読書紹介『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(3)
山本の死から4年半、この戦争は山本が望んだ「講和」とは程遠い形で、
「無条件降伏」することで幕を閉じることになった。
「一億総玉砕」などというとんでもない発想が、
当時の政府や軍部の無能が導き出した国民へのスローガンであった。
「欲しがりません勝つまでは」と全てを犠牲にする姿勢が、
また、「屠(ほふ)れ英米我らの敵だ進め一億火の玉だ」などと国民を煽(あお)るような宣伝文が流布し、
軍事教練と称する竹槍訓練、学徒出陣、往きて帰らぬ特攻作戦など、
国民の全てが甚大な犠牲を強いられた。
戦場においては、援軍無き作戦、食料も水も現地で自前調達、
敵と戦い戦死する兵よりも、餓死や病気による死者の多かった戦場、 闘うに十分な武器もなく、その補充もない。
戦争の行方と日本の行く末を考えれば、
終戦の判断はもっと以前に決断してもしかるべきだった。
その決断が早ければ、以下のような膨大な犠牲と不幸は起きなかったのではないか。
兵員の死亡:230万人(内朝鮮、台湾兵員の犠牲者5万人を含む) 。
一般市民の死亡:80万人。
1945年3月東京・焼夷弾による無差別爆撃で10万人の犠牲者をだす。
同じく同年3月、連合軍は沖縄に上陸。軍人、軍属、住民を合わせて12万人以上の犠牲者。
8月には広島、長崎に原爆投下でそれぞれ14万人、7万人の犠牲者。
終戦後捕虜としてシベリアに60万人が長期抑留され、強制労働による多くの犠牲者が出た。
合掌
(終り)