ヴィンセント・アントン・フリーマンは「神の子」でした。
この場合の「神の子」とは「神に祝福された子ども」という意味でなく、遺伝子的な矯正を受けず生まれてきた人のことを指します。
「神の子」であるヴィンセントは生まれつき心臓に重度の障害があり、医者からは寿命は30年だろうと予告されていました。
そして彼は重度の近眼でもありました。
果たして彼は心臓の障害を克服したのでしょうか?
自分は克服しなかった、そう考えます。
そのことが一番如実にわかるのが、ランニングを終えたヴィンセントがロッカールームで倒れ込み、息も絶え絶えになるシーンです。
障害を克服した人間があのような状態になるとは考えられません。
ヴィンセントは障害を克服出来なかったのです。
この結論に異を唱える方も少なくないでしょう。
なぜなら、ヴィンセントが弟のアントンに二度勝利を収めた遠泳競争のシーンを見ると、彼が心臓の障害を克服したように受け取れるからです。
しかしこのシーンには別の捉え方があります。
アントンは自身が「適性者」であり、兄のヴィンセントが「不適正者」であることを物心ついた時から知っていました。フリーマン家ではそのことは特にタブー視されていたわけではないので。
ただ、幼い頃の彼はそれがどんな意味なのかよくわかっていませんでした。
だから兄から遠泳競争を挑まれても全力で相手をして、兄を打ち負かしていました。
彼は思ったことでしょう、自分が兄と遠泳競争をして負けることなんて一生ないと。
しかし成長した彼はその意味を知ります。
つまり、「不適正者」である兄ヴィンセントの寿命はわずか30年であり、またその心臓は明日にも止まってしまうかもしれないということを理解したのです。
アントンはヴィンセントと遠泳競争をするのが恐ろしくなったことでしょう。
全力を出せば容易く打ち負かすことが出来ても、全力を出せば死んでしまう可能性があれば、全力を出せるはずがありません。
この年の遠泳競争でヴィンセントが遅れを取らなかった理由はこれです。ヴィンセントが特別速く泳いだというわけではありません。
アントンは出来れば遠泳競争などしたくなかったに違いありません。
けれどどうやって断ればいいというのか?
いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳なんてしたくない!とありのままに言えばいいのか?
それもまた出来かねる話でした。
なぜならアントンは家族として兄ヴィンセントのことを愛していたからです。無用に兄を傷つけたくなかったのです。
30年後に寿命が尽きる兄、それどころかもしかしたら明日にも死んでしまうかもしれない兄、そんな兄ヴィンセントにアントンが勝ちを譲ろうと思ったとしたら、それは不自然なことでしょうか。ごくごく自然な心情だと自分は思います。
アントンは程のいいところで溺れたふりをしたのです。
これが自分が想像する、遠泳競争でヴィンセントが一度目の勝利を収めたときの真相です。
ヴィンセントはその勝利を奇跡だと思いました。
しかしその勝利は奇跡には程遠いものだったのです。
続く。
この場合の「神の子」とは「神に祝福された子ども」という意味でなく、遺伝子的な矯正を受けず生まれてきた人のことを指します。
「神の子」であるヴィンセントは生まれつき心臓に重度の障害があり、医者からは寿命は30年だろうと予告されていました。
そして彼は重度の近眼でもありました。
果たして彼は心臓の障害を克服したのでしょうか?
自分は克服しなかった、そう考えます。
そのことが一番如実にわかるのが、ランニングを終えたヴィンセントがロッカールームで倒れ込み、息も絶え絶えになるシーンです。
障害を克服した人間があのような状態になるとは考えられません。
ヴィンセントは障害を克服出来なかったのです。
この結論に異を唱える方も少なくないでしょう。
なぜなら、ヴィンセントが弟のアントンに二度勝利を収めた遠泳競争のシーンを見ると、彼が心臓の障害を克服したように受け取れるからです。
しかしこのシーンには別の捉え方があります。
アントンは自身が「適性者」であり、兄のヴィンセントが「不適正者」であることを物心ついた時から知っていました。フリーマン家ではそのことは特にタブー視されていたわけではないので。
ただ、幼い頃の彼はそれがどんな意味なのかよくわかっていませんでした。
だから兄から遠泳競争を挑まれても全力で相手をして、兄を打ち負かしていました。
彼は思ったことでしょう、自分が兄と遠泳競争をして負けることなんて一生ないと。
しかし成長した彼はその意味を知ります。
つまり、「不適正者」である兄ヴィンセントの寿命はわずか30年であり、またその心臓は明日にも止まってしまうかもしれないということを理解したのです。
アントンはヴィンセントと遠泳競争をするのが恐ろしくなったことでしょう。
全力を出せば容易く打ち負かすことが出来ても、全力を出せば死んでしまう可能性があれば、全力を出せるはずがありません。
この年の遠泳競争でヴィンセントが遅れを取らなかった理由はこれです。ヴィンセントが特別速く泳いだというわけではありません。
アントンは出来れば遠泳競争などしたくなかったに違いありません。
けれどどうやって断ればいいというのか?
いつ心臓が止まるかわからない相手と遠泳なんてしたくない!とありのままに言えばいいのか?
それもまた出来かねる話でした。
なぜならアントンは家族として兄ヴィンセントのことを愛していたからです。無用に兄を傷つけたくなかったのです。
30年後に寿命が尽きる兄、それどころかもしかしたら明日にも死んでしまうかもしれない兄、そんな兄ヴィンセントにアントンが勝ちを譲ろうと思ったとしたら、それは不自然なことでしょうか。ごくごく自然な心情だと自分は思います。
アントンは程のいいところで溺れたふりをしたのです。
これが自分が想像する、遠泳競争でヴィンセントが一度目の勝利を収めたときの真相です。
ヴィンセントはその勝利を奇跡だと思いました。
しかしその勝利は奇跡には程遠いものだったのです。
続く。