『記念日』
記念日、言わずもがな「わたくしの生まれた日」である。
わたくし(マグリット)が(わたくし自身)を確信した誕生日であり、記念日である。
室内を大きく占拠した石、室内は人為的な設えであり、教育された思考/積み重ねた情報の集積、すなわち観念である。わたくしはその中にぴったり等しく収まっている。
収まっているが、違和感がある。
この状況は、果たして真実なのだろうか。肯定に対する反旗、疑惑の芽生え。
この何とも息苦しい身動きできない空気に気づいてしまった。しかしよく見ると、わたしの前方は大きく開いている。開放・自由の時空にはカーテンのかかった窓もない。
つまり何もない未来、自由な解放があるということである。
その喜びに気づいた(わたくし自身の新しい誕生)の記念日である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずゐぶん眼にあつてゐる。みんなで出て来て助けてくれ。」
☆章(文章)は双(二つ)である。
即ち趣(ねらい)の詞(言葉)が諸(もろもろ)現れ、推しはかることに頼み、叙べている。
しかし、なぜそれが不満なのでしょうか。あまりにもきつい仕事だからでしょうか。夜の時間は、むしろ眠るために使いたいからでしょうか。ちがいます。秘書たちは、たしかにそういう苦情をこぼしていません。
☆何故、嘆くのでしょうか。緊張からですか。永眠に転ずるのことが、好ましい死だからでしょうか。違います、不平を言っているのではないのです。
岩石はわたくし(マグリット)である。そのわたくしは樹に対峙し等しい関係を感じている。
自然への敬意・崇拝を抱いているが、屈することなく共に生きる同時代の朋友である。それは、地平線の真理における律である。
沈思黙考、岩のごとき無味乾燥な感触、砕け散るかもしれないが持続を維持するかもしれない。しかし語ることはない。
語らずして存在の意味を語る。一個の石は樹に等しく、総てに通じる世界をもっている。地平線、地球上における律は《すべてに等しい=平等》に他ならない。
背景の雲は〈水〉であり、影は〈光〉である。
太陽の恩恵を受ける水の惑星、地球に於ける上も下もない平等。これこそが『礼節の教え』の要である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立つて、硯と紙を捧げてゐた。
☆照(あまねく光が当たる=平等)を祷(祈る)衝(重要なところ)が現れるので釈(意味を明らかにする)。
惹(ひきつける)仏の道の詞(言葉)は律であり、兼ねている詞(言葉)は法(神仏の教え)である。
「村でのたいていの尋問を夜おこなわなくてはならないということは」と、ビュルゲルはつづけた。「秘書たちのたえざる不平の種でしてね。
☆ビュルゲルは厳粛に混乱させるような異論を自身の言葉で引き延ばすように続けた。
秘密は先祖の永遠の嘆きであり、たいていは村(あの世/本当の死の手前)の尋問は死へ案内するには不自然だった。
岩石と樹、この質量を超えた同等の感覚。
この画(時空)の前に立つ鑑賞者の気持ちがこの絵の答えである。
この質量を超えた等価関係に《わたくし》が加えられる。描かれていない第三者である鑑賞者が《岩石・樹・人》というトライアングルを作るところにこの絵の答えが潜んでいる。不特定多数の人がこの絵の前に立った時、答えを見出せるように誘引した作品なのである。
誰が誰よりどうだとか、優劣を問わない絶対の平等。争いのないユートピアの平和である静けさがある。
現実の政治経済の混沌の中では決して生まれることのない世界の暗示であり、マグリットの神聖な願いでもある。
(個人的には『美しい絵』と名付けたいほどに、静かな感動に満ちている)
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「そら、これでせう。」すぐ眼の前で、可愛い子どもの声がした。
眼の前はゲン・ゼンと読んで、現、全。
可愛いはカ・アイと読んで、化、愛。
子どもはシと読んで、思。
声はショウと読んで、照。
☆現れるのは全て化(教え導くこと)の愛の思いとしての照(あまねく光が当たる=平等)である。
Kは、その疑問に答えられなかった。ビュルゲルが言っていることは自分に非常に関係があるらしい、ということは気づいたがいまのKは、自分に関係したことなんか犬にでもくれてやれという気持ちだった。彼は、頭をすこし横にずらしたーそうすることによってビュルゲルの質問にみとぉあけてやり、それを素通りさせてしまおうとするかのように。
☆Kは知らなかった、ビュルゲルの言うことは自分に関係がありそうだと記憶に残ったが、kはすべての事柄にまるで関心がなかった。気持ちをそらすことによってビュルゲルの質問から自由な方法で言及を全く逃れることができた。
『礼節の教え』
等値関係・・・まさにこの景色(空間)において《巨岩石と樹木》が不思議に同じ質量に見える描かれている。実際、質量の異なるものが同値などということはあり得ないが、慎重かつ心理的計算を駆使したバランスによって成立している。
この奇妙なバランスの調整は、どこまでも同値をめざしている。色・形・質量、異種の組み合わせが《同等》を表明している。
石(無機)と樹(有機)、長く時間を保つもの、やがて枯れ消失を余儀なくされる物・・・あらゆる条件を外して入るが、同じ時空に存在し得るもの同士ではある。
マグリットは黙して問う、「違いはあるのか」と。
この世の万物に向かい応える、『等しき同士=平等』であると。
《人類ばかりが優位なのではない》という忠言でもある。自然との共生共存、抑制と秩序を以て世界の中の人として自然に敬意を払うべきである。(この絵を高みから解釈するに非ず)
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録り)