この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ガタカ』、最終考察リターンズ、最終回。

2018-08-06 21:05:05 | 旧作映画
 いよいよ映画『ガタカ』の最終考察リターンズも今回で最後です(たぶん)。

 さて、『ガタカ』とはどのような映画なのでしょうか?
 いくつかのレビューやコメントを読み、次のように捉えている人が多いように思いました。
 以下比喩です。

 A.翼を持たずに生まれた主人公が本人のたゆまぬ努力と周りの人々の協力によって翼を得て、本来翼を持ったものしか立つことが許されぬ高みから飛び立ち、自由に大空を飛び回る、というお話。

 自分の見方は違います。

 B.翼を持たずに生まれた主人公が本人のたゆまぬ努力と周りの人々の協力によって、本来翼を持ったものしか立つことが許されぬ高みに立ち、そこから翼を持たぬまま飛び降りた、というお話。

 AとB、一見すると似ていますが、受ける印象はまったく違いますよね。
 Aはハッピーエンドで、Bはバッドエンドです。
 多くの人がハッピーエンドを好むのは知っていますし、かくいう自分も実はそうです。

 しかし忘れてならぬのは主人公の友人の存在です。
 主人公の夢を叶えるために協力を惜しまなかった友人は、主人公が夢を叶えたのを見届けた後、自ら命を絶っているのですよ。
 Aにおいて、自由に大空を飛び回っていた主人公が地上に降り、友人の死を知ったらどう思うでしょう?
 混乱し、動揺し、自らの正体を偽る気力も起きないでしょう。
 正体がバレれば待つのは死であったとしても…。

 自分がその1で、
>もしジェロームがヴィンセントは再び生きて地球に戻ってくる、その可能性が1%でもある、そう信じていたのであれば、彼は決して自ら命を絶つことなどなかったでしょう。
 と強調した理由がここにあります。
 ヴィンセントが生きて地球に戻ってくるのであれば、ジェロームが自ら命を絶つことなどあり得ないのです。

 それともヴィンセントはジェロームの死を知っても何ら動揺することなく、彼の残した大量の検査サンプルを使って残りの人生を何不自由なく過ごした、そう考えますか?
 あなたの知るヴィンセントはそんな不実な男でしたか?

 作中、ヴィンセントが死ぬシーンはありません。
 しかし作品は次の台詞によって締めくくられています。
>私たちの身体の中のすべての原子はかつて星の欠片だった。私は故郷に帰るのかもしれない。
 死ぬ、という言葉が不穏なイメージを帯びているのであれば次のように言い換えても構いません。

 ヴィンセントは故郷に帰り、そして地球に戻らなかったのです。

 
 自分の最終考察は以上です。
コメント (6)
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