今年の年賀状 懐かしいチャルメラの音
謹賀新年
新しい年を迎えた元旦に、穏やかな朝が訪れました。
小さな幸せの朝を迎える事ができました。
(夜泣きそば屋の図)
江戸の夜は陽が落ちると、人通りも途絶え漆黒の闇が街をつつみます。
油皿のなかに立てた燈心の火が、行燈のなかに入り込む隙間風にチリリと小さな音を立てる。
ほんのわずか辺りがぼんやりと明るくなる。
灯りに誘われるように腹をすかした人たちが集まって来る。
二八蕎麦、一杯十六文。
夜泣きそば屋が、
一杯の蕎麦といっしょに、
行燈から漏れる灯りのゆらぎがかもしだす「暖」を提供していたのでしょう。
チャルメラの音が暗い夜の町に流れてくる。
もうそろそろ子どもたちが床に入る時間だ。
何とも物哀しい音色が、記憶のヒダに刻まれ、
今では全く聞かれなくなったチャルメラの音を懐かしく思い出します。
30年近く前、熱海温泉に泊まった夜、
あの懐かしいチャルメラの音が聞こえた。
私は飛び起き、海岸通りのただ一軒の屋台に飛び込んだ。
懐かしいチャルメラの音と昔の鶏がらスープの中華そばを、
潮騒の音を聞きながらフウフウ息を吹きかけて胃袋に流し込んだ。
小さな焼きのり1枚と薄く切ったナルト、シナチク、輪切りにしたゆで卵。
シンプルな具とさっぱりしたスープが絶品だった。
まだ、スーパーもなく、コンビニもない時代、
小さなラーメン屋が近くにあり、
あまり流行らないラーメン屋の親父は暇を持て余し、
店の客用のテーブルに座り、ド近眼のメガネをかけて、
いつも新聞をなめるように読んでいた。
母に連れられて食べたラーメンの味を、
私は熱海の屋台で味わうことができたのだ。
いまよりは、時間がゆるやかに流れていた時代の懐かしい味だった。
今は、「来々軒」のお店もない。
めでたさも中ぐらいなりおらが春 一茶
家庭や親族に恵まれなかった一茶が残した
孤独の境涯の中で見つけた小さな幸せです。
(つれづれに……心もよう№121) (2022.1.1記)