雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

哀歌 翔よ!! (5) 足音(2)

2014-02-24 22:39:55 | 翔の哀歌

哀歌 翔よ!! (5)

足 音 (2)

 夜半に目が覚める。

あの、トコトコという足音と幼児の話し声が聞こえる。

足音で目が覚めるのか、目が覚めてから足音が聞えるのか、私には判別がつかない。

しかし、足音は確実に聞こえてくる。もはやこれは幻聴ではない。

 

 この足音は、翔の足音だ。

何度も聞くうちに、確信となり、「今夜も翔が逢いに来てくれた」と、

私は、階下の足音と話し声に耳を澄まし、布団の中で安堵の胸を撫で下ろし、

いつの間にか浅いまどろみの中から、夜明けを迎え、悲しい一日が始まるのだ。

 

 なぜ幼児の翔なのか。

夢の中には現れない翔が、幼児の足音と声で、

翔が育った安曇野の家や茨城の私の家にたびたび訪れるのか。

あどけない笑顔を浮かべ、「じいちゃん、じいちゃん」を連発した、

もっとも可愛い時期の、翔の思い出は多い。

 

 その頃私たち祖父母も若く、頻繁に安曇野通いをしていた時期である。

日曜日の保育園の園庭で何の屈託もなく駆け回り、ブランコに乗り、スベリ台を得意げに滑って見せる。

天真爛漫の翔だった。

 成長を重ね、声変わりの始まった中学生の翔とは異なる、可愛さ、愛しさがあり、

私たちは幸せの絶頂にいた。

10年も前の話である。

 

 彼と繋がる想い出のアルバムは、ページを遡ればさかのぼるほど、数が増え、

鮮明に記憶の襞(ひだ)から浮かび上がってくる。

お世辞にも上手とは言えないピアノを弾いてみせる翔。

安曇野を離れ、自宅に向かう私たち夫婦の車を、家族全員が見送るなか、

走り出す車の後を、手を振りながら力の限り追いかけてくる翔。

後ろ髪惹かれる思いで安曇野を後にする私たちだった。

 

 愛するものを失い、嘆き悲しみ、深い喪失感に沈む私に、

「じいちゃん、ぼくは元気だよ」と、

励まし、元気づける夜半の足音と話し声なのか、

寂寥感が広がり、私は暗闇の中で耳を澄まし、いつのまにか浅い眠りに入っていく。      (2月記)

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