いじめ 相変わらず「保身の術」
いじめ問題が表面化すると、
相変わらず「見ぬふりをする」、
「気がつかなかった」などの学校や担任の無責任な行為が改善されないことがわかる。。
校長は自分が在任中に問題を起こしたくない。
担任は「知らなかった」ということで責任逃れをしようとする。
いじめが、被害児童の両親等により表面化され、社会的な問題として報道されない限り、
解決の糸口が見えない。
「自己保身」という厄介なものがあるから、「隠蔽」の体質がいつまで経っても改善されない。
教育に携わる者が、自己保身に囚われてしまえば、
その時点で「教育の理念」はなし崩しに失われてしまう。
生徒との信頼関係もなし崩しに失われてしまう。
教壇に立って、どんな正しい教育理念を語っても、
信頼関係の失われた現場では、言葉だけが空回りしてしまう。
最近の「いじめ」報道から2題を紹介します。
① 神奈川県茅ケ崎市立小学校
いじめで不登校になったと両親が訴え、担任は学校の聞き取りに、いじめに気づかなかったと説明。
学校側(校長)もこれを認めた。
しかし、第三者委の調査によれば、担任だった女性教論は、「いじめを見て見ぬふりをした」と説明。
調査が進むに従い教師としてあるまじき行為が判明。
「注意するのが面倒になった」と告白。
4年生の男子児童(10)は、学校に通えなくなり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。
第三者委は、担任が適切な対応をせず、学校も組織的な対応が不十分だったと報告書を市教委に答申した。
② 沖縄県豊見城(とみぐすく)市の小学校
「日常的に繰り返されたいじめが自死の主たる要因の一つ」と、第三者委は調査報告書の答申を公表。
小学4年の男児(9)は、
自殺を図る直前に学校が行った定期アンケートに「いつもいじわるをされている」と記していたが、
学校はこのことについて具体的な対応を取らなかった。
もう少し具体的に紹介すると、「いじわるされている。どうすればいいんですか」。
児童のSOSだ。
命の叫びだ。
これに対して学校は「トラブルであり、いじめではない」と判断し、何の対応も取らなかった。
一歩譲って「トラブルであり、いじめではない」と判断したとしても、
トラブルの内容すら把握することなく放置した無神経な姿勢は決して許されない。
定期アンケートてあるが、規則通り、マニュアル通りに実施して、
実施したという実績だけを残すようなアンケートなら全く意味がない。
児童は担任にも相談していたが、学校は具体的な対応を取らなかった。
「これまで学校や市教委から誠意のある対応はなかった」と、遺族はコメントしている。
第三者委員会は調査報告の答申書の中で、適切な対応を怠った学校側を
「自らを正当化し、保身を図る行為であり、教育者としてあってはならない」と厳しく批判している。
学校という密室の中で繰り広げられる、「正当化と自己保身」が無くならなければ、
児童の健全な発達をうながすことはできないし、基本的な教育の 充実は望めないと思います。
(2018.4.9記) (昨日の風 今日の風№91)