仙台空港近辺(名取市)(2)
ARIGATO(アリガトウ)
その日のうちに滑走路のうち1500メートルを確保し、
土砂や瓦礫の除去作業が完了し、自衛隊の防災ヘリの離着陸が可能になった。
20日には米軍のMC-130万能中型輸送機で重機などを現地に持ち込み、
滑走路の一部使用が可能になり、C-17軍用長距離大型輸送機を着陸させた。
以後、米軍が空輸してきた支援物資を陸自の輸送車両が運ぶ共同作業を継続して行い、
燃料や水・食糧の大量輸送が本格化し、
仙台空港は東北各地の被災地への支援物資供給の拠点となった。
任務終了間際の2011年4月3日、
米空軍大佐ロバート・トス(沖縄県嘉手納基地所属)は、
同空港に着陸しようとした際、
滑走路から800メートル離れた砂浜に、
松の大木を並べたARIGATOのメッセージを発見した。
「苦境の真っただ中にありながらも、感謝の気持ちを示す日本人に心を打たれた」
と、ワシントン時事通信は、ロバート・トスの言葉を伝える。
3月16日以後の3週間で米陸軍部隊など約270人が復旧作業に従事、
救援物資1,140トン、燃料約5万7000リットルが仙台空港経由で被災地に搬入された。
仙台空港の管制業務は(2011年)4月1日に、日本側に引き継がれ、
同13日に旅客便の就航が再開された。
一部再開ではあるがねたった3週間での再開の裏に、
自衛隊、米軍の不眠不休の活動があったことを忘れてはならない。
また、後日判明した、「ARIGATO」のメッセージは一人の青年の行為によるもので、
彼は直接仙台空港の米軍支援部隊に行き、
感謝の手紙を渡し、
その際の米軍の丁重な対応に感動し、
「ARIGATO」のメッセージとなった、とのことです。
( 写真は被災当時の仙台空港)
(つづく)
(次は松島・東松島(奥松島)を予定してます。)