「本能寺の変」に関わる信長と光秀の関係で、
「なぜ光秀が謀反を起こしたのか」という謎に挑んだ小説は沢山あり、
すでに小説の材料としては出尽くした感がある。
著者の谷口克広氏の小論を読むと
怨恨説から野望説、黒幕説まで多くの歴史学者をはじめ、
歴史家、小説家が競うようにして光秀の胸中を探ろうと独自の史論を展開してきたようである。
歴史の解釈にも時代の流れがあり、前記の三説のどの説が有力か判然としない。
種々の説が台頭するということは、資料をあさり、その限られた資料をどう料理するか、
つまりどんな切り口で資料を読むのかで、どの説を取るかが決まってしまうようである。
真実は歴史の闇に飲み込まれ、なかなか先が見えてこないということなのだろう。
(邪馬台国の所在地でも、九州説と近畿説があり、新たな資料(遺跡)が発掘されるたびに論争を巻き起こしている)
一方、もっとも一般受けする説は「怨恨説」であり、
NHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」でも「怨恨説」を採用しているようである。
光秀に対して執拗に繰り返される折檻、無理難題を負わされ光秀を窮地に追い詰めていく信長。
武田氏を滅ぼした後、「我々も骨を折った甲斐があった」という光秀に、
信長は並みいる武将の前で、「利いた風な口をきくな、お前はどんな血を流し、
どんな働きをしたのか」とののしるシーンも大河ドラマに描かれていたことを思い出します。
やや説得力のある説として、
谷口氏は「明智軍記」(17世紀の終わりごろに書かれた本)に書かれている『中国出陣にあたって光秀は、
未征服の出雲・石見に国替えの命を受け、これまで持っていた丹波・近江の領地を召し上げられ、
中国で先陣を張っている秀吉の配下につけ』と、理不尽で屈辱的な下命を受ける。
(このシーンは「江 姫たちの戦国」の中でも描かれ、光秀の指の震えとともに、無念の心情を余すことなく表現していたから記憶に新しい)。
「怨恨説」の根拠として取り上げられる資料の一つである。
「本能寺の変の真相に迫る」ー怨恨説から野望説、黒幕説までー 谷口克弘著
(中央公論2011.1月号記載を参考にしました)
(つづく)