この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ゼロゼロゼロ、その2。

2011-10-07 00:15:28 | 戯言
 Aさんは個人的な事情でコメント出来なくなったことを詫びてくれました。
 それはいいんですけど、Aさんは気になることも書いていました。
>きっとこのメッセージを送るにあたっても「○○さんすら」コメントくれない!って凹んだんでしょうから。
>ね?私の存在なんて「~ですら」ですよ。
>だからムッとしたんじゃないですか?「こいつにすら!かよ」って。

 自分は断じてAさんのことをどうでもいい存在だと思ったことはありません。粗雑に扱った覚えもありません。自分にとってAさんはとても大切な存在です。

 しかし、Aさんが、言葉の端々から、自身がどうでもいい存在として扱われていると感じるのであれば、自分にはそれをどうすることも出来ません。
 どうでもいい存在だと思っている!!思っていない!!とただの水掛け論になるような気がします。
 インターネットという(所詮は)言葉だけの世界で、自分の思いを証明する、というのは不可能だと思います。
 あっさり「不可能だと思います」と書きましたが、それでも自分は必死に考えましたよ。答えは残念ながら出ませんでしたけどね。

 Bさんからははっきりとブログにコメントをしなくなった理由を教えられました。
 一言でいうと考え方(と感性)の違い、だそうです。
 一例を挙げると、先日、大阪出身であるけれど、まったくもって自分がイメージする大阪人っぽくない、ノリの悪い営業マンのことを記事にしたんですよね。内容的には他愛のないものだったと思います。
 それで自分はその記事のタイトルを『大阪人失格』にしたのですが、Bさんにはそれが受け入れがたいことだったようです。
 よく、、、わかりません。
 もし自分が関東の人から、下戸であることを理由に、九州人のイメージをぶち壊しだな、九州人失格だ、といわれても、そんなに傷つくこともないからです。まぁそういうものかな、と思うだけで。
 自分が言われて嫌なことを人に言うな、というのであればわかりますが、自分が言われて別段嫌でも何でもないことを人に言うな、と言われてもよくわかりません。
 なので、もし自分が件の大阪人のことについてまた記事を書く機会があれば、百回が百回、タイトルは『大阪人失格』にするでしょう。『うちの取引先の、大阪出身であるけれど、まるで大阪人っぽくない営業マンについて』というタイトルにすることは自分には無理です。そのタイトルではどう書いたとしても自分の文章ではなくなってしまう。

 自分のブログは常連さんが本当に少ないので、常連さんのリクエストには出来るだけ応えたいなって思っています。
 せぷさんの時事ネタをもっと読んでみたいです、という奇特な方がもしいれば、頑張って勉強して時事ネタを書きます、いや書く努力をします(断言は出来ないので)。
 逆にエロいネタは勘弁してください、という方がいれば、その旨メモ書きにして壁に貼って、エロネタを出来るだけ控えるようにします。
 ともかく、出来ないことは出来ないけれど、出来ることは出来るだけ応えたい、と思っています。

 しかし、AさんとBさん、二人の意見、アドバイスを聞き入れることは自分にはとても出来ません。
 それはつまり、二人を自分のブログに引き戻すことが無理だ、ということを意味します。
 もっとも親しい(とこちらが勝手に思っていた)二人を引き戻せないなら、新たにマイミクの誰かに遊びに来てもらう、ということは到底無理だと思いました。
コメント
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