続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

えっ!

2011-08-30 06:35:18 | 日常
 洗濯物を入れるのにベランダに出て見るとEさんが軽トラの荷台に透明ビニール袋に入れた衣類を乗せていた。
 ああ、お母さんを病院に置いて息子さんだけ病院から戻ったんだと思い、様子を聞くために出てみると、息子さんは「お母さん~」と言ったのである。

《えっ、お母さんは、救急車で病院にいき、入院したんじゃないの。意識不明って》

 思わずわたしは逆戻り、家に入ってしまった。聞いては失礼のような気がしたから・・・。


 少し経って、軽トラはどこかへ走り去っていったけど・・・汚れた衣類(多分、病院で着替えさせられたのに違いない)をコインランドリーで洗濯するために行ったのだと思う。袋のほかにカゴを乗せていたけど、あの中には洗剤が入っていたのか)
 二時間もすると、帰って来た。多分そうだと思った。

 それにしても・・・なぜ戻ったのか。

「おかあさん、ぼくは診察室の様子をのぞいていたんだからね」と言う声が。
(想像の範囲内だけど、彼女、Eさんは医師との応答が可能だったのではないか)
 息子の怒声の聞こえない優しい看護師さんのいる病院に戻りたくて・・・いえいえ、一時的に意識不明になり、気力も何も萎えてしまったのだと思う。

 要するに治療は終わって、あとはリハビリに通院するということらしい。
 確かに大変には違いない。生きることは大変。
 その大変さをEさんを通して学習している。
「何かできることがあればお手伝いいたしますよ」と、息子さんには声を掛けている。

『風の又三郎』89。

2011-08-30 06:19:45 | 宮沢賢治
それからぜんたいこの運動場は何間あるかというやうに正門から玄関まで大股に歩数を数へながら歩きはじめました。

 運動場はウン・ドウジョウと読んで、云、道場。
 何間はナン・ゲンと読んで、何、言。
 正門はセイ・モンと読んで、世、問。
 玄関はゲン・カンと読んで、厳、貫(換)
 大股はダイ・コと読んで、題、去。
 歩数はブ・スウと読んで、無、枢(物事の重要なところ)。
 数えながらはスと読んで、蘇。
 歩きはブと読んで、無。

☆云わば道場とは何であるのか。
 厳しく世を問い言<言葉>で貫く(換える)題(テーマ)。
 去(去ること)の無。
 重要なことは、
 蘇(生き返ること)の無である。

『城』583。

2011-08-30 06:07:13 | カフカ覚書
「さあ、出て行く用意はできたわ」と、フリーダは言った。彼女が〈橋屋〉へ行こうと言っているのだということは、たずねるまでもなかった。

 屋〈飲食店)/Wirtshaus→Wort haus/言葉、宮。
 橋/Bruck・・・仲介。
 (~すべき/sollen→Sol/太陽神。

☆「行きましょう」と、フリーダは言った。彼女自身、太陽神に近づくための言葉の宮の仲介だということはたずねるまでもなかった。

救急車。

2011-08-29 10:13:43 | 日常
 九時十分・・・救急車のサイレンが近づいたかと思ったら至近距離で停止。

 Eさん宅の前・・・急いで外に出て見ると、息子さんが
「母の意識がないんです、呼んでも反応が帰ってこないんです」という。

 確か金曜日の夕方退院して来たはず・・・。
 隣家のH0さんも出ていたので聞いてみると、
「『おふくろ、おふくろ!』って聞こえたわ、野菜ジュース飲むのかとか何とか・・・」と。

 運ばれていく顔だけでも見たいと思って前に出てしまった。
「どいてください!」「・・・(申し訳ありません)

「すみませんさっきは緊急事態だったもんで」と、消防車の人。
 
 タンカーに乗せられた彼女の頬には一筋涙のあとが見えた。
 息子さんの不甲斐ない介護・・・何か生きる気力を喪失してしまったような・・・。

 早く良くなって!



 わたしも子供は息子だけ・・・いつか息子に不自由な身体をなじられたり、怒鳴られたり、したり顔で説教されながら床に就く日が来るのだろうか・・・。

Lee.Uhan.

2011-08-29 06:42:50 | 美術ノート
 昨日『新日曜美術館』で、Lee.Uhan.のニューヨーク展を紹介していた。あんなふうに会場全体を映していた画面を見てハッと気づいたことがある。

 そうだ、Lee氏は「もの派」とか言われていたけど、視点は物に有ったのではなく、物を凝視することで、あたりの空間の在り様を見せていたのだ。
 空間(見えないもの、無いもの)を見せることは、不可能である。その不可能を可能にする形、距離感・・・ヒューマンスケールでの体感を自分(作家としての眼)を通して厳密に計っていたに違いない。

 空気を読む、体感する、空気が変形することを鑑賞者に凝視して実感してほしかったのではないか。
 至近距離でもダメだし、遠すぎる傍観でもダメである。それを見る、発見する距離を鑑賞者自身が鋭敏に把握することが、Lee氏の作品の鑑賞姿勢なのだと思う。
 絵画作品を鑑賞するという受身では見えてこない作家の本髄。あくまで鑑賞者の能動的な発見をこそ望むべき作品の配置であることをTVの画面に気づかせてもらった。

 立体作品、二次元での作品・・・今回のニューヨークでの仕事は更なる緊張、緊迫が・・・見ることの昇華とでも言うべき抽象的な厳密を垣間見た気がする。

『風の又三郎』88。

2011-08-29 06:36:20 | 宮沢賢治
又三郎はちょっと具合が悪いやうにそこにつっ立ってゐましたがまた運動場をもう一度見まはしました。

☆幽(死者の世界)の太陽は、業(善悪すべての行為、又それが将来に及ぼす影響、どうにもならない心の動き)のけがれに慄(おそれおののく)
 幽(死者の世界)は云わ場、道場であり、逸/逃げたなら、渡(対岸に行くこと)は厳しい。

『城』583。

2011-08-29 06:11:41 | カフカ覚書
しばらく姿の見えなかったフリーダが、やがて下着類の小さな包みをかかえてもどってきた。オルガは、悲しそうに脇にさがった。

 下着類/waschehundel→wunsch Bundel/願望、光線。
 小さな/kleinen→klann/氏族。

☆しばらく消失していたフリーダが氏族の願望である光線(ビーム)を後戻りさせた。オルガは悲しそうに脇にさがった。
 

虫の声。

2011-08-28 06:34:20 | 日常
 明け方目が覚めると、虫の音が・・・・リ・リ・リ・リ・・・。
 
♪秋の夜長を鳴き通す、ああ面白い虫の声♪

 コオロギ、マツムシ、鈴虫・・・何が鳴いていたのか。

 空き地の草原などに行くとひょいと飛び上がって逃げていく・・・黒っぽいあの虫かな。草取りに熱心なわたし・・・虫さんの住まいを破壊しているのかもしれない。(ごめんなさい)

 鈴虫を飼って、夜中の鳴き声のあまりのことに座布団で被いをしたのを思い出す。
 植物に比して昆虫には興味が薄い。でも、祖母として孫に教えたいな・・・という願望はなくもない。

『風の又三郎』87。

2011-08-28 06:21:06 | 宮沢賢治
けれどもみんなはきろきろ又三郎の方は見てゐてももぢもぢしてやはり忙しさうに棒かくしをしたり又三郎の方へ行くものがありませんでした。

 漢字を並べ隠れたもう一つの意味を浮上させていく。

 又(ユウ→幽)三郎(サンから太陽)方(ホウ→放)見(ケン→験)忙(ボウ→妨)棒(ボウ→謀)又(ユウ→幽)三郎(サンから太陽)方(ホウ→放)行(アン→案)

☆幽(死者の世界)の太陽の放つ験(試み)である妨げの謀(はかりごと)。
 幽(死者の世界)の太陽の放つ案(考え)

『城』582。

2011-08-28 06:08:46 | カフカ覚書
それから「しかも、あんな女のために!」と、おなじ言葉を二、三度くりかえした。

 こんな/solchen→Sol/太陽。
 女/Frauenzimmers→Frei、Frieden Thema/自由、平和。テーマ。
 同じ言葉/einige Mal→einige Mal/おなじ傷痕。

☆それから「先祖の太陽がもつ平和(自由)のテーマ」それに加えて再三のおなじ傷痕。