『大気中の緑色に属するもの』って何だろう。
緑色のみならず、緑色に属するもの・・・。第一に植物、光合成をおこなう植物の緑、これは緑色の中心・核である。
《属する》これが問題である。雨土水風…ほぼ自然に属するもの全ては、緑の範疇に入るかもしれない。としたら、《対自然》を《大気中の緑色に属するもの》と言っているのだろうか。
存在の問題に等しい。
緑なす大地に立ち、山河に対峙する、道は果てしなく続き、垂直に見上げた空からは雨という遮蔽物が空間を曖昧にする。そして、垂直に見下ろした大地の下は遥か太古の夢を眠らせている。
若林奮の視覚は、捉えきれない空気の層を重ね、見えない大気を図るという構想を持っている。これが原点であり、これを振動と称し、振動尺を仮定している。
空間を測る、そのための緑色。緑色は芽を出し成長し葉を落とすという循環を繰り返し、自然の風景(観察者に与える振動)を変化させていく。
飛葉とは(美しい死=夢想)であり、朽ちて自然に還る生命体の一プロセスである。
飛葉の舞い落ちる樹木、林立する樹木はやがて森を造る。自然回帰の一空間を所有し提示して見せる存在論としてのインスタレーション。
現場を見ていないので分からないことも多いけれど、相当な難題であることは間違いない。作家は、常に「泳ぐ犬」のように、休むことなく思考を重ね続けていたと思われる。
緑色のみならず、緑色に属するもの・・・。第一に植物、光合成をおこなう植物の緑、これは緑色の中心・核である。
《属する》これが問題である。雨土水風…ほぼ自然に属するもの全ては、緑の範疇に入るかもしれない。としたら、《対自然》を《大気中の緑色に属するもの》と言っているのだろうか。
存在の問題に等しい。
緑なす大地に立ち、山河に対峙する、道は果てしなく続き、垂直に見上げた空からは雨という遮蔽物が空間を曖昧にする。そして、垂直に見下ろした大地の下は遥か太古の夢を眠らせている。
若林奮の視覚は、捉えきれない空気の層を重ね、見えない大気を図るという構想を持っている。これが原点であり、これを振動と称し、振動尺を仮定している。
空間を測る、そのための緑色。緑色は芽を出し成長し葉を落とすという循環を繰り返し、自然の風景(観察者に与える振動)を変化させていく。
飛葉とは(美しい死=夢想)であり、朽ちて自然に還る生命体の一プロセスである。
飛葉の舞い落ちる樹木、林立する樹木はやがて森を造る。自然回帰の一空間を所有し提示して見せる存在論としてのインスタレーション。
現場を見ていないので分からないことも多いけれど、相当な難題であることは間違いない。作家は、常に「泳ぐ犬」のように、休むことなく思考を重ね続けていたと思われる。