仙台空港近辺(名取市) (1)
3月25日、止むにやまれぬ思いで、被災地に向かう。
津波に襲われた被災の状況を自分の目で確かめたい。
友人夫妻の願いを叶えるべく、朝、5時、我が家を出発。
北関東自動車道→常磐道→磐越道→東北道と車を進め、
仙台南道路際の名取川に沿って海岸に向かう。
この川を津波が遡ってきたという。
いまだに川の水が濁り、1年前のすさましさの名残を残している。
近くに仙台空港があるからなのだろう、道路はよく整備されており、有料道路が多い。
1年前津波は、海に近い空港をも飲み込み、空港は壊滅状態になった。
空港職員の知人は、水の引いた後、空港から避難を始め、
避難路の付近に横たわる多くの遺体を眺めたその日の光景が今も、
鮮明に脳裏に焼き付いているという。
この空港は海岸から1キロメーターしか離れておらず、
津波は海岸の砂を巻き上げ、防風林の松林をなぎ倒し、
空港を含む仙台平野を襲った。
高台などどこにも見当たらない。
ただひたすら遠くへ、津波に追われながらの逃避行。
名取市は1000名を超える犠牲者を出した。
その日、仙台空港を襲った津波はすさましい勢いで仙台平野をなめつくしたのだろう。
『海岸部に遺体300人、空港屋上に1300人避難』とメディアは伝える。
『何千もの潰れた車両、折れ曲がった飛行機、根こそぎにされた木々、倒壊した家々、
水、砂、魚介などが散乱し、機能が停止した空港……』と、
米空軍大佐・ロバート・P・トス総合特殊作戦隊司令官は、
2011年3月16日に空港に到着した印象を語っている。
日米二国間協議により、自衛隊、合衆国空軍、海兵隊、陸軍、海軍等が、
震災5日後の16日には、復興支援活動を開始した。
迅速な対応である。
「トモダチ作戦」を表明する米軍の活躍は、
目を見張るものがあった。
(つづく)