悪いものは悪い…… 共感と受容
会津藩には、「什の掟」という六歳から九歳までの藩士の子どもたちに向けた教えがあります。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
現代ではそぐわない教えもありますが、
会津武士として成長していく子どもが守らなければならない「什の掟」です。
「什」とは、地区ごとに集まる10人前後の子供たちの集まりという意味だそうです。
「什」によって内容は少し違っていたようです。
各教えは「なりませぬ」で統一され、最後は「ならぬことはならぬものです」と締めくくられています。
「会津の武士の子どもはこうあるべきだ」というこの教えは、問答無用なのです。
「ならぬものはならぬのです」と、掟の教えの絶対性を強調しているのでしょう。
現実社会においては、
「悪いものは悪い」という常識的一般論があります。
法を犯すものに対しては、厳しい法による制裁が加えられます。
大人の社会で通用する論理です。
時によっては、問答無用で切り捨てなければならない事例もあります。
この考え方の根底には、自己責任、
つまり自分でしたことは自分で責任を取るという社会の責任があるからです。
しかし、社会福祉の世界や、精神の発達途上ある児童に対しては、
自己責任という意識が十分に発達していない段階にあるわけですから、
一般論を押し付けても、自己満足に陥ってしまう場合が多いのです。
常識的一般論で誰にでもできることです。
対象とする事例を「一緒に解決しよう」という姿勢がなければ、閉ざされた心はなかなか開いてくれません。
「相手の話をよく聞く」という「傾聴」という姿勢が必要となります。
その上で、相手のあるがままの姿を認めることが必要になります。
これを、「受容」といいます。
社会福祉やカウンセラーに携わるひとに要求される基本姿勢です。
私たちは人が好ましくない行動や行為をしたときに、その行動や行為を否定するところから
相手へのコミュニケーションを試みようとしますが、
否定するということは相手を否定することにつながってしまう場合もあります。
心の問題を解決するとき、「なぜ」「とうして」という観点から相手の気持ちに沿うようにして、
解決の糸口を一緒になって見つけられるよう進めなければなりません。
ここに、「共感」という姿勢が生まれます。
相手の痛みを自分の痛みとして感じ取れるような感性が必要になります。
この感性の乏しい人は、社会福祉やカウンセリングが必要となる職業に
就くことは望ましくありません。
「共感」とは相手と同一視線に立つということです。
上から目線や常識的一般論が通用し難い社会であることを忘れないでほしいと思います。
今日一日元気で過ごすことができたなら、
明日も元気に過ごせるという小さな希望が育つ社会であってほしいと思う。
(2019.12.5記) (つれづれに……心もよう№97)