雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 ⑥悲劇の夜が近づいてくる

2023-08-05 06:30:00 | 語り継ぐ戦争の証言

海に消えた対馬丸・学童疎開の悲劇 
                ⑥ 悲劇の夜が近づいてくる
   834人の学童を含む1661人の疎開者たちと、

 
船舶砲兵隊員41人、船員86人、合計1788人を乗せた対馬丸は

 他の疎開船和浦(わうら)丸、暁空丸(ぎょうくう)と共に砲艦「宇治」と駆逐艦(護衛艦)「蓮」に護られて、

 1944(昭和19)年8月21日午後6時35分那覇港を出港した。

  ドラを鳴らし、テープを投げ合う旅立ちを祝福するセレモニーはなかった。

鹿児島までの3日間の航海です。

8月22日の朝、周辺海域は台風の影響で風が強く、

老朽船の對馬丸は船団の速度についていけず、

しだいに遅れはじめ、これを見守るように護衛艦「蓮」が対馬丸の後ろをついていきます。

 こうして、22日も無事に終わろうとしていました。

後、2日たったら本土鹿児島に到着する。

親たちとの別れは悲しかったが、

児童たちはまるで修学旅行気分でなかなか寝付かれない旅を、

暗くて、汗臭い異臭の立ち込める船倉で過ごしていた。

 航海一日目、学校関係者や親たちの心配と不安とは別に、

児童たちの興奮でなかなか眠れない夜が訪れる。

 老朽船對馬丸は、先行する「和浦丸」や「暁空丸」の速度についていけず、

船団の最後尾を、不規則なエンジンの音を響かせながら

護衛艦「蓮」に護られ、台風の接近に伴う風の影響を受けながら、

夜の海を目的地の「博多港」に向かって航行していた。
                                                                    (つづく)
 (語り継ぐ戦争の証言№30)                           (2023.8.4記)

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