我々は地球という家の住人である。という前提に立てば解釈は可能になるのではないか。
地球の精神はあるがままの自然であるが、自然ということが正しいという基準に想定すれば、遠近法による床(板目)や腰板の平行直角の整然は肯ける。
それに比して《幕の宮殿》の変形(歪み)は、人類の精神の形の暗示に見える。
本来自然の形態をもつ地球と人為的に造りだした平行直角を逆転させたのは皮肉である。
漆黒のパネルは歴史の闇である人類の苦悩、戦争による悲惨などであり、未来へ続く通気口でもある。
馬の鈴(人類の主張、伝承など)による天空に散在する雲(大気と水)や緑(自然)を我が物として所有する権力の象徴である宮殿は、地球に於ける幕(仕切り)であり、始まりと終わりを垣間見せたものにすぎない歴史の遺物(の展示)である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
さあ、オツベルは命懸けだ。パイプを右手にもち直し、度胸を据ゑて斯う云つた。
☆冥(死後の世界)を顕(明らかにし)釈(意味を解き明かす)趣(狙い)の自記である。
努(力を尽くして)教(神仏のおしえ)に拠る詞(言葉)を運(めぐらせている)。
まあ、しばらくここにおいでになりませんか。この家じゃ、そろそろ五時ごろから起きはじめます。それからだと、呼び出しに応じられるのにいちばん都合がいいでしょう。
☆要するに、しばらくはここに残ります。ここで微塵になって飛び立ち始めます。それが呼び出すのにいちばんいいでしょう。
床の板目や壁の腰板を常識的に考慮すると、パネルは運搬可能な大きさであり、幕の宮殿というにはひどく小さい。しかもそれらの底辺を確認すると線条である。
しかし、それらは垂直に立っており、壁に寄りかけられていないことは壁にできた影でわかる。
その影が六枚と思えるパネルすべてに共通した長さ(幅)なのは、六枚が同じ平面上に位置していることを示している。つまり、重ねられているのでも離れているのでもない奇妙な連結をなしている。明らかに離れている個所があるが何故か上部の影は均一に落ちている。フレームの凹凸にも作為がある。
馬の鈴(伝令、主張、伝説・・・)と天空(整列しているかもしれない雲の散在)にまたがる黒(未知)のフレームの右下は間隔があるが、壁に映る影が他と等しいことから上部は繋がっていると思える。ただ空には陰翳が映らない。要するに厳密に計算され尽くしている。
床や壁がヒューマンスケールで測りえない大きさだとしたら、たとえばearth(土、土壌)を仕切る幕(宮殿)という人為的な権力の象徴に置換したと考えられる。
時空を超えた幻の宮殿は、地球の歴史の中でこのように閉じた変形パネルで再現されるかもしれない。ずっとずっと遥か未来における地球の記憶である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
「ああ、だめだ。あんまりせはしく、砂がわたしの歯にあたる。」
まつたく籾は、パチパチパチパチ歯にあたり、またまつ白な頭や首にぶっつかる。
☆査(調べて)把(手につかみ)訊(問い質す)。
把(手につかみ)博(大きく拡げ)問うことが、主(中心)である。
「いまごろからどこへいらっしゃるというのですか」と、ビュルゲルはたずねた。「もう四時ですよ。どこへいらっしゃるにしても、相手をおこすことになりますよ。だれでもわたしのように妨害に慣れているとはかぎrにし、おとなしく辛抱に慣れているとはかぎらにし、おとなしく辛抱してくれるともかぎりません。秘書という人種は、神経質ですからね。
☆今からどこへ行くのですか」と、ビュルゲルはたずねた。「(動物の)死です、どこへ行くにしても起こすことになります。あらゆる妨害になれているわけでもなく、だれもが辛抱強いわけではありません。内密の民族は神経質なのです。
オツベルはやつと覚悟をきめて、稲扱器械の前に出て、象に話をしようとしたが、そのとき象が、とてもきれいな、鴬みたいないい声で、こんな文句を云つたのだ
☆較(くらべて)語(言葉)を問う。
個(一つ一つ)の記は解(バラバラに離れているのを)全て推しはかる。
衝(重要なのは)和(争いを治めること/仲よくすること)である。
章(文章)は往(人が死ぬ/そののち)であり、照(あまねく光が当たる=平等)を問う句(言葉)を運(めぐらせている)。
この6つのフレームは錯視を利用している。立体に違和感がありイメージを組み立てることができない。これが直方体でない所以かもしれない。
歪な形である必然性はどこにあるのだろう。
しかも昼の光景と漆黒(夜)の闇が前後に付着しているという具合・・・これは否定なのか、見えない闇である民衆の存在なのか。
宮殿、即ち国のトップが君臨する館である。それがなぜ歪んだ平板なまるでがらくたのような態を為しているのだろう。
天空と緑(自然)を我が物とし、馬の鈴(伝承、命令、声明など)をもって支配の権限を得ていると勘違いしている宮殿の滑稽は、地球という室内における幕(領域の仕切り)にすぎない。恒久なものではなく一つの歪な象徴である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
浪はいよいよ青じろい焔をゆらゆらとあげました、それはまた金剛石の粉をはいてゐるやうでした。
◆
私の幻燈はこれでおしまひであります。
☆播(広く及ぼす)照(あまねく光が当たる=平等)を演(述べる)。
幽(死者の世界)の魂(たましい)が合(一つになる)釈(意味を明らかにする)拠(よりどころ)である。
死の厳(おごそかな)問いである。
しかし、なにもそう言葉どおりに解することもないでしょうにね」
ビュルゲルは同意を求めるように、たのしそうにKを見つめた。あの不平とは逆で、この男は、ぐっすり休んだらしいな。いまのおれのように疲れたことなんか一度もないんだろう。
☆しかし、確かに考えるまでもないでしょう。ビュルゲルは問いつつ嬉しげにKを見た。悲嘆とは反対にぐっすり休んだように見えた。大変な疲れなどビュルゲルには決してないのかもしれない。