続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)秋の離宮。

2021-05-31 07:09:54 | 飯島晴子

   秋の離宮ちりぢりにひそむ青痣

 秋の離宮はシュウ・リ・クと読んで、醜、詈、句。
 ちりぢり(散散)はサン・サンと読んで、酸、惨。
 ひそむ青痣(潜青痣)はサン・ショウ・シと読んで、浅、傷、詞。
☆醜(みにくい、みっともない)詈(ののしる)句(ことば)は酸(辛く)惨(傷ましく思う)。
 浅はかで、傷(人を傷つける)詞(ことば)である。

 秋の離宮はシュウ・リ・クと読んで、襲、罹、苦。
 ちりぢり(散散)はサン・サンと読んで、惨、惨。
 ひそむ青痣(潜青痣)はセン・セイ・シと読んで、川、凄、姿。
☆襲(おそいかかる)罹(災難)を苦(苦々しく思う)。
 惨(みじめ)で惨(いたましい)川の凄(すさまじい)姿(様子)がある。

 秋の離宮はシュウ・リ・キュウと読んで、宗、理、究。
 ちりぢり(散散)はサン・サンと読んで、算、参。
 ひそむ青痣(潜青痣)はセン・ショウ・シと読んで、選、章、詞。
☆窮(中心となる考え)の理(物事の筋道)を究める。
 算(見当をつけ)参(調べると)選んだ章の詞(言葉)がある。


若林奮『Ⅱ-1-2』

2021-05-31 06:37:25 | 美術ノート

   『Ⅱ-1-2 大気中の緑色に属するもの』

 直方体、円筒形、平板の重なり合ったものの直立・・・すべて非自然である。
 それらが緑色に属するものであるという。緑色と認識できるものはない光である景、蒐集。
 緑色として想起できるものは植物(有機物)であるにもかかわらず、すべて硬質の金属で構成されている。しかも人工的な形状であって自然の揺れや靡く風情は欠片もない。

 どういうことだろう、大気中に存在するということは、わたしたち人間と同質である。しかし、緑色に属するという認識観念は緑色の波長を吸い込むものと言うものでしかない。
 その考えを解体するとしたら、緑色という決定・位置づけをした人間の知覚(叡智)であり、データの集積における分類である。

『大気中の緑色に属するもの』と言うのは、人間の作り出したもの、人工物という意味ではないか。確かに大気中には人間の歴史、人間優位の創造物で溢れかえっている。
 緑色は心地よく爽快をイメージさせるが、ここでは観念の破壊を垣間見ることになる。つまり、緑色のイメージは真逆に領域に位置している。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館


『城』3662。

2021-05-31 06:29:46 | カフカ覚書

「じゃ、いよいよ本題にはいったわけだわ。あなたは、だまっていることのできない人ね。ひょっとしたら、あなたは、ちっともずうずうしい人じゃないのかもしれない。子供そっくりなだけよ。なにかばかげたことを知っていると、どうしてもそれをだまっていることができないのね。


☆いかにも、本来の話になってきたわ、あなたは秘密にすることができないようね。あなたは少しも無鉄砲なんかじゃなく、何かただ子供のように、愚行を知り、それを秘密にできないというのね。


『飯島晴子』(私的解釈)早飯の。

2021-05-30 06:44:24 | 飯島晴子

   早飯の平地よ白さるすべりは雨

 あっという間に平地と化したこの場所。百日紅の花期は長いけれど、いずれ排除の定めか・・・雨の中の白い花である。

 早飯はソウ・ハンと読んで、争、反。
 平地はヘイ・チと読んで、弊、恥。
 白さるすべりは雨(白百日紅雨)はハク・ヒャク・ジツ・コウ・ウと読んで、迫、百、実、講、有。
☆争いを反(繰り返し)弊(ぼろぼろになること)は恥である。
 迫(苦しめる)百(沢山)の実(内容)の講(話)が有る。

 早飯はソウ・ハンと読んで、痩、伴。
 平地はヘイ・チと読んで、病、治。
 白さるすべりは雨(白百日紅雨)はハク・ヒャク・ジツ・コウ・ウと読んで、吐く、秘薬、実、有。
☆痩(やせ細ること)を伴う病を治すと吐く(いう)。
 秘薬(不思議なほど効く薬)は実(まこと)に効くことが有る。

 早飯はソウ・ハンと読んで、総、判。
 平地はヘイ・ジと読んで、並、字。
 白さるすべりは雨(白百日紅雨)はハク・ヒヤク・ジツ・コウ・ウと読んで、博、飛躍、昵、更、有。
☆総てを判(区別し)並べる。
 字は博(大きく広がり)飛躍(踏むべき順序を飛び越えて)昵(近づき)更(新しくなること)が有る。


鈴木しづ子(私的解釈)ダンサーになろうか。

2021-05-30 06:13:40 | 鈴木しづ子

   ダンサーになろうか凍夜の駅間歩く

 ダンサー、戦後の米兵相手のダンサーである。肩を出したドレス、真っ赤な口紅、ハイヒール。つい昨日まで敵国として排除していたそれら装いの奇異を身につけることへの偏見。
 凍り付いているのは夜の寒さだけではない、わたしの心も底冷えの冷風にさらされている。敗戦国日本の虚しさを米兵相手にぶちかましてやろうか。いえ、強国アメリカへの憧れがないとは言えない、勝利への反感。
 米兵の明日をも知れない命の華やぎ、彼らの戦場(朝鮮戦争)へ行く前夜を特と見つめてみたい。この下心・・・、こちらは心も財布も素寒貧である。

(ダンサーになろうか)、凍夜の駅間を一足一足迷いながら歩いている。


『飯島晴子』(私的解釈)碩草。

2021-05-29 07:33:04 | 飯島晴子

   碩草九月の火傷男ゐて

 河原の草地、夏も終わった九月、傷ましいほどの日焼けを残した男の寂寥。

 碩草はセキ・ソウと読んで、積、層。
 九月の火傷はキュウ・ガツ・カ・ショウ・と読んで、杞憂、合、禍、生。
 男ゐて(男居)はナン・キョと読んで、難、拒。
☆積(つみ重ねた)層(幾重にも重ねる)の杞憂(心配)。
 合わせて禍(災難)が(生じること)の難を拒む。

 碩草はセキ・ソウと読んで、戚、争。
 九月の火傷はク・ガツ・カ・ショウと読んで、懼、合、家、承。
 男ゐて(男居)はナン・キョと読んで、難、挙。
☆戚(身内)の争いを懼(畏れる)。
 合(いっしょになって)家を承(受け継ぐこと)の難しさを挙(並びたてる)。

 碩草はセキ・ソウと読んで、昔、想。
 九月の火傷はキュウ・ガツ・カ・ショウと読んで、旧、合、荷、衝。
 男ゐて(男居)はナン・キョと読んで、軟、挙。
☆昔の想(考え)は旧(ふるい)が、合わせて荷(身に引き受けること)が衝(重要)である。
 軟(しなやか)に挙(捉えることである)。


『飯島晴子』(私的解釈)肉声を。

2021-05-29 06:47:25 | 飯島晴子

   肉声をこしらへてゐる秋の隕石

 隕石(大気中で燃え切らずに、地上に落下した小惑星の破片)、宇宙の秘密、鍵を有しているが、無機質である鉱物が肉声を発することはない。
 内在する想い、不燃焼のまま人生の秋を迎えているとしたら・・・。

 肉声はニク・ショウと読んで、肉、少。
 こしらへてゐる(拵居)はソン・キョと読んで、存、距。
 秋の隕石はシュウ・イン・セキと読んで、衆、隠、戚。
☆肉(血縁)が少ないが、存(考えると)去(他所へ行き)距(へだてた)衆(多くの)戚(身内)がいる。

 肉声はニク・ショウと読んで、肉、衝。
 こしらへてゐる(拵居)はソン・キョはと読んで、存、拠。
 秋の隕石はシュウ・イン・セキと読んで、宗、胤、積。
☆肉(血縁)は衝(重要なこと)だと存(考える)。
 拠(よりどころ)の宗(一族の中心となる家、人)の胤(子孫)の積(つみ重ね)がある。

 肉声はニク・ショウと読んで、肉、称。
 こしらへてゐる(拵居)はソン・キョと読んで、尊、挙。
 秋の隕石はシュウ・イン・シャクと読んで、修、in、釈。
☆肉(内容のふくらみ)を称えることは尊い。
 挙(企て)を修(整えると)in(中に)釈(解らない部分や疑いがとける)がある。


『飯島晴子』(私的解釈)囁いて。

2021-05-28 07:28:43 | 飯島晴子

   囁いて秋の畳を干す男

 囁いてはセツと読んで、窃。
 秋の畳はシュウ・ジョウと読んで、羞、常。
 干す男はカン・ナンと読んで、艱、難。
☆窃(そっと盗む)のは羞(恥)である。
 常に艱(悩み、苦しむ)難(非難すべき点)である。

 囁いてはショウと読んで、紹。
 秋の畳はシュウ・ジュウと読んで、修、自由。
 干す男はカン・ダンと読んで、換、談。
☆紹(引き合わせて)修(おさめる)、自由に換(入れ替える)談(話)がある。

 囁いてはショウと読んで、衝。
 秋の畳はシュウ・ジョウと読んで、宗、定。
 干す男はカン・ダンと読んで、観、断。
☆衝(重要)な宗(一族の中心となる家、人物)の定め。
 観(よく見ると)断(断ち切られている)。


鈴木しづ子(私的解釈)蟻の体に。

2021-05-28 07:12:09 | 鈴木しづ子

   蟻の体にジュッと当てたる煙草の火

 地を忙しく這いまわる蟻を俯瞰した時の己の巨大、力の大いなる差異に邪悪な満足感が過る。

 たかが蟻一匹の命、絶命したところで世界は変わらない、不明な心の揺らぎ。
 蟻の体にジュッと当てたる煙草の火…残酷、惨劇、蟻の哀れ。
《あなた(蟻)よりワタシは強い》不遜な嗤い。《あなた(蟻)はワタシ》、胸の中で交錯する自虐と悔恨。乾いた涙は煙と化す。


若林奮『Ⅱ-1-1』

2021-05-28 06:31:04 | 美術ノート

   Ⅱ-1-1 自分自身が目前の空間を知るための模型Ⅰ

 自分自身の目前の空間・・・視覚に収まる領域を超えて感じる世界(光景)。目をつむってもいいかもしれない、あらゆる感覚器官を行使して確かに感じうるものを、触覚に変換し距離を測りながら質量を伴ったものへと置換していく。

 空気感、振動が伝える距離感と質感、内在する不思議な衝動。位置、大きさ、それらは静音のリズム、振動として作家に響き伝えている。
 見えることと、感じることの差異、あるいは同質。すべてをそぎ落として残存するある種の手触り。
 
 地上の突起(木々や林や人々、建築物)、地下の水脈(せせらぎ)。この地に立つ(存在する)と言うことの条件。作家自身も大地(世界)における付属物にすぎないが、自身の主張である目前の空間。

 なんという静謐な空間、しかし、この現時点の高さを知らない。平地だと思っている場所が山頂なのか海底なのかを測れない、精神的な領域であれば。
 わたしは世界の中に存在するが、世界はわたしを束縛する、この共犯関係においてわたし(作家)は世界を《目前の空間》と呼ぶ。きわめて私的空間にすぎないが・・・。


 写真は若林奮『飛葉と振動』展より 神奈川県立近代美術館