続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

三谷先生の授業。

2019-01-29 11:05:09 | 美術館講座

 『曲線で折る 立体折り紙体験』

 何気なく参加…でも同じテーブルについたアラフォーのご婦人、テンション高いなぁと思っていたら先生のツイッターのファン、小4のお嬢さんとの参加。ご著書もお持ちでボォーとしたぶきっちょなわたしとは落差ありあり。
 みなさんそれぞれ折ったり曲げたりの試行錯誤の結果を最後に報告。わたしだけ「見学に徹していました」って。徹していたって頑張ったときの言葉、全く恥の上塗り。

 それでも先生も親切、和気あいあい楽しい時間、こんなお婆さんの参加で引き気味だったけど、「おばあちゃん、よく出てきてくれたね」ってご褒美に先生のもの(全員で同じ物を作った)を頂いた。(ラッキー)

 あの世へのお土産って感じの物見、何でも参加するつて楽しい!(ちなみに先生の作品は凄くて圧巻、眩暈!)

 三谷 純先生、長門先生、ありがとうございました。(神奈川県立近代美術館・葉山にて)


オトナ・ワークショップ『型染め』

2017-11-06 06:59:58 | 美術館講座

 『カタカタノカタゾメフロシキ2017』in 横須賀美術館

 型染めという技法のプロセスを丁寧に教えていただいた。
 簡単に言えば、図案の型を掘り(切り抜き、)定着させた後に、染めたい布地の上に型を置いて糊を張る。
 糊が乾燥したら、お湯に10分程度浸し、その後、15リットルのお湯(60度C以上)に(ソーダ225㏄・スレン染料75㏄・ハイドロ75㏄)を入れた染液で煮だす。(浸染)
 水槽で振り洗いし、糊の部分を洗い流す。
 乾燥したのち、再度お湯(80度くらい)で数分煮だす。

 大雑把に言ってもこれくらいの作業。大変だなと思ったけれど、わたし達にとっては(わたしだけ?)《先生にお任せ》のゆったり愉しむような行程。
 わたしはごく簡単シンプルな図案にしたけれど、メンバーの皆さんはそれぞれの思い入れを込めたもの、それぞれ感慨深く拝見したことでした。

 二日間にわたる授業を指導してくださったのは、kata kata の松永武先生と高井千絵先生のお二人。美男美女コンビのユニット、懇切丁寧なご指導ありがとうございました。
 美術館の林田先生にもお世話になりました。

※kata kataではカレンダー・手ぬぐい・カードなど多種の型染め製品を販売しています。機会があれば是非ご購入下さい。
(TEL&FAX:042-444-8438)
(写真はkata kata さんのカードです。見せていただきましたが、どれもステキでした)


新宮晋先生。

2016-12-26 07:30:55 | 美術館講座

 〔新宮晋先生の授業〕

 それぞれが持ち寄った絵本の出来上がりをそれぞれ拝見、みんな力作の評価を受け大満足の雰囲気の中、先生のお話を伺うことが出来て至福の時間を満喫。
 わたしの拙作は、「〇という絵本なら、いっそ、丸い形状の本にしてもいいですね」とのアドバイス。

 先生は常に、今在る形を違う側面から見て捉えなおす、違う視点で捉えれば新しい発見につながるということを考え、交錯・収縮の自在な視点を模索していらっしゃる。
 先生の作品には、見ることの高揚が、改めて自然の律を感じさせてくれるという風景を作りだし、この不思議な物は何だろうと見ている内に自然のリズムを体感している自身に気づくというシステムがある。

 感慨深く楽しい授業を、新宮先生ありがとうございました。沓沢先生ありがとうございました。


『陽光礼讃』谷川晃一・宮迫千鶴展。

2016-12-12 07:22:45 | 美術館講座

 〔水沢館長さんのギャラリートーク〕

 県立近代美術館で開催されている『陽光礼讃』展でのギャラリートーク。
「日々の暮らしの中の芸術、自然の中での生活を基本とした作品群です。ちなみに陽光礼讃に対して、谷崎潤一郎には『陰翳礼讃』というとても興味深い作品があります。電気がない頃のお話で、薄明りを辿っていくと更なる闇の中に鉄漿をした女将さんが…というような、ボクはこのシーンが好きです」など余談を交えてのトーク。

「林の中に見る暮らしには、かつてのゴッホ・ゴーギャン・セザンヌへのオマージュがあり、ここに並べた一連の作品は一年ほどの短期間に描きあげた陽光礼讃ともいうべき彩色の詩情あふれたものです。この日常を谷川さんは《雑めく》と言い、又それを短い詩の形でユーモアめく表現しています。」

 日常の中の光彩、作品群は素敵でした。宮迫千鶴さんのパッチワーク、素敵で感動いたしました。そして、そのような暮らしの中の旺盛な仕事を拝見できたことは至福でした。

 水沢館長さん、叮嚀な解説ありがとうございました。
 李美那先生をお見かけしました、李ウーハン先生の『線より』、静かにして圧巻です。


天童荒太の講演。

2016-11-27 07:41:49 | 美術館講座

 とにかく優しすぎる人という印象、真摯に向き合う姿勢に《地の光》のような不思議な温かさと熱意を感じ、震撼としてしまった。
『歓喜の仔』の表紙に松本俊介の『立てる像』を起用したつながりで神奈川県立近代美術館の講演を引受けてくださったとのこと。
 
「縦横斜めの線の交錯、その構成によって風や光・空気生じさせ、人を描いていないのに煩雑な空気感を伝えています。アングルも奇をてらうというのでなく普通の視線の高さで心理的な光景に共鳴させている、その凄さです」という。

 作品を細部から全体にいたるまでの執拗とも思える観察眼に敬服。
 映画制作を目指されていた方らしい構図・構成への関心、見ることの深さの正負の領域…生きて在ることの尊厳。

 ギリギリまで追い詰めていく反問・・・。
 比較的平易な言葉で綴られる文章の中の葛藤を覗き見た思いがし、安易な思い付きがほぼ100パーのわたし(素人)、大いに恥じ入ったことでした。


 そういえば「今度、天童荒太の講演を聞きに行くんだ」と友人Mに話したら、
「天童荒太って、いい男だよ」って言ってたけど、確かに。
 〔於:鎌倉市商工会議所〕


『新宮晋の宇宙船』

2016-11-04 06:56:03 | 美術館講座

 『新宮晋の宇宙船』(横須賀美術館)

 ステキに愉快な展覧会で楽しいことこの上ない。風と水の彫刻家・・・確かにその通りで見えない空気の循環をエネルギーに変換させて視覚を刺激する。この体感の心地よさ、身を委ねることの至福はまさに想定外の発見。
 美術館前にはためく数多の黄色いオブジェは海と空とに競合して不思議に楽しい世界を垣間見せてくれる。

 とにかく笑ってしまう、この浮世がこんなに明るく楽しいものだってなんて手放しで酔い心地になる。もちろん緻密な計算から構築されたこれらの作品群だけれど、ごく自然な流体なのである。

 ちなみに今回、先生のワークショップ『絵本をつくる』講座に参加させていただき、先生の造られた数冊の絵本も拝見。初めての絵本『いちご』は世界中で愛されているという素晴らしい内容!
 発想と詩心、構成のセンスの秀逸、やさしい絵本なのに《圧巻》
 ワクワクが止まりません。

 邪気をなくして輝く天地に身をあずけることの愉快は、忘れていた感覚かもしれない。
 12月25日にはわたしたちも制作の宿題を提出しなければなりませんが、次回も楽しみにしています。

 新宮晋先生、沓沢先生、ありがとうございました。


ワークショップ。

2016-08-29 07:34:54 | 美術館講座

 久しぶりに神奈川県立近代美術館/葉山へ出かけた。
 積極的に美術館へ行かれない無精者である、ワークショップのようなものに参加し、行かなければならない状況を作って、やっと出かける。

 そうしてここ十年余りを細々美術館へ出かけている。わたしの中のどこかに《美術》に対する未練があると思われる(←他人事?)
 何気なく見た美術館のワークショップの広告、何気なく参加した日。
 李美那先生のお弁当は…よく覚えている。お母さんは浅草当たりのご出身と聞いたけど、玄米ご飯に天ぷらの大盛リ、ざっくりした栄養本意の中身。
 受講仲間の小学生からは海岸に出た折、《水切り》を教えてもらった。
「こういう薄べったい石を捜してね、それで、こういう角度で狙うんだよ」と。

 何気なく参加したワークショップの楽しさ、癖になり、ずいぶんお世話になった。
 日常とは異なる空間に自分を連れて行く楽しさを満喫させていただいた。

 ちなみに昨日のワークショップは、自分で作ったペンで書くカリグラフィ。わたしといえば、自由に描いていた小学生にも劣る出来。(恥ずかしいよ、でもいつもの事)
 川人先生、土居先生、お世話になり、ありがとうございました。

 クエイ兄弟の展覧会、すごく良かった!!
 カフカの『変身』、風の吹く、あの空気感、ベットの下のザムザ・・・。
 もっとゆっくり見たかったなぁ。


鎌倉・鎌倉別館/建築ツアー。

2015-03-16 06:17:31 | 美術館講座
〔松隈洋先生の授業〕

 散歩のつもりのツアー参加者であるわたし。先生はつぶやいた。「(参加者が)建築を専門にやっている人なのかどうなのか分からないから何を話していいか分からないなぁ」と。(ご、ごめんなさい。ど素人で・・・)

「この鎌倉近代美術館を設計したのは坂倉準三というル・コルビュジェの弟子にあたる人です。主眼として風景に違和感をあたえない外観、緑や風や光を建物内部に取り込むこと、そして、その内部をぐるりと廻った時に得られる景色の変貌・空間の変化ということを基調にしたようです。中庭を見下ろしたり池を眺めたりするときの外部との展開に、風や光の通る空間設計の意図が感じられます。
 細部にわたり劣化(錆)を防ぐ配慮が為されています。建物自体が浮いているように設計されているのは絵画作品への湿気対策でもあり、下は彫刻作品というのも理に適っています。
 特筆すべきは、平家池に張り出すように造られたピロティで、池の水が反射して天板に揺れ動く影はよくご存知の事と思います。」
(この揺れる影/光に出会うと軽い眩暈を感じる。・・・儚さをもって過去への郷愁に誘われ、心に甘い迷いが生じる不思議。)

「鎌倉別館は、前川國男を師とする大高正人の設計によるものです。連続するボールド屋根がそのまま展示場の天井になっており、そのコンクリートの表面は、はつる(削る)ことにより、ある種の表情を見せています。軽快な印象の鎌倉館に対し、別館は重厚感のある落ち着いた外観であり、外壁の打ち込みタイルは師である前川國男の開発した物を使用しています。」

 確かに時代が求める雰囲気というものがある。軽快、モダンは戦後の強い憧れであり、重厚感は高度成長期を過ぎバブル崩壊の憂き目に抗した誇りが潜在しているようにも感じる。世間の風潮もまた建築とは無関係ではないのかもしれない。


 それにしても古都鎌倉である景観への配慮、自然や歴史への畏怖・畏敬を抜きにしては、できなかった仕事である。
 自然界に垂直な線は存在しない。このこと一つ考えても、建築というものは自然への挑戦であることが判る。風景への気配りは、あえて換言すれば、折り合いをつけるということでもある。
 建築は、人間の英知や有効な手段を駆使し人の領域を自然の中にお借りする、という仕事だと言えなくもない。しかし、宇宙へ飛ぶ時代である。超近代的な人の眼を剝く建物が出現する昨今、鎌倉における建築作法は原点ではないかと思う。

 松隈洋先生、水沢勉館長、長門佐季先生、橋先生ありがとうございました。長島先生には、お世話になりました。

海老塚耕一先生の授業。

2014-11-30 07:17:55 | 美術館講座
 横須賀美術館『境界へ、水と風から』の作品展におけるイベントに参加してきた。「フロッタージュでつくる・・・」

 先生を囲み、館内の床に座りながらのお話。
「皆さん、右手を左手の甲に当てて摩ってみてください。そうして今度は逆に左手の甲で同じ事をして見てください。違うでしょう。違っているのが分かるでしょう」と、先生。
「!・・・?」違っていることに気付かないわたし(ぽか~ん)
 厳密に言えば左右同じではないし、その機能にも差異がある。でも、感触として手の甲を並べて見ても相違があると感じたことはない。
 けれど、「違いますね」と言われれば肯くしかない(この空気)、というか、他の人が当たり前に感じているようなこの差異にすら気づかなかったわたしは、美術(芸術)に触れようなんて百年早かったのかもしれないと、愕然としてしまった。
 さりとて「いいえ、先生、わたしは同じです」なんていう強い根拠もないけれど、(左右の手の感触の相違を敏感に感じ取っていることのほうが驚異ではないか)大雑把、ガサツなわたしの落胆。

 そうしている間にも、本題であるフロッタージュについての説明。
 先生は「拓本のようなものです」と仰り、床に薄紙を当て、鉛筆を斜めに滑らせて床のわずかな軋みを写し取って見せてくれた。どの作品にも触れて、紙を押し当てフロッタージュして構わないという。
 会場に展示された先生の作品に、色鉛筆やクレヨンなどを押し当てて形をあらわにしていく作業。先生はアフリカから取り寄せた硬質の木材を使用しているとかで『水の器』と題された作品を持ったところ、確かに重い。比重は1.3(えっ、水に浮かないの、木が?)水の器ってどういう意味なのだろう。長い時間、水を受け続けても腐食しないということなのか。水に対峙しうる器・・・器は智恵の原初である、そして水の総量は地球の原初から変わらない。大きく捉えれば、人類の英知が自然に対峙していることの凝縮とも思える作品である。幾つもの羅列はある意味、生命発生(人間としての)の原初を暗示しているのかもしれない。


 AをBに写し取る作業は極めて単純である。単純であるゆえに次第に飽きてくるけれど、写し取られた意外な連続模様に楽しくなり、逆にそのものから励まされているような鼓舞されているような錯覚を感じる。参加者のそれを並べて見ると、思いがけないパッチワーク風の仕上がり効果があり、美しいものになった。
 作為なき作業に没頭する、多くの参加者が熱心にフロッタージュする光景は、ある種エネルギーの分散であり集結にも見えた。

 不思議に楽しい時を経てワークショップは終了。

 自然のつくる形・・・雨風、時間などで酸化していく宿命の有機物質。風(空気の流れ)と水(液体の流れ)、地球を構成している無機物質の変動や堆積。自然の変移、エネルギーのせめぎ合いを沈黙の形として作品にしている海老塚先生の仕事は、闘いのような印象を受けた。

毛利彩乃先生の授業。

2014-11-24 06:27:16 | 美術館講座
『愛読書からつくるフランス装仕立てのブックカバーとノート』(神奈川県立近代美術館 鎌倉)

 予めの知識ゼロ、「よく分かんないけど、行って見よーっと」という安易な気持ちでの参加。
 ただ造本というものにはすごく魅かれるものがあって、ハウツー本を買ったり、造本の講座は過去二度ほど受講している。(追浜公民館/あみのたまよ先生/2005年、横須賀三浦教育会館/ねもとよしたか先生/2014年)
 いつか一冊だけの自分の本を、という絵空事の夢を見ている(笑)

 フランス装の歴史・本の装丁・・・本がものすごく大切で宝物だった時代を思い描きながら先生のお話を伺っていると胸が熱くなってしまった。
「本の文化は決して無くなりませんからね」と、先生。
 本文(内容)と装丁の関係が一つの世界を創りあげるという大前提を忘れがちな傾向にある。あまりにも当たり前に見ているので深く考えてないのかもしれない。にもかかわらず、本を手に取ったときの印象は少なからず装丁によることが大きく、音楽におけるイントロの魅力如何に共通しているかもしれない。

 本を指し、「ここが天、こちらが背、この部分が前小口・・・」丁寧な説明。本そのものを愛しているのがよく伝わってくる。
(何でもいい加減なわたし、反省すること仕切り)先生の説明、細部にわたるプロセスの指導・・・丁寧で優しい語り口。
《この講座の受講生15名のために、あんなに一生懸命説明して下さっている》と思うと感動。アシストして下さった美術館の方々皆さん親切。家に閉じこもっていてボォーッとしては味わえない心地よさ。


 持参した本は「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」の二冊。「不思議の国のアリス」の方を選びコラージュした表紙を作成。美術館側で用意してくださった素材は、アクリル・水彩・クレヨン・色鉛筆、チラシ、ポスターなど様々。なかに数字や文字などをカットして抜く道具などもあることを終了後に知り、(ああ、これがあれば、「鏡の国のアリス」のイメージが・・・と、ちょっぴり後悔)
《もっと時間があれば》というのは楽しい傾向、ありがとうございました。


*本というもの、活字というものを覚めた目で見ている昨今、やっぱり『本は無くなりませんから』の言葉は胸に響いた。(信じていいんですね)