続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

自信喪失。

2012-03-31 06:59:26 | 日常
 もともと自信なんてものは無かったけれど・・・「楽しいスケッチ」さんを見るに及んで、まるで小学生並のわたしを自覚。
 爪の垢ほどの自信も喪失・・・立ち向かうなんて恐れ多くてというかそんなレベルでもないことを明白に悟った。

 世の中には定年退職後の余技ですら天才的に上手い術を持った人もいる。こちらは「アハハハ」笑うしかない。


「楽しいスケッチ」さんを見ていると、自分の総てを否定されているような気持ちになる。あらゆる分野に於いて、「キミ、キミのレベルなんていうのは噴飯物なんだよ。キミは気付いていないようだけど・・・それだけに幸せだね」とでも言われているような気がしている。


 無価値・・・それでも行くか?と、問われている気がしてひどく落ち込んでいる。

「それでも行くよ」と、自分の中で小さな声がする。自分でさえ聞き取れないほど微細な声である。

春(四月)なのに。

2012-03-31 06:31:30 | 日常
 四月の第一週の水曜日「歩こう会」は目前。

 四月四日の実施日、翌五日には町内会の集まりがある(今年は班長)、次の週には恒例の展示会・・・。歩こう会でくたくたになって、それらが《おろそかになっては》と、気弱に考えている。
 
 心のどこかで「歩こう会」を怖れているのだろうか。

《運動と減量》
 そう忠告されている身・・・ぜひとも「歩こう会」は参加すべきなのに、迷いが生じている。歩き疲れて帰宅した夜の眠れないほどの痛みを想像すると、行く前から身構えてしまう。(もう無理なのではないかと)

 消極的思考・・・昨日も夢庵での食事会で、結局言い出しそびれた恒例の展示会。サークルの会員が少ないため作品(とも呼べないけど)を6つ(あるいは7つ)並べるつもりでいる。それをこうして親しくしているメンバーの誰にも伝えないという非積極性・・・。


「描きたくて描く」という意欲がない。そういう絵・・・それでも続けている。(ある日の開眼を待っているのか?)
 マグリットの作品理解にも役に立っているし・・・と、自分を納得させているけど。


 四月、新年度も始まり桜咲くこの季節に、歩き出しかねているポンコツ状態のわたし。

『城』777。

2012-03-31 06:11:01 | カフカ覚書
 彼女は立ちあがった。興奮のためいくらかよろけていたが、Kのところに歩みよると、その手をにぎって、哀願するように見つめた。

 哀願する/bittend→Vita/伝記。
 手/Hand・・・国(地方公共団体)

☆彼女の状況は興奮のため揺れ動いていたが、Kに向いて、国を理解し、その伝記を見た。

整理・・・。

2012-03-30 06:12:04 | 日常
 衣類の整理・・・処分しようとしても戸惑いがあり、三日ほど部屋に広げたままになっている。購入した既製品は簡単に処分のビニール袋に入れることが出来るのに手縫いの服は作ったプロセスなど思い出されて決心がつかない。畳んでしまえばごく小さくなる、けれどその枚数が重なると大量のゴミの山と化す。


《捨てる、捨てる、見ないで捨てる》・・・断捨離。
 捨ててしまえば、思い出すこともない、と思う。

 いつか着るかもしれない・・・「かも」は無い。


 不要物との戦いは、日々続いている。
「ガン死の薦め」といった内容の本が反響を呼んでいるらしい。(分かるわ、不遜だけど)

「今日を最期の日と思って生きる」とジョブス氏・・・。

 迷いの中に生きているわたし。

 きれいサッパリ、身一つで暮らしたい。

『風の又三郎』274。

2012-03-30 05:54:40 | 宮沢賢治
ところが耕助ははじめからじぶんの見附けた葡萄藪へ、三郎だのみんなあんまり来て面白くなかったもんですから、意地悪くもいちど三郎に云ひました。

☆恒星の元(根本)は普く無である。
 当(この)総ては太陽であり、雷(神なり)と吐く。
 為(因縁によって生ずる現象)致(まねく)ことに於ける太陽の運(めぐりあわせ)である。

『城』776。

2012-03-30 05:43:45 | カフカ覚書
たとえば、クラムと会ってどんな話をしようとおもっているかということも、安心してわたしたちに漏らすことができるのです。ただ実際にはね、どうかそんな真似だけはなさらないでください」

 話/sprechen→sprengung/強制的解放。
 どうか~しないでください/bitte→Vita/伝記。

☆たとえば、クラム(氏族、先祖)と会って強制的な解放をしようと思っているということも、実際には現実の伝記だけですから、実行しないでほしいのです。

化粧は必須?

2012-03-29 06:38:40 | 日常
 近ごろは面倒なので外出時も化粧をしないことが多い。頭もぼさぼさなら衣服もそのまま・・・靴も履き古し。平チャラな風袋はどこから見てもお婆さん然としていて、内心(やばいな・・・知人とは会いたくないな)とびくびくしている。


 ところが、出会ってしまう。市内唯一のデパートの入口でバッタリ!知人は着物姿、しっかりメーク。
「イタリアンレストランの○○でお食事を・・・」といい、待ち合わせの友人が来ないというので長々とおしゃべり。
(ああ、手早く買い物だけを済ませる予定なのに・・・困ったわ)

 で、何度かわたしは「では、又」といいかけているのに、続くおしゃべり。

 やっと解放されて、デパ地下で食材を(わざわざデパートで買い物をするレベルではないけど、頂き物の商品券があるので)買い求め、並んでいたら大きな声でわたしを呼ぶ人が・・・(誰?)

 またまた知人・・・。
 こちらはだらしない格好で引け目を感じているのに・・・。


 やっぱり化粧は必須?
 年を取ったらなお更きちんとしなくてはいけないのかもしれない。近所の散歩でさえ、きちんと紅白粉をかかさない人もいる。
 化粧をする時間と落とす時間がもったいない・・・(TVを見ている時間はあるけど)

 もっと自分を見ている時間を持たないと、どんどんお婆さん化が進行していく。(でもいいの)なんて言っていては仲間はずれになるかもしれない。

『城』775。

2012-03-29 06:01:44 | カフカ覚書
どこへいらっしゃろうと、当地ではあなたがいちばん事情を知らない人間だということをいつも忘れないで、よく用心してください。ここじゃ、フリーダがそばにいてくれるおかげでひどい目に会わずにすんでいますが、このわたしたちの家にいてこそ、あなたは、胸のなかのことを存分にしゃべりまくることができるのです。


☆ここではフリーダ(平和、自由)のおかげで傷つけられることがないのですが、
《このあたりに伏せた意味はないように思う。同文》