松のある風景 ①随筆に描写された古き鎌倉
鎌倉の景観をつくりなしているものに松がある、あったという方が正解かもしれぬ。
そのせいか、ここには昔から名ある老松が多かった。
ゆるぎの松、琴弾松、諏訪の松、弓立松などなど数えたてればきりがない。
若宮大路の松並木を海岸へたどると、木漏れ日の散らばる道の彼方にぽっかり白く、低い砂山が見え、
そのまた向こうに海が、波が眩しく光っていた。
海岸に出ると、砂丘の後ろにつづく松林は防砂林だったのだろう、
一様にかしいで低く枝を伸ばしていた。
初夏の雨後など松の花粉が砂地に淡黄いろく不規則な模様や縞を描いた。
町の背後を囲う山並みの尾根にも松が目立つ。細い山径に敷きつめたように枯松葉が積もって、
ともすれば足を取られる。
それにしても、松の少なくなったこの町のあっけからんとした明るさは、却って侘しい。
赤煉瓦のガードをくぐって江ノ電が、若宮大路に濃く影を落とす松並木に沿って、
町役場前の小町終点ごとごと走っていた頃の、どこかしつとりとした陰影がたくさんあった時代が、
ふとなつかしくなる。
一カ月もブログ投稿を休んでしまった。
特に理由があったわけではないが、畑作業がいそがしく、
午前に3~4時間作業をすると、暑さと疲労とでぐったり、
記事を作成する気力がなくなり、本を読んでもすぐに眠くなってしまう。
書きかけ記事の日付は6月14日の日付で止まっている。
再開しようと気力を奮い立たせて投稿記事をスタートさせる。
本棚を整理していたら、お菓子の箱を引き裂いたようなB5判ぐらいの厚紙がはらりと落ちてきた。
エッセイらしいが、作者名がわからない。
厚紙に書かれたエッセイが、何時、どんな目的で何時頃書かれたのかわからない。
松のある風景と
エッセイの上の欄には松林の風景が描かれている。
道路に沿って植えられている松並木は太い松で、結構長い並木道になっている。
左下には『良』と読めるサインがあるが、この人物がエッセイの作者でもあるのかどうかはわからない。
タイトルは「松のある風景」としている。
橙色の彩色文字で示したものが、エッセイの全文だ。
エッセイの内容から在りし日の「若宮大路」の風景が
昔日の面影をすっかり失くしてしまった「若宮大路」を懐かしんでいるようだ。
「若宮大路」は源頼朝が妻政子の安産を願い築いた鶴岡八幡宮の参道で、由比ガ浜から八幡宮まで1.8㌖の参道です。墨絵で示す通りかつての若宮大路には、松並木があったらしい。
「昔から老松が多く」あり、それぞれに「ゆるぎの松、六本松、琴弾松、諏訪の松、弓立松」などの
成り立ちに言われや、伝説を持つ松がたくさんあったらしい。ちなみにネットで調べてみると確かにそのような老松があったようだが、枯死したり、何らかの理由で現代に生き残っているものはないようである。
かなり詳しい松並木の続く往時の風景がつづられた後、
「それにしても、松の少なくなったこの町のあっけからんとした明るさは、却って侘しい」と嘆いていることを思えば、かなり古い時代の鎌倉を知っている人が作者であると類推することができる。
更に、町の松林の景観だけでなく、「町の背後を囲う山なみの尾根にも松が目立つ」と、
具体的な松林の風景描写が続き、
「細い山径に敷きつめたように枯松葉が積もって、ともすれば足を取られる」
という具体的表現は、古くからこの町に住む住民でなければ書けない風景だ。
手掛かりはもうひとつある。
エッセイの最後に登場する
「(江ノ電が)若宮大路に濃く影を落とす松並木に沿って、『町役場前の小町終点』までごとごとと走っていた頃の、どこかどっしりとした陰影がたくさんあった時代がふとなつかしくなる」
往時の「松のある風景」は最後に、「町役場前の小町終点」という貴重な時代を象徴する証を残して
見事に幕を下ろす。
現在の江ノ電の路線図を見ても、小松商店街は現在でも残っているが、
「小町」という江ノ電終点の駅はない。
江ノ電終点の「小町駅」はどこにあったのか。
この駅の存在がわかれば、随筆に描写されたおおよその時代もわかるのではないか。
(つづく)
(つれづれに…№117) (2024.07.12 記)