描かれた仏たち あや絵作家・川崎是空と
日本画家・田中嘉三
あや絵作家・川崎是空の作品
聖観音
四天王
不動明王 孔雀明王
釈迦三尊
「あや絵」(下記に説明文あり)という技法で製作された作品だが、
写真ではとてもその美しさを伝えることはできない。
粒子のように画面全体にきらきら光っている輝きは、
過去に幾多の芸術家や仏師たちが求めてやまなかった後光の美しさを具現したような美しさを秘めている。
この色彩感覚が見る人の心を捉えて離さない。
華麗な輝きとそこから醸し出るやさしさに私は、
「聖観音」や「不動明王」の作品の前から動くことができなかった。
川崎是空 (かわさき ぜくう 1922-2014) 着物染色作家の川崎是空(本名 一與四)は、
大正11年、石川県に生まれた。
京都西陣織図案見習いを経て昭和23年に上京し、着物染色の道を選んだ。
東京在住の染色家たちによって現在の常総市坂手町に水海道染色村の設立が計画されると、
昭和49年の先発隊12世帯の一人として移住し、以後この地で染色作家として創作活動を続けた。
自身が考案した「あや絵」は、佐賀錦の白生地を図に従って染色し、
それを裁断してパネルに貼り合わせて制作した絵画で、
照明や見る角度によって様々な雰囲気を醸し出し、独特の立体感を表現する。
染色の技術を発展させ、約30年にわたって自らが創作した「あや絵」の美を追求し続けた川崎は、
平成26年7月、92歳の天寿を全うした。 (企画展パンフレットから引用)
日本画家 田中嘉三の作品
仏陀と弟子
憤怒像
大仏殿炎上
下図はトリミングしたものです。左下、燃えさかる大仏仏殿に攻め入って来た
武士の姿が見える。抜き身の刀を肩にかついで、大仏殿に駆けこもうとしてい
る。右側・半開きになった大扉の下に炎と黒煙に巻かれた大仏に対座している
僧の姿が見える。おそらく大半の僧が阿鼻叫喚の中を逃げ去り、一番乗りで侵
入する敵兵と僧以外に人の姿は見当たらない。
渦巻く黒鉛と黒煙に巻かれた大仏に向かって、身じろぎもせず、読経する僧の
姿が印象的である。
また、二人の人物と大仏を描くことで、大仏の大きさ(偉大さ)と人間の卑小さ
(愚かさ)さえ表しているように見える。
八部衆
八部衆は仏法を守護する八神。仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に 帰依し、護法善神となったものである。十大弟子と共に釈迦如来の眷属を務める。なじみの深いものは夜叉(鬼神)、阿修羅(戦闘神)などがある。残念ながらこの絵の中の八神を特定するだけの知識が私にはない。
田中嘉三 (たなか かぞう 1909-1967) 日本画家・田中嘉三は、明治42年に現在の笠間市に生まれた。 幼少のころから絵に親しみ、14歳から同郷の日本美術院同人・木村武山に日本画を学び、 武山の逝去後は奥村土牛に師事。昭和4年の第14回日本美術院試作展、 同12年の再興第24回日本美術院展(院展)に初入選を果たしてからは院展を主な発表の場として活躍、 昭和23年の再興第33回院展に出品した「一字金輪仏」は院賞首席を受賞した。 そのひたむきな創作姿勢から生み出される作品は洗練された画面に穏やかな雰囲気を漂わせ、 多くの人に安らぎを与えた。しかし、さらなる円熟を期待される中、 昭和42年、春の院展に「胎蔵諸尊」を出品したのち、病により58歳でその生涯を閉じた。 (企画展パンフレットから引用)
華麗な「あや絵」の川崎是空と、静かな清澄感漂う田中嘉三。
どちらも茨城に関わりのある二人の作品に癒されたひと時でした。
(画像は企画展パンフレットより引用)
(つれづれに…心もよう№99)