者としてプランテーションで働いた者たちにとっては、
   最高のステイタスシンボルになったのに違いない。
   トク・ビシン語はまさに彼らにとって、
   新しい社会へと繋がる扉を開ける貴重な鍵だったに違いない。
   
   古いタヤップ語は、おそらく未発達の言語なのだろう。全くの想像だが、
   「美しい」という言葉には多くの意味があり、
   例えば、愛らしい、可愛い、愛しい、このましい、
   きれい、いさぎよい、さっぱりしているなど、広辞苑には多くの例が出ている。
   古代社会においてはこの「美しい」という言葉一つで表現していました。
   言語が発達し成熟してくると、言葉の意味が単純化し、
   たくさんの修飾語などでより的確な表現をするようになります。 
   ステイタスシンボルのトク・ビシン語は表現力豊かであるが、
   老人や女子供たちが話すタヤップ語は陳腐で時代遅れと若者たちは思う。
   日本語が時代の変遷の中で変遷してきたように、ガンプの村にも時代の波は
   「文明」という新しい風をもたらしたのだ。

   もう誰にも止めることはできないであろう。

かってガンプに固有だっ物の大部分はタヤッブ語が衰え始めるよりずっと前に消滅していた。情け容赦のない巨大なプルトーザーのごとく、20世紀はガンプのーそしてパプアニーユギニアのほどんとの地域のー人々が信じていたもの、作り上げていたものをすべて破壊してしまった。(引用)

      トク・ビシンが侵入するはるか前に文化の崩壊が始まった。白い人が悪いのではない。
  白い人が運んできた文明が悪いのではい。
  全ては、淘汰という原理に従った結果なのかもしれないと私は思った。

  この本の全容を紹介するには、あと何枚の用紙を用意したらいいのだろう。
  言語が淘汰されていく過程を大まかに紹介できたと思いますが、
  最後にとても辛い現実を紹介して終わりとします。

ガンプの村に現れた集団 殺戮と恐怖
  ガンプ村を訪れたのは、「白い人」ばかりではなかった。
  1942年、太平洋戦争のさなかガンプ村に訪れた集団があった。  
  ガンプの村人はその集団のために家を建ててやり、塩と交換にサンゴヤシを提供した。
  訪れた集団は最初友好的で、村人にも歓迎された。 

だがやがて兵隊は、マラリアをはじめとした熱帯性の病気にかかるようになり、、
連合国側の爆撃のため補給路が断たれると餓えはじめた。
彼らはどんどん凶暴で暴力的になり、村人は恐怖に怯えた。
(ガンプの人々は)熱帯雨林の中に逃げ込み、一年以上を逃避生活を強いられた。
それは苦難と死の期間だった。
大人の40%が流行した赤痢で亡くなった。
(死者の内の)大半が高齢者であり、トク・ビシン語を知らない人たち(タヤップ語を話す人たちだった)。
戦争を生き延びた村人の大多数はある程度のトク・ピシンの知識を有しており、
生き残った多くは流暢に話すことができた。
                  (引用・理解しやすいように少しアレンジしてあります)

  狂暴化し、多くのガンプの人々を死に追いやり、
  タヤップ語を話す人々を減少させ、トク・ビシン語の普及に拍車をかけた。

  その軍隊は日本軍であった。

  そればかりでなく、戦後キリスト教の伝道師たちは、トク・ビシン語で普及を始め、
  村人はトク・ビシンによる祈りを唱え、賛美歌を歌い、ミサに聞き入った。
  さらに、前述したように、
  契約労働者として村を出た人々によるトク・ビシンの普及も大きく影響したようだ。

最後に
  消滅危機言語は、タヤップ語ばかりでなく、根未開の地で暮らす人々の部族や地域に
  今なお数多く存在している。しかも、50年経ち、100年も経てばそのほとんどの言語は
  その存在を失くしていくだろうと著者は論を閉じている。
  文明化そのものは、悪いことではないが、それに伴い先祖から受け継いだ文化が失われ、
  消滅していき、誰にもそれを止めることはできないという現実を突きつけられて、
  私は唖然とした。
                                      (おわり)

      (読書紹介№170)                (2021.2.3記)
   

 
  

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読書案内「最期の言葉の村へ」 ② 失われていく言語・タヤップ語

2021-03-14 06:30:00 | 読書案内

最期の言葉の村へ ② 失われていく言語・タヤップ語
                ー消滅危機言語タヤップを話す人々との30年ー
      言語の消滅について
   言語が消滅するのは、突然になくなるわけではない。
   長い年月をかけて徐々に徐々に話者が減少し、
   その社会を構成する古い言葉を話す人が少なくなり、
   新しい言語に駆逐されていくのだろう。
   太平洋戦争において、日本の軍隊が占領したアジアの国々では、人々に日本語が強制された。
   日本語の教育を通じて、日本国民であるという意識を植え付けるためだったと言われています。
   植民地等で行う統治政策の一環として、
   統治国の言語を強制したのは日本だけではありませんでした。
   しかし、タヤップ言語の自然消滅は強制されることなく消滅していくところに
   大きな問題があるようです。 

その言語が「成熟して勢いを失ったからでも、より広い音韻体系や豊かな構文を持つ言語に滅ぼされたのではない。人が話さなくなったからだ」(引用)

文明という巨大な波  
   「 人が話さなくなった」タヤップ語。なぜ、人々がタヤップ語を話さなくなったのか。
  文化の進歩と社会的な発展は、孤絶した熱帯雨林のガンプ村にも押し寄せてきます。
  たった100人そこそこの村の中に発達し成熟した異文化の人間が入ってくる。
  著者のクリックが未開のこの村に最初に訪れた時、
  それまでに村を訪れた白人は、十数人に過ぎなかった。
  数人のオーストリア人行政官、ドイツ人宣教師、
カトリックの司祭数人だけのようだった。
  彼らは行政や宗教的活動を終了すると、さっさとこの地を後にし、二度と訪れなかった。

  だが、こうした村にもやがて文明の波が訪れ、村の文化は少しずつ変化していった。
  新しいものが入り、貨幣文化が少しづつ彼らの生活を変えていった。
  言語さえも例外ではなかった。

 調査に着手すると、著者は戸惑う。タヤップ語はなぜ消滅していくのか。その理由を知れば知るほど、〈文明〉側の影がちらつき「不快」となっていく  (引用)

 多数が少数を駆逐する
  50年後にはタヤップ語は完全に消滅しているだろうと、著者は危惧する。
  最初に彼が訪問した時、人口130人のうちタヤップ語を話すのは90人だった。
  30年後の現在では、200人中45人ほどだ。
  村は拡大し、言語は縮小している。
  最盛期の時でも、タヤップ語の話者はニューヨークシティの地下鉄の1両におさまるくらいだった。
  大都会の中を大勢の人々を飲み込んで走る電車のたった1両におさまった、
  タヤップ語を話す人々が運ばれていく光景を想像し、私は肌寒さを覚えた。
  多数が少数を駆逐していく構図が浮かび上がり、
  蜘蛛の巣の迷宮に迷い込んだような不安をぬぐい切れなくなった。

言語以前に消えた物
  文明から隔絶し、祖先たちから受け継いだ村の変化のない生活が良いとは言わないが、
  一端文明の恩恵にあずかってしまうと、彼らが続け守って来た熱帯雨林での生活は
  瞬く間に崩れ去ってしまう。
  必要のないものは忘れ去られ、より必要なものにとってかわられる。       
  「言語もその例外ではない」と著者は言う。
  言葉よりもはるか以前に未開の地から消えていったものがある。
  文化だ。
  文字を持たない彼らは、祖先たちが守り育てて来たものを、口伝で伝えてきた。
  それが彼らの生活を支える文化であり、規範であった。
  村の規範(ルール)は老人から若い人へと継承されていく。
  森に棲む精霊のことだったり、死者がよみがえってくる話だったり、
  死んだ老人がいかに賢い人だったかを伝えた。
  森の中に住む得体のしれない動物に追いかけられ、
  腰を抜かし小便を漏らし、脱糞した話を彼らは面白おかしく語り、伝承していった。
  「ピスピス・ペクペク・ワンタイム」(大小便を漏らす)等の話が大好きで、
  何度も繰り返し話、聞くたびに笑い転げる。

  未開の村に最初に入ってくるは、多くの場合白い人たちである。
  宗教家や探検家たちがそれぞれの思惑をもって訪れる。
  同時にキリスト教の普及と西洋由来の文物がどっと入ってくる。
  薬という魔法を使い、蔓延する皮膚病を治し、身体に入り込んだ悪魔を解熱剤で追いはらう。
  自然界に宿る神々は影を薄くし、精霊たちは姿を消す。
  ナベやカマが持ち込まれ、食生活は便利になり豊かになった。
  太陽が消えたとたん、村は真っ暗になる。

 村人は、懐中電灯の明かりと、月が出ていればその弱い光を頼りに動きまわる。懐中電灯は大半の大人が所有しているものの、電球が切れていたり、電池が切れたりしていることも多い。家では、村人は夕食を用意するのに用いた小さな炉のそばに座るか、ベランダに出て、燃えさしがまだ炎を上げている金属の器のそばに座る。(引用)

   闇が訪れれば、早々に引き上げ粗末な小屋に引き上げなければならなかった。
   金属の器は女たちを喜ばせ、団欒の時間を長くした。 
   だが、生産技術や補給手段のない文明の利器は、無用の長物になってしまう。
   彼らは、暗闇を照らさなくなった懐中電灯をみつめながら、
   暗闇を照らす魔法の棒の便利さだけを記憶の底に残す。
   次に白い人が訪れた時彼らは法外な値段の電球や電池を、
   薬草や毛皮と交換に買わせられるはめになる。
   著者が持っていった燃える水(石油)も、団欒や社交の時間を長くした。
   懐中電灯とランプはガンプ村の生活を桁違いに飛躍させた。
   だが、……
                            (つづく)
        次回③は 「文明の浸透と消滅危機言語」について、「最後に奪われるものは」、
                「ガンプの村に現れた集団」、「最後に」の章だてで紹介します。

      (読書紹介№168)                (2021.2.1記)
   

 
  
  


 

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読書案内「最期の言葉の村へ」 ①パプアニューギニア・熱帯雨林の村

2021-03-08 06:40:45 | 読書案内

読書案内「最期の言葉の村へ」 ドン・クリック//著  上原恵//訳
              ー消滅危機言語タヤップを話す人々との30年ー 
  ① パプアニューギニア・熱帯雨林の村

   いかにして古代からの言葉が消えていくのか。西欧文明が村から奪っていったものとは-。パプアニューギニアの村ガプンの人々と寝食を共にし、ネイティブ原語を30年間にわたり調査してきた言語人類学者によるルポルタージュであり、学術書ではない。

 (原書房 2020.1.25刊 第一刷)
  著者は通算30年にもわたり、言語がどのように消滅していくのか調査研究した。
  本の紹介をする前に、書かれた内容理解するため、
  調査対象となったパプアニューギニアのことを調べてみました。

 場所は、オーストラリアの北で太平洋の島国。
 面積は日本の約1.5培だが、未開の地も多い。治安も良くないようだ。
 人口は約600万人で、1㎢に12人の人口密度である。
 日本は1㎢に347人、東京は6015.7人/1㎢と比べれば一目瞭然。
 民族は多民族国家で、少人数の部族に分かれて生活している。
 部族の単位は少ない部族で数十人~数百人で、
 それぞれの部族ごとに独自の言語、習慣、伝統を持っている。
 英語が共通語だが、部族ごとの言語を持っている。
 パプアニューギニアは世界で最も言語の豊富な国といわれ、
    また世界で最も言語の消滅の危険が高い国と言われている。
            
 険しい山岳地帯、湿地帯に阻まれて部族間の交渉が少なかったこともあり、
 小さなコミュニティが独自の文化・言語を発達させ、人口が600万人に対して、
 言語の数は800以上にもなる

 そのうち130の言語の話者が200人以下であり、290の言語の話者が1000人以下である。
                                   (ウィキペディア参照)  
   調査対象となったのは、熱帯雨林の奥深くにあるガンプという村だ。
   かっては村人はタヤップ語(おそらく、ギリシャ語、中国語、ラテン語と同じくらいに古い言語)
   を話していた。
   この国は、世界中のどの国よりも多くの言語を有している。
   800万人余り(ウィキペディアでは600万人となっている)が暮らす地域に、
   1000以上の異なる言語、単に方言や変種だけでなく、まったく別の言語が存在する。
   その大半はいまだ文書に記録されておらず、多くは、500人以下の話者しかいない。
           著者のドン・クリック氏は、タヤップ語はまったく独自の言語で、
   係累がなく文字を持っていない。

現在、この言語(タヤップ語)を積極的に話すのは50人にも満たない。近い将来、タヤップ語は私がこの歳月で残した記録にしか登場しなくなるだろう。話者がいなくなり、言語が忘れられたあと、記禄だけが心霊体のごとく長い間残ることになる。(引用)

   川を船でさかのぼり、幾日もかけて森林を進んだ熱帯雨林の奥深くにどの言語とも関連していな
 いらしい言語を話す小集団があるらしい……。
  言語学者レイコックが現地人から得た情報であるが、
 この言語学者はこの小集団が住むと言われる村に行ったわけではない。
 ガンプと言われるこの村はあまりに遠く、未開の地に在ったからだ。
ガンプの村は、
20ほどの小さな家が狭い空地の真ん中にでたらめに並んでいるような無秩序な場所だった。
大量発生する蚊、ワニ、くねくね動いて人の眼の中に入って行こうとする黒いヒル、
きわめて毒性の強い蛇、果てしなく広がる泥、泥の中にひそむぎざぎざの鋸歯を持つ蔓性植物。
そして、何よりも暑い。
うだるような、情け容赦ない、頭の痛くなる、ぐったりさせる蒸し暑さに、
全身の毛穴から汗が噴き出すような劣悪な環境が彼らの生活環境である。
 身長は五フィート(約150㌢)以下、靴はなく、裸足である。
獲物を獲り、果実を採るために足は重要な道具になるのだろう。
平たく広がり、大きくて足指は物でも摑めるくらいに大きい。

 このガンプ村に著者のクリックが、最初に訪れたのは1980年代半ば、
今から34年前だった。
人類学を学ぶ大学院生として、そこで1年以上暮らすことになる。
以後、彼はこの村での研究に30年の時を費やす。
村での生活は延べ3年にもなる。
彼は述懐する。   

熱帯雨林の真ん中にある湿地の裂け目に形成された、
非常に行きにくい場所にある人口200人の村で生きるのが、
どういうことかを書いたものだ。
村に住む人々が朝食に何を食べ、どのように眠るのか。
村人がどう子供をしつけ、どんな冗談を言い合い、どんな悪態をつきあうのか。
どんな悪態をつき合うのか。
どんな恋愛をし、何を信仰し、どんなふうに口論し、どう死ぬのか……。
そしてまた、ある日どこからともなく表れて彼らの言語に興味があると言い、
しばらくのあいだうろうろする許可を求めてきた白人の人類学者をどう思っていたのか。
 その″しばらくのあいだ〟は、結局30年以上に及ぶことになった。(引用)

  熱帯雨林のなかの、
  孤絶した劣悪な生活環境の中でガンプの人々の言語がどうして消滅していくのか。
  次回は、西洋化の中で村がどのように変わっていき、
  独自の言語がどうしてガンプの村から消えようとしているのか。
  なぜ彼らが自分たちの文化の長い歴史のの過程で生まれた
  自分たちの言葉を話さなくなっていくのかを紹介します。

     (読書紹介№167)                  (2021.1.)

この本も、「誰も閲覧してない本」のコーナーに、読者を待っているかのようにひっそりと収まっていた本でした。



 

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読書案内「憂いなき街」 佐々木 譲著

2021-02-10 08:43:10 | 読書案内

読書案内「憂いなき街」 佐々木 譲著
     ジャズが流れる札幌の街に、犯罪を追う刑事たちの人間模様。

 (ハルキ文庫 2015.8刊 単行本は2014.4刊行)
    この本はタイトルと著者に惹かれた。
   「憂いなき街」。タイトルからイメージしたのは、「哀愁」という言葉だった。
   警察小説のイメージにはそぐわないタイトルに興味をひかれた。
   ブックデーターによると、北海道在住の筆者による「北海道警察シリーズの第七弾」で、
   いままでのシリーズとは趣が異なるらしい。ちょっと変わった警察ミステリー

サッポロ・シティ・ジャズについて
  初夏の札幌にジャズが流れる。7月初めから8月までの約1カ月間。サッポロ・シティ・ジャズで
  にぎわう北海道・札幌の街。実際に札幌で開催される人気イベントだ。2007年にスタートし、
  大通り公園、札幌芸術の森・野外ステージをはじめとして、札幌市内各地で開催される。
  シーズン中はプロ・アマ約300組のアーティストたちがあっまり、
  累計16万人近くのジャズ愛好家が訪れる。

  札幌市内のホテル地下のピアノ・ラウンジ。
  ピアノの音が聞こえてくる。
  生で演奏中だ。
  ジャズっぽいアレンジだが、古い恋愛映画のテーマ曲だ。
  間接照明だけの、薄暗い空間。

正面奥に黒いグランドピアノがある。弾いているのは、女性ピアニストだ。七分袖の黒いシャツにロングスカートだった。30歳くらいだろうか。短めに切った髪を振り分けている。目は大きく、南国的な顔立ちだった。(引用)

 津久井巡査部長はドアを押し部下と二人、地下のピアノ・ラウンジに降りていく。
閉店間際の宝石商が襲われ、犯人の一人が盗品の品を故買屋に売るために選ばれた場所だ。
間もなく入ってきた男に「職質」をかける。
姓名を確認し、任意同行を求める。
緊張した雰囲気に、周りの客たちの会話も途絶える。

ジャズが流れる。

津久井は会場の雰囲気を壊さない様に細心の注意を払って、
「事情聴取に協力していただけますね?」声は低いが、威圧的だ。
観念した容疑者を挟み込むようにして津久井と部下の滝本は、
ラウンジの通路脇のピアノの前を通り過ぎる。
何事もなかったように演奏は続いている。

ピアニストと目が合う。津久井は軽く会釈をし、
地上へ続くステップを容疑者を連れて上っていく。

安西奈津美・ジャズピアニストと津久井の初めての出会いである。

   二回目の出会いは、ジャズバー「ブラックバード」。
   安田というオーナーは70過ぎの元警察官で、
   四十代半ばくらいの時に小さな不始末を起こし退職している。
   いわく在りそうな元刑事の蝶ネクタイの似合うオーナ安田は、
   高校時代にトロンボーンを吹いていた。
   同じように津久井はその時期ピアノを弾いていたようだ。
   一度だけ、囮捜査の現場でピアニストとして演奏した経緯があるらしいが、
   この巻では、津久井や安田の過去は説明されない。

   ジャズバー「ブラックバード」は、
   たびたび登場し、この小説での大切な舞台になっている。
   また、全編に流れるジャズも、登場する人物や情景に雰囲気と深みを与えている。

     ブラックバードはけっしてあか抜けた内装ではない。全体にこげ茶色の暗めの
     インテリアで、昭和の時代の名残りのような古さを感じさせる。壁の腰板は塗
     
装もはげかけているし、何度も塗り直した漆喰の壁は、ところどころに剥離が
     ある。タバコの煙が、天井を変色させている。丸テーブルも椅子も、そのまま
     アンティークショップが喜んで引き取っていきそうな年代物だった。

   こんな雰囲気のあるバーで、刑事・津久井とジャズピアニスト安西奈津美の恋は芽生え、
   進行していく。
   同時に窃盗事件と殺人。それとは別にジャズフェスティバルに関わる殺人事件が発生し、
   恋の進行と事件の進行が錯綜していく。

 出会いはやがて恋のはじまりに進んで行く。
恋の始まりは次のように始まる。
ブラックバードでの二度目の出会い。
津久井はスツールに腰を下ろす奈津美をみつめていった。   

「今日もまた会えるとは思っていなかった」
 奈津美が、驚いた顔を見せた。次の瞬間、彼女の顔に隠しようのない嬉しさが走った。彼女もまた期待していたのだとわかった。津久井とこの店でもう一度会うことを。
「よければ、お酒はご馳走させてください。お好きなものを」
「いいんですか。遠慮しませんけど」と奈津美。
「お飲みになる方なんですか?」津久井が問いかける。
「仕事が終われば、うわばみのように。スコッチをロックでお願いします」
 グラスをかちりと合わせてから、奈津美はひと口めを口につけた。濃いルージュの唇がグラスに触れた。目も南国的だが、と津久井は思った。唇も南国的だ。いや、この場合は官能的と表現すべきなのだろうか。

 男と女。
 刑事とジャズピアニスト。
 何度かの出会いがあり、恋に落ちたふたり。
 いい長めの部屋。
 黒目がちの目が、いまはいたずらっぽい光をたたえて津久井を見上げている。

奈津美の背中に手をまわし、引き寄せた。首を傾けると、奈津美は目を閉じ、顎をあげて口を小さく開いた。唇を離すと、奈津美はうるんだ瞳で言った。
「明かりを消しましょう」

刑事35歳、奈津美30少し過ぎ。
恋の成就は、恋の終わりでもあり、苦悩の始まりでもあった。

宝石商の強盗・殺人事件。ジャズフェスティバルに関わる殺人事件。
二つの事件を追いながら刑事・津久井の苦悩は深まる。
薬物使用者、薬物密売、ジャズ界のプレーボーイ。
いくつかの要素があぶり出した容疑者は……………。
刑事の矜恃をかけて、奔走する津久井。

 「憂いなき街」は、とてもいい雰囲気の内にジャズフェスティバルで臨場感盛り上がる
 札幌の舞台で繰り広げられた、刑事の恋物語りとして読み進めました。
 興味のある方は、津久井と奈津美の行く末を小説で読んでほしい。
 あえて、事件の内容については説明を省いてあります。
 火曜日に事件が発生し、その日の土曜日には事件も収束し、二人の関係は終わる。

 最後の場面は、安田の「ブラックバード」だ。
 店の奥のピアノが見える。津久井が前髪をたらして、
 自分の胸のうちを探るかのように、慎重に音を選び、確かめつつ引いていた。

 ごく小さな音量で、音が漏れ聞こえてくる。少し聞いて、それがジャズのスタンダードナンバーのひとつではないかと気づいた。メロディは聞き取りにくかったが、自分は愚か者であるという意味のタイトルがついている曲。………
 切なくつらい響きだった。喪失感と後悔とにさいなまれているかのような音。これでよかったかと、繰り返しみずからに問うているかのようなピアノ。

最後の一行に登場するのは、蝶ネクタイの良く似合うブラックバードの経営者・安田だ。
こうなったら、今夜はとことんやつのブルーにつきあう。一緒に飲む。一緒にすさむ。

 いい話だ。刑事たちの友情物語でもある。
 なぜ津久井は失意のどん底に突き落とされてしまったのか。
 愛しい女を喪った喪失感と、
 彼女を守り切れなかった刑事としての不甲斐なさの二つが
 津久井の胸のうちをかけめぐっているのかもしれない。
 小説は、津久井の心境には触れず、情景描写で終わっている。
 

      「憂いなき街」というタイトルについて。
          いろいろな意味を持つ言葉ですが、これを「憂い」という言葉でまとめてしまう
          日本語っていいな。
          ① 「切なく悩ましい」
             気持ちのやり場がなく悲しみも加わりどうしていいかわからない心境
          ② 「つれない うそさむい」
             不安な気持ちの心境
          ③ 「辛くて、苦しい」
             思い通りに行かない心境。
        
      ジャズ・フェスティバルで札幌の街に高揚感が漂う。
      事件解決に尽力した津久井だが、気分は沈んで、「憂いなき街」という心境ではない。
      最後の行に描かれる津久井の気持ちは、安田の台詞に込められている。
      「こうなったら、今夜はとことんやつのブルーにつきあう」ということなのだ。
      「憂いの街」から立ち上がっていく津久井刑事の活躍を見たい。

      粋な小説で、文章では表現しきれない、情景描写が随所にちりばめられ、
      読者を飽きさせません。
      
       (読書案内№167)      (2012.1.13記)

         

 

 

 

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読書案内「JR上野駅公園口」  柳 美里著 ③妻や子を失い、故郷を捨てた

2021-02-06 06:30:00 | 読書案内

読書案内「JR上野駅公園口」  柳 美里著    
                 ③妻や子を失い、故郷を捨てた……

②を書いて(202011.29)からだいぶ時間が立ってしまったので、
ここで、②を再掲して③を進めたい。

②再掲
 カズ
が故郷に戻った7年後、カズは妻・節子を亡くした。
    雨の激しく降る夜だった。隣の布団に寝ていたカズが気づいたとき節子は
    すでに冷たい体になって、死後硬直が始まっていた。
    節子・享年65歳、カズ67歳。
    雨の夜だった。

    カズはわが身に降りかかる不幸に声をあげて泣いたに違いない、と思う反面
    働いて働いて、これから、というときに訪れたわが身の不幸に、泣くことさえ
    忘れてしまったのかもしれない。と、わたしは感情移入を膨らまし、
    この悲しい物語の先を読み進んだ。


    著者はカズの気持ちを次のように描写している。
「なんでこんな目にばっかり遭うんだべ」、と悲憤の怒りが胸底に沈められ、
 もう泣くことはできなかった。

「おめえはつくづく運がねぇどなあ」、浩一が死んだときお袋が言った言葉をかみしめ、
独りぼっちになってしまった男に、孫の麻里は優しく、足しげく訪ねてくれた。
しかし、年老いた自分のために
この可愛い21歳になったばかりの孫を縛り付けるわけにはいかない。
いつ終わるかわからない人生を生きていることが、男には怖かった。

それは、浩一と妻が、
何の予告もなく眠ったまま死んでしまったための投影からくる不安でもあった。

 またしても、雨の朝、
 カズは小さなボストンバックに身の回りのものを詰め込み、家を出た。

〈突然いなくなって、すみません。おじいさんは東京へ行きます。
この家にはもう戻りません。探さないでください。……〉

あまりにも悲しい書置きを残して。
70近くなったカズは再び東京へと旅立つ。
家族のためにその生涯のほとんどを出稼ぎに費やし、
それでも一握りの小さな幸せさえ掴むことのできなかったカズ。

今度は、誰のために働くのでもなく、
カズが自分のために最後に選んだ人生の辿る道は、
JR上野駅公園口で下車することだった。

公園口を出て少し歩けば、都会の喧騒を逃れた上野の森が現れてくる。
ある人にとっては憩いの場であり、リフレッシュの場でもある。
しかし、男にとっては、上野の森に散開するホームレスへの人生最後の転落への
哀しく辛い旅となる希望のない出発点だ。

 

家族のためにひたすら働き続け、
不器用にしか生きられなかった男の最後の選択がホームレスだなんてあまりに切なく悲しい。

『成りたくてホームレスになったものなんかいない。この公園で暮らしている大半は、もう誰かのために稼ぐ必要のない者だ』 
血縁を断ち切り、故郷を捨て、人によっては、過去や名前さえ喪って生きるホームレスの孤独。
だが作者はこれだけで物語を終わりにしない。

 東日本大震災、津波が人を押し流し、
   原発事故は故郷を汚染し男から帰る場所と過去を奪ってしまう。

 最愛の孫・麻里はどうしたか。
 今日もホームから聞こえてくる。いつもと変わらないアナウンス。
 無常の声。

 「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、
  危ないですから黄色い線までお下がりください」


  カズのように、ただひたすら働き、
 それでも底辺から這い上がることができない人。
 表現を変えれば、社会の構造がもたらす競争社会の中から必然的に生み出される格差という
 奈落に落ちてしまって浮かび上がることができない人は、少なくない。
 具体的な社会問題として浮かび上がってくるのは、
 孤独死、ひきこもり、適応障害、貧困、教育格差等々数え上げるときりがない。
 祝福されるべき誕生の時から、
 もっと遡れば、母の胎内に命の芽が宿り始めた時から
 容易ならざる環境を背負わざるを得ない苦しみや、不幸せな芽を宿してしまう場合もある。

  カズは福島から常磐線で上京し、帰郷し再び常磐線で「JR上野駅公園口」にたどり着いた。
  人生逆戻りの辛く、孤独の旅だ。
  高台になっている上野駅公園口から改札口前の道路を一本渡れば、美術館があり、
  博物館があり動物園があり、木々の森の緑の中に噴水のある憩いの水場もある。

  行き交う人々からひっそりと隠れるように「ホームレス」の段ボールハウスが、
  樹々のあいだに存在する。
  目を凝らせば、もう一人のカズがいつものベンチに座り、誰かが捨てていった
  三日前の新聞を読んでいる姿に出会うかもしれない。


 ③ 妻や子を失い故郷を捨てた

   息子を失い、妻を失ったカズのところに、孫娘が訪れ身の回りの世話をしてくれるようになった。
    カズは自分がいることで、孫娘に迷惑をかけることを怖れ、故郷フクシマを離れ、JR
上野駅公園口
         に戻って来たのだ。この駅は、カズが出稼ぎのために上京し、最初の出発点となった駅だ。
    70歳を過ぎたカズが再び降りた駅には、未来に続く線路はなかった。
    カズに残された最後に残った選択肢は、ホームレスだった。

   耳かきいっぱいの幸せすらつかめなかったカズの人生。

   孫娘はどうしたか。

   という記述(緑の文字)で、その後の孫娘のことを紹介しなかった。
   ネタバレになるとは言え小説の最期の部分を紹介しないで、
   ブログを終わりにしてしまったことは、
   作者に失礼なことではないかと、後悔し再び③として記述することにしました。

   小説の最終章は、2011.3.11。 東日本大震災の起こった日である。

   「津波来っど!
」「逃げろ!」

   孫娘の麻里は愛犬を車に乗せ、国道6号線に向かった。
   津波の黒い波が麻里の車を呑み込んだ。
   さらに、引き波に持って行かれ、孫娘と二匹の犬を載せた車は海中に沈んだ。
   水の重さを背負った闇のなかから、あの音が聞こえてきた。

   プォォォン、ゴォー、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト……
   …(略)…ゆらゆらとプラットホーム浮かび上がった。

   「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がり
    ください」
   
   小説はここで唐突に終わってしまう。作者は何故にここまでカズの人生に、
   不幸で救われない非情の鞭(むち)を振るったのだろうか。
   家族のために、妻のために、子どもたちのために、JR上野駅公園口に下り立ち、
   2番線の山手線に乗り換えたカズにとって、
   この駅のこのホームは希望の出発点になるべき駅であったはずだ。

   だが70歳を過ぎて、舞い戻って来たこの駅は夢のない終着駅なってしまった。
   にもかかわらず、プラットホームから流れてくるアナウンスは、
   カズが行こうとして果たせなかった、麻里が叶えられなかった幸せへの切符を
   手に入れる窓口として今日もたくさんの人々を運んでいるのかもしれない。

   無常感の漂う物語ではあるが、好きな小説のひとつである。
   人生は深い濃霧の中を進んで行くようなもので、
   希望の光を見つけられるのか、霧の底に沈んで方向を見失ってしまうのか、
   歩んで行かなければ誰にもわからない。
            (2021.2.5記)            (読書案内№166)


   

 

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北越雪譜 ④ 番外編 「雪国を江戸で読む」 森山 武著

2021-01-31 06:30:00 | 読書案内

 北越雪譜 ④ 番外編 「雪国を江戸で読む」近代出版文化と「北越雪譜」 
                森山 武著
  東京堂出版2020.6初版刊

    (図1)                   (図2)
 三回に渡り岩波文庫版「北越雪譜」の「雪崩人に災いす」を紹介しました。
  江戸時代の雪国で生活し、雪との戦いのなかで、人々が助け合い、
  雪国の風習を活用しながら生きる姿の一部をご理解いただけたでしょうか。
  さて今回は、「北越雪譜」が江戸で出版される経緯を(図1)から簡単に述べたいと思います。

  「雪国を江戸で読む」は、サブタイトルが示す通り、どのようにして「北越雪譜」が江戸で
  出版されベストセラーになったのかを、膨大な資料をあさり出版した本です。
  言はば「北越雪譜」に関する専門書(学術書)ですから、ごく簡単に紹介します。

      「北越雪譜」(図2)には、鈴木牧之 編撰 京山人百樹(きょうざんしんももき) 刪定(さくてい)
  岡田武松校訂と書いてあります。岡田によると『翁(牧師のこと)は稿本の 刪定(編集・まとめ)を京山に
  依頼し、挿画は翁が自筆のものを京山の子の京水が画き直したものだ』、と記録している。

  私たちは通常、北越雪譜を描いた鈴木牧之、或いは鈴木牧之の北越雪譜という表現を用いている。
  今日の多くの人にとって鈴木牧之は知っているが、江戸時代に活躍した京山は知らない人が多い。
  本当のところは、原作鈴木牧之、構成・文 京山人百樹ということなのでしょう。
  このことについて、「雪国を江戸で読む」の著者・森山 武氏は次のように引用文を載せている。              
       高橋実著の「京山と北越雪譜」からの引用文。
 (北越雪譜の成立は)校訂者としての京山の力が大きかったことを認めざるを得ない。
     越後人の感情としては、だれしも、京山の力がわずかで、牧之の自力で作り上げた本であって
     ほしいと願う気持ちがはあろう。
     しかし、当時の出版事情にうとい牧之に、それを期待すること自体無理なことであろう。
     北越雪譜は、江戸戯作者山東京山の大きな力があったことはたしかである。
     けれどもそうだからといって、鈴木牧之の存在価値はいささかも減ずることはない。
     あれだけの大著を、粘り強く、江戸人との煩わしい交渉も厭わず、
     見事に作り上げ出版して広めた点において、
     牧之はやはり非凡な人というべきであろう。
       著作者をめぐる問題で、森山 武氏は「滝沢馬琴」の手紙を紹介し次のように述べています。
    出版直後の天保8年8月付の滝沢馬琴が友人にあてた手紙で、この本は「牧之作のつもりは、
    実は京山の文」と書いています。このことが正しいのかどうかは分かりませんが、私は高橋実著
         の 「京山と北越雪譜」の解釈(前掲色字部分)を採りたいと思います。
    更に、森山氏は京山研究者の津田眞弓の研究結果を次のように引用しています。
     ……それで(京山が手を加えたとしても)原作者の牧之という人の価値が変わるわけではない。
    全ては牧之の一途な故郷への思いと、壮絶な豪雪の中の暮らしや越後の素晴らしさがなくして
    (この本)は成らなかった。
    そして彼が我慢強く注文を付け続けたから、
    京山の筆を牧之が書いたと誤解させるほどにしたのだ。
    むしろ、この二人の長いやりとりこそが、刊行された「北越雪譜」にとってじゅうようなこと。
    
……それは商品としての成功である。

     最後に、「雪国を江戸で読む」の著者・森山 武氏の文を紹介して稿を閉じます。
     北越雪譜には複雑な事情がある。この本は京山の前に馬琴が関わり、
     他に江戸の絵師・鈴木芙蓉や大阪の版元・岡田玉山などが関わっていたのだが、
     そもそも、この企画は山東京伝(江戸時代後期の浮世絵師、戯作
者)が興味を示して
     始めた企画だった。
     牧之が京伝に(出版の)可能性を打診してから、「北越雪譜」初篇の刊行まで40年が経過した。
     牧之・京山の協働が実を結ぶまで、なんと4人の中央の作家が関わり、引き受け、
     しかし中止になることを繰り返した末に成り立った本だった。
     日本出版文化史上、最も複雑な経緯を辿って生れ出た刊本のひとつである。

     私は昨年、牧之の故郷を訪ね晩秋の「牧之が歩いた道」を散策した。
     静かな山村の車の通りの少ない鄙びた道を歩きながら、やがて冬が来ればこの地を
     豪雪が被いつくし、おそらく今でもひっそりと暮らす雪国の生活が繰り広げられるのだろう
     と思いを馳せる一方で、雪との闘いに明け暮れる雪国の人々の苦労を思いながら、
     宿に向かった。

閑話休題 「一度も貸し出しされなかった本」
 「雪国を江戸で読む」(図1)は図書館で偶然見つけた本です。
 図書館には、購入したけれど、「一度も貸し出しされなかった本」と
 いうコーナーがあり、同様にさびしい運命をたどらざるを得ない本の
 一冊として展示してあった。
 一般受けしない本だが、「北越雪譜」と合わせて読むと、
 一層理解が深まります。膨大な資料を読みこみこの本を上梓した
 森山武氏に感謝です。
 ブックデーターより
  越後在住の鈴木牧之は、山東京伝・京山、曲亭馬琴ら江戸を代表する作家た
ちに自身の企画を売り込み、40年もの紆余曲折を経て、『北越雪譜』は完成した。この『北越雪譜』を巡って、素人の地方文人であった鈴木牧之と、錚々たる顔ぶれの有名作家たちとの交流を描き、牧之が『北越雪譜』の刊行を実現した背景や江戸の出版文化が垣間見える秀作。

 この図書館には「北越雪譜」は置いてなく、専門的な本書のみが蔵書
 として存在する。統一に欠ける購入の仕方である。

     (読書案内№165)         (2012.1.25記)


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北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災す ③ あるじは雪に喰われた

2021-01-27 06:24:46 | 読書案内

北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災す 
             ③ あるじは雪に喰われた
前回は雪の降る日に用事で出かけた主人(あるじ)が、夜になっても帰ってこない。村人が近隣を探すが、
  行方が分からず、遠くまで探しに行った村人たちも帰ってきたが一向に行方が知れない。
  (雪国の中で、助け合いながら生きている村人のようすや、家族の不安などが描かれ、コミュニティーをまとめる
  老人の役割などがうかがえて興味深い)

〇 かくて夜も明ければ、村の者どもはさら也聞きしほどの人々此家に群り来り、此上はとて手に手に
  小鋤を持家内の人々も後にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの
処に至りけり。
 そうこうしているうちに
夜も明けてきた。村の人たちも事態を知り昨日よりも多くの人がこの家に
 手に手に小鋤(すき)を持って集い、この家の人たちも皆のあとにに従い、昨日ある農夫が言った峠の
 雪頽(なだれ)のあとに着いた。           
 (小鋤=人力で田畑の土を掘り起こす農具の一種)

 雪頽の痕跡見てみると、それほど大きな雪頽ではない。二十間(約36㍍)に渡り雪頽は道をふさぎ、
 雪が土手のように盛り上がっていた。
 かりにここで死んだとしても、何処に遺体があるのか見当もつかないので、
 どうしようかと村人たちが思案していると、
 昨夜皆のはやる気持ちを静めて落ちつかせたあの老人が来て「良い方法がある」という。
 老人は若者をつれて近くの村に行き、
 鶏をかき集めてきて雪頽の上に解き放ち餌を与えなすがままに自由にさせると、
 一羽の鶏が羽ばたきながら時ならぬ鳴き声を上げた。
 すると、他の鶏もここに集い来て互いに泣き声を上げた。
 このやり方は水中の死骸を探すときに用いる方法を雪に応用したもので、
 この老人の機転を後々まで村人たちは語り伝えた。

 ここからは、原作の雰囲気を味わうために原文で紹介します。
 「てにおは」や句読点など一部は読みやすいように改めています。
  (堀除積雪之図) 左端に「京水筆」とあり、これは「京水百鶴」という絵描きのことである。『わたしはまだ越地に行ったことがない、越雪の詳しい景色はわからない。だからもし雪図に誤りがあっても私の認識するところではない、その誤りを編者負わせないでほしい』と正直に添え書きしている。

 老人衆にむかひ、あるじはかならずこの下にあるべし(埋もれている)
いざ掘れほらんとて大勢一度に立ちかかりて雪頽を砕きなどして、堀けるほどに、
大なる穴をなして六七尺も堀入れしが、目に見ゆるものさらになし。
(なほ)力を尽くしてほりけるに、
真白(ましろ)なる雪の中に血を染めたる雪を掘り当て、
すはやとて猶堀入れしに片腕ちぎれて首無き死骸を堀いだし、
やがて腕(かいな)はいでたれども首は出でず。
赤く染まった雪の中から、片腕がなく、首のない死骸が掘り出され、
 まもなくちぎれた腕も発見されたが、首が見つからない。
  
   昔は、地域に必ず「古老」と称され、地域のことは何でも知っている、
 特に昔からの習慣や言伝えに詳しく、
 地域のまとめ役となり、尊敬されている老人がいた。
 この
、「雪頽(なだれ)人に災す」の項でもこうした老人が活躍している。

 こはいかにとて広く穴にしたなかをあちこちほりもとめてやうやう首もいでたり、
雪中にありしゆゑ面生(おもてい)けるがごとく也。
さいぜんよりこゝにありつる妻子らこれを見るより、妻は夫が首を抱へ、
子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(な)けり、
人々もこのあはれさを見て袖をぬらさぬはなかりけり。
かくてもあられねば、妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、
世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱ぎて父の死骸に腕を添へて泪ながらにつゝみ背負(せお)はんとする時、
さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり。
妻がもちたる首をもなきからにそえてかたげければ、人々前後につきそひ、
つま子らは哭哭(なくなく)(かへ)りけるとぞ。

 こはいかに=これはどうしたことだ やうやう=ようやく 面生けるがごとく=雪の中に埋まっていたので生きているような顔だった  かくてもあらねれば=こうしてもいられないので とぞ=……ということでした

 なんとも切なくも哀しい雪との闘いに挑む雪国の物語である。特に雪深い山村では、村人間の協力がなければ生活を維持することが難しく、特別な出来事が起きれば、前例に倣いあるいは「村のしきたり」に詳しい「古老」と呼ばれる人たちに采配を仰ぐことになる。雪国のことをよく知らない江戸の庶民にとって「北越雪譜」は、別世界を目の当たりにするようで、当時ベストセラーになったのもよくわかります。

そして、この章の最後は次のように結ばれています。
 此のものがたりは牧之(ぼくし)が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。
これのみならず、なだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其の怖ろしさ、いはんかたなし。
かの死骸の頭と腕の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。

 ※ 次回は最終回 「番外編」として「雪国を江戸で読む」近世出版文化と「北越雪譜」森山 武著
   を紹介しながら、北越雪譜の成り立ちについて記述します。
   


(読書案内№164)         (2012.1.20記)

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北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災す ② あるじが帰ってこない

2021-01-21 06:30:00 | 読書案内

北越雪譜 雪頽(なだれ)人に災(わざわい)
     ②主人(あるじ)が夜になっても帰ってこない
      鈴木牧之(ぼくし)について
       江戸時代後期の商人、随筆家。越後の国魚沼郡塩沢の豪商「鈴木屋」の子として生まれる。
       19歳の時稼業の手伝いで江戸へ行き、江戸の人々が越後の雪の深さについて何も知らないこ
       とに衝撃を受ける。牧之は雪をテーマにした随筆を執筆し、これが後年「北越雪譜」に結実
       していく。雪の結晶や
 雪国の風習や苦悩などを紹介し、当時のベストセラーになった。
                                   (インターネット 江戸ガイドより抜粋)   
 吾住魚沼郡の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、
   その村の人のはなしをここに記す。
 しかれども人の不祥なれば人名を詳にせず。

現代文にすると次のようになります。
 私が住んでいる魚沼のあるところで、雪崩のために思いがけない災難で亡くなった人がいる、
と村人に聞いたのでそのことを書くことにします。しかし、不幸な出来事なので人名は
どこの誰とは書かないことにします。

   以下要約します。
     ある村に使用人も入れて10人余りの家族があり、主人(あるじ)は50歳ぐらいでその妻は
     40歳そこそこで、20歳の息子を頭に3人の子供がいた。
     いずれも孝行の子供たちだったという。

     ある年の2月のはじめ、主人用事があって出かけたが、午後の4頃になっても帰ってこない。
     そんなに暇のとれる用事ではないので、みんなはおかしいと思い20歳になる長男が使用人を
     連れて相手の家に行ってみたが、此処へは来ていないという。
     あちこち尋ねてみたが、一向に行方は分からない。
     日も暮れてきたのでやむなく家に帰り、母に仔細を報告する。
     一体どこへ行ってしまったのだろうと使用人を遣って、近隣を探すが行方が知れない。
     午前2時を過ぎても主人は帰らなかった。
     近所の人たちが集まり、どうしたものかと話し合っていると、ある老夫が来て私に心当たり
     がありますという。主人(あるじ)
の妻は喜び、子供たちも揃って礼を述べ仔細を尋ねる。
     老夫は、「私が今朝西山の峠にさしかかろうとしたとき、ここのあるじに会ったので何処に
     行くのかと聞くと、稲倉村へ行くといって去っていきました。私は宿への道を歩いていたが
     さっき通ってきた峠の方で雪頽(なだれ
)音を聞き、無事に峠を越えられたことを喜んだが、
     ここのあるじはあの峠の麓を通り過ぎることができただろうかと心配しながら、
     家へ帰りました
」といって老夫は早々に帰って行った。

     
集まった若い人たちは、そういうことなら、その雪崩のところに行って探してみようと、
     松明など用意し騒然としていると、ある老人が言った。
     「ちょっと落ち着きなさい。遠くへ捜しに行った者もまだ帰ってない。
     ここの主人が本当に雪崩に遭ったかどうかはわからない。
     さっきの農夫が不用意なことを言うから困ったもんだ」と。
     父の安否を心配し、涙ぐんでいたこの家の人たちもわずかに安堵し、酒肴(しゆこう)を出して
     皆の労をねぎらった。皆は炉辺に集まり酒を飲み始めた。
     少し経つと、遠くに行ったものも帰って来たが、やはり主人の行方は知れなかった。
                                    (つづく)
     次回はいよいよ佳境に入ります。後半の冒頭を紹介しておきます。
     〇 かくて夜も明ければ、村の者どもはさら也聞きしほどの人々此家に群り来り、此上は
       とて手に手に手に小鋤を持家内の人々も後にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの
       処に至りけり。
             (2021.1.12記)                 (読書案内№163)




 

 

 

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北越雪譜 雪崩人に災いす ① 栄村 十日町 津南町を想う

2021-01-16 06:30:00 | 読書案内

北越雪譜 雪頽(なだれ)に災(わざはい)
       ① 栄村 十日町 津南町を想う
    美しく舞い散る雪も、ここ北越塩沢の地ではすざましい自然の脅威となり、
   人々の暮らしを圧迫し つづける。著者牧之(1770-1842)は、雪とたたかい、
   雪と共に生き、雪の中に死んでゆく里人の風俗習慣や生活を、
   
雪国の動物と人間のかかわりや雪中の幽霊のような奇現象などを紹介する。
   江戸時代に書かれた雪国に暮らす人々の風俗や生活を記録した越後の文人・鈴木牧之(ぼくし)
   の作品。
    昭和12年の岡田氏の序文によると
   「天保6(1830)年頃」には世に出たのではないかと推測しています。
   昭和になって活字本が発行されました。岩波文庫です。
   1936(昭和11)年 第1刷発行
   1978(昭和53)年 第22刷改訂版発行
   2004(平成16)年 第59刷発行
      一刷の発行部数がどのくらいなのか解りませんが、
      隠れたベストセラーといっても過言ではないと思います。
            
      私は、「北越雪譜」に魅せられ、2年続けて越後の豪雪地帯を訪れました。
      残念なことに、冬のではなく、晩秋の北越です。
      雪にあまり縁のない関東に育った私は、
      寒さに弱く車での訪問には、危険が伴う恐れがあるからです。
      冬の寒さが募ってくると、北の国から雪の便りが聞こえてきます。
      今年は豪雪地帯からの、近年にない豪雪のニュースが連日報道されています。
      その度に、あの谷間の集落はどうなっているのだろう。
      『冬は嫌だ―」と言っていた連れ合いを失くした家で一人暮らしをしていた
      おばあさん、一昨年雪で凍結した道路で転び、
      今でも骨折した部分が痛むと言っていた。
      人里近くまで降りてきた小熊や、
      私の背後の崖の藪を勢いよく駆けおりて来て、
      私を驚かせたニホンカモシカたちはどうしているだろうか。
      思いを巡らせながらこの記事を書いている。

  「北越雪譜」の紹介の前に、雪国の住宅を紹介します。

 落雪式住宅
   屋根の勾配を急にして、雪が自然に滑り落ちるようにしてあります。
   従って、「雪のすべり止め」はつけていません。
   落雪住宅の多くは、写真のように3階建てになっています。
   一階はコンクリートで作られていて、車庫や物置として利用しています。
   二階、三階がリビングになっています。
   屋根の雪が落下して家の側面を被いつくしてしまい太陽光が室内に入らず、
   室温が低くなってしまうことを考慮した構造になっています。二階部分に階段をつけ
   玄関を二階にしているのも理解できます。
   こうした「落石式住宅」は、昭和40年代中頃から普及したようです。
  
    
  
 
雪囲い
   
1階の窓などをそのままにしておくと、ふってきた雪や、雪おろしで投げすてられた雪、
           屋根からすべり落
ちてきた雪によって1階の窓ガラスがわれてしまう危険性(きけんせい)が
   あります。そこで、窓ガラスが
われないように、1階の窓の外に横板(よこいた)をならべます。
   これを雪囲(かこい)といいます。

   かんたんに板の取りつけ取り外しができるように、柱には金具が取りつけられ、そのフックに
   横板を載せるだけなので、簡単に取り外しができます。



    車庫
      雪国の車庫は、雪の重みにたえられるように、カマボコ型になっているものがあります。
      内部はがんじょうな鉄骨(てっこつ)のほねぐみになっていて、つもった雪は、
      屋根のてっぺんから左右にすべりおちるため、雪に押しつぶされることもありません。


  地域によっては、家の周りに水を引いて積もった雪や屋根から落ちた雪を溶かすための、「融水池」
  を設けているところまあります。主として山間部に多い。

  晩秋に訪れると、一階から二階に届く長いはしごが立てかけられている家が少なくない。
  雪下ろしの備えでしょう。
  私にとっては、遠い他国の風景を見ているようで、長旅の疲れが癒され、
  まるで故郷に帰ってきたような気持ちになります。
                       (住宅の説明は十日町市HPを参考にした)
                 前置きが長くなってしまいました。次回は「北越雪譜」の雪崩人に災すを紹介します。

                                                                                     (つづく)
           (2021.1.11記)     (読書案内№163 )

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読書案内「慈雨」 柚月裕子著

2020-12-23 06:30:00 | 読書案内

読書紹介「慈雨」 柚月裕子著
     悔恨と再生。「自分は人生で二度逃げた」
  一度目は子供の頃、親友が陰湿ないじめに遭い神場は彼を救うことができなかった。
 いじめのリーダーは地域の有力者の息子だった。普段から道徳や友情について口煩く注意している担任
 に相談しようと決心する。が、神場が相談する以前に担任はいじめを知っていて、見て見ぬふりをして
 いたことを知り、神場は「親友のいじめ」から逃げた。
  二度目は16年前少女殺害事件だった。
 
 定年と同時に、妻香代子と一緒に四国八十八カ所を巡る巡礼の旅に出かけた元刑事神場(じんば)。
  
 警察官として自分が関係した事件の被害者を供養するための巡礼の旅であり、
  同時に自分の生き方を考える旅でもあった。

 「慈雨」というタイトルと表紙のデザインに惹きつけられ購入した(私の悪い癖です)。
 「慈雨」= やさしく、ものを慈しみ育てる雨。
  雨が降っている石段を上るトレンチコートの男が向かう先、濃い雨雲の垂れこめる行く先に、
  雨あがりを暗示する明かりがさしている。
  雨は「慈雨」となり、元刑事・神場に降り注ぎ、悔恨と再生の物語は幕を閉ざす。
  イメージを膨らませページを読み進んだ。

著者は執筆の動機を次のように語っている。
 「元々私は何かしら後悔を抱えた人が生き直す、、、、、再生の物語が書きたくて、神場夫婦を巡礼に行かせたんです。42年の警官生活に終止符を打った元刑事が妻〈香代子〉と歩く中で、胸に去来する思いだったり、前に進むには決着をつけなきゃならない過去だったりを、それこそ60年の人生分、追ってみようと思いました」

 残念ながら、私には著者の思いを十分に汲み取ることができなかった。
 読者として、良い読者になれなかったようです。
 「被害者たちを供養する巡礼の旅」であるはずなのに、
 元刑事神場は次のように思い、迷いから抜け出せない。

本人に非がなくとも、……ぼろぼろになり朽ち果てる者がいる。天災、人災を問わず、
人生の半ばで命を奪われるものもいる。……無残な形で命を落とした者を、数多く見てきた。
そうした被害者を思い出すたびに願をかけることに何の意味があるのだ、という思いが募ってきた。
そもそもこの巡礼に、意味はあるのか……。
被害者を救えなかった自分への、慰めに過ぎないのではないか。
単なる自己満足ではないのか。(引用)


 16年前の事件が定年後の今でも、神場の心に滓(おり)のようにまとい付き脳裏から離れることがない。
 6歳になる少女が凌辱され殺された事件だ。
 地元に住む男が被疑者として挙がった。あらゆる状況が男の犯行であることを示唆していた。
 男は一貫して無実を主張したが、DNA型鑑定が決め手となり懲役20年の判決を受けた。
 事件は落着したが、神場を含む一部の捜査員の中には疑問を呈する者がいたが、
 捜査の成り行きは、男を犯人とした。
 なぜ神場たちが疑問に思うか、その疑問点は小説の中で挙げられているが、
 決定的なネタバレになりかねないのでここでは触れることができない。
 縦割り権力組織の階級社会なかで、その大勢が指し示す結論に異議申し立てする勇気のなかったのは
 仕方のないことだと思う。
 新たな証拠を提示し、再捜査の申請をするが、上層部はこれを却下する。
 警察組織への威信が崩れることを怖れ申請は却下され、神場は沈黙する以外に術がなかった。
 神場にとってそれは、砂を噛む様なおもいだったに違いない。

 
 在職していた群馬県で7歳の少女が拉致され、山中で遺体となって発見される。
 旅先の巡礼宿のテレビで見た神場は、
 16年前に自分が担当した少女殺害事件に思いを馳せ、事件の類似性に気づき、
 再び事件に介入することになる。

  犯行に使用された、軽ワゴン車の行方が分からない。16年前にも犯行に使われたのは、
 白い軽ワゴン車だった。捜査は暗礁に乗り上げる。が、行方のしれない軽ワゴン車が、
 神場のアドバイスにより発見された。
 事件解明の重要なポイントであった軽ワゴンのトリックは、
 
何度か映画やドラマで使用されたトリックで、私はちょっとがっかりした。

 16年前の事件と現在の事件が一つに重なり、全容が見えてくる。

 忸怩(じくじ)たる思いで事件に関わる刑事だが、現職で活躍する16年前事件担当者だった神場の上司と
 元刑事の神場の責任の取り方が、なんとも切なく思えてくる。

  小説の最後の数行は次のように結ばれています。
    晴れた空から、雨粒が落ちてくる。雷雨でも、豪雨でもない。優しく降り注ぐ、慈しみの雨。
    慈雨だ。
    神場は香代子を見た。
    瞳を交わしたまま、自然と手を取り合う。
    結願寺は、すぐそこだ。
    神場は香代子の手を握りしめ、雨の中をゆっくりと歩きだした。(引用)
            ここで読者は、本の表紙がこの最後の場面をイメージしていることに気づく。
            この小説にあまり良い評価はできなかったが、30万部を超す売り上げ部数は
            多くの読者を獲得していることの証でもある。

      (読書案内№162)                         (2020.12.23記
)    



参考資料: 刑事訴訟における一事不再理
               刑事
事件では、審判の対象が過去に行われたとされる犯罪行為であるか
               ら、一事不再理の原則が貫徹する。つまり、有罪・無罪の判決、免訴の
               判決が確定すると、その事件について再度責任を問われることはなく
               (憲法39条)、確定判決があるのに同一事件についてふたたび公訴が提
               起されると、免訴の判決が言い渡される(刑事訴訟法337条1号)。

               「慈雨」は一事不再理については記述されてませんが、参考のため掲載
               しました。
               
               一事不再理に関した小説に松本清張の短編「一年半待て」があります。

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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