原発・風の行方(17) 第二部(6)
「仮の町構想」(1) 故郷を追われて
福島第一原発事故が起きてから一年と八カ月が過ぎた。
見えない敵に追われるようにして、故郷を捨て、異郷の地に暮らす人々に、
「仮の町構想」の計画が検討されている。
対象は福島第一原発から20㌔圏内にあり、今なお放射線量が高く、
全員避難を余儀なくされている地域で、
双葉郡富岡、大熊、双葉、浪江の4町が「仮の町構想」に前向きな姿勢を示している。
これら4町は既に今後「5年間は帰還しない」という方針を打ち出している。
苦渋の選択である。
「5年間は帰還しない」という言葉に強い「意志」と「決意」が感じられる。
だが、事故を起こした原子炉の廃炉は40年かかるという、
5年で帰還出来るのかどうか。
「5年(原発事故から6年目)経ったら還れるのか」
避難住民の誰もが言葉には出さないが、
不安を隠しきれない放射性物質汚染の現実が横たわっている。
(写真・ASAHI SHIMBUN DIGTALより「消えた村」168の記憶)
チェリノブイリ原発事故は、
26年経った現在でも周囲30㌔圏は立ち入り制限区域に指定され、
動植物の繁茂する人を寄せ付けない「緑の荒野」と化している。
ウクライナ政府によれば、事故の影響は深刻で、
186の村が消えたという。
チェリノブイリ市中央広場には、
「消えた村」の名が記された186本の立て札が並ぶ(写真)。
186という数字が事故のすさまじさを物語っている。
原発の約2㌔手前、「コバチ村」跡。
「住民1114人が1986年5月3日に避難した」と看板が立つ。
26年後の現在も避難した住民は帰れない。
汚染された「緑の荒野」に人は住めない。
(つづく)
参考資料THE ASAHI SHIMBUN DIGITAL 消えた村168の記憶