続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

予期せぬ展開。

2012-11-30 06:36:55 | 日常
 事情があって姉のところに妹が同居することになった。二人とも相応の年令であり静かに寄り添って暮らすというのが姉の期待だった。
 頭もよく器量もいい、自慢の妹が夫の事業の失敗で苦労しているのを見かねてその夫亡き後、二人とも未亡人同士ということで妹を呼び寄せた。姉のほうには子供がないが、妹のほうには二人の娘がいてそれぞれ所帯を持ち可愛い孫もいる。
 家族が増える楽しい老後のプラン・・・。


 姉は妹の希望(室内や庭の改装)を全てを聞き入れ、妹の気に入るように配慮しての同居。
 

 辛酸をなめたであろう苦労人であるはずの妹は、姉の潤沢な経済事情に手放しで甘え、姉もそれを不本意ながら許している。稀に小さな声で言う「お姉さんには感謝しているの、ありがとう」の言葉を胸にたたんで普段の図々しい振る舞いに耐えている。



 五年前、「わたしにはこんな(立派な)お友達がいるの」と姉は妹に某氏を紹介した。某氏は一目見るなりその妹に好意を抱いたらしい。その旅行中にも声がかかり、その後も・・・。

「お付き合いしているらしいの」と姉である友人がつぶやいた。
 
「遅くに帰ってくるの、それはそれでいいの。文句なんか言って焼いていると思われるのもシャクだから」と笑った。
「でも、お金は何でもわたしに出させて・・・。最近、皆で一緒に写した写真があるんだけどそれを見て某氏、わたしのこと『老けたなぁ』って言ったらしいわ。妹は女優気取りのポーズをしていて、わたしは人の陰から顔だけ突き出している写真よ。自分がきれいに写っているからって何も見せることないのに・・・わたしの友達だったのよ(まぁ、いいけど)」姉の憤懣は尽きることがない。

 某氏も配慮が足りないし、妹もちゃっかりしている。わたしは某氏を知らないけれど、聞いている限りでは、大分妹にのぼせ上がっている様子。妹はお高い印象だけれど、一たび気を許せば甘え上手という天性の計算に長けている。

 姉であるわたしの友人には、まさか大人(老齢)の恋愛があるなんて!真面目一筋だった彼女には想定外だったご様子。そんなに長くもないこの世の劇場、役者が揃えばそういうこともあり得ること。楽しくいった者に軍配は上がるかもしれない。

『洞熊学校を卒業した三人』21。

2012-11-30 06:27:42 | 宮沢賢治
 かげろふはやれやれといふやうに、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして『さあ、お茶をおあがりなさい。」と云ひながらいきなりかげろふの胴中に嚙みつきました。

☆双(二つ)の様(ありさま)は千(たくさん)の衆(人々)の想いを推しはかる。
 差(ちがう)運(めぐりあわせ)、道(神仏の教え)を注(明かにする)講(話)である。

『城』1110。

2012-11-30 06:03:43 | カフカ覚書
「ねえ、測量師さん」と、ガルデーナは言った。「そこの箪笥をあけると、いちばん手前にショールがかけてありますから、それをとってくださいな。それをからだにかけますわ。羽根ぶとんなんか、とても着ていられませんわ。ひどく息ぐるしいんです」

 ショール/Umhangetuch→Anhan tucke/信奉者、悪意。
 羽根/Feder→Fehde/不和、反目。
 ふとん/Bett→Wett/縁が切れている。

☆「お願いです」「測量師(土地のないことに気付いた人)」とさらにガルデーナ(親衛隊)は言った。同じような打撃(ショック)を考えると、信奉者の悪意により反目とは縁が切れておらず、耐えて生きることがとても苛酷なのです。

ああ、食欲の秋。

2012-11-29 06:25:38 | 日常
 肥満によって支障が出ている、肥満を少しでも解消しなければならない者には辛い季節である。なにせ、何を食べても美味しいのだから・・・。


 困惑・・・「でも今日だけは勘弁してもらおう(誰に?)明日から頑張るから」という延々続く言い訳。繰り返される許容はわたしを追い詰めて行く。
「体重が膝に負担をかけるのです。減量を心掛けて下さい」という医師の助言は、空に浮いたまま。

 これではいけない・・・(分かっている)

 遺伝なのだと・・・。妹も努力している。地元では恥ずかしいからとわざわざ遠方まで出向いてエクササイズに励んでいる、もう何年も。似たもの同士だと思っていたら「お姉さん、もっと気をつけなさいよ」と諭されたことがある。

 正座ができないなどといったレベルではなく、歩行困難にまで進んでいく可能性は十分ありありのわたし。

 食が進んで仕方がないけど、何とか抑制しなければ。今は予防医学の時代、生活習慣を改善するなどということは理の当然。


 ああ、負けている、自分に負けているわたし・・・。
 悪魔の誘惑と天使の制御・・・揺れながら天使の仮面をかぶった悪魔に翻弄され続けている。

『洞熊学校を卒業した三人』20。

2012-11-29 06:19:40 | 宮沢賢治
「ここはどこでござりまするな」と云ひながらめくらのかげろうが杖をついてやって来た。
「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云った。

☆運(めぐりあわせ)の状(ありさま)を記す祝(神に申しあげる言葉)也。
 千(たくさん)の衆(人々)の無の幻は、別(同じでなく)別れる運(めぐりあわせ)である。

『城』1109。

2012-11-29 05:59:14 | カフカ覚書
 一同が台所にさがってしまうと(助手たちも、こんどはすぐに出ていった。むろん、女中のひとりの尻を追っていったのだが)、さすがのお内儀も、仕切り部屋にはドアがないものだから、ここで話すことはすべて台所へつつ抜けになるかもしれないと気をつかって、みんなに台所からも出ていくようにと言いつけた。一同は、すぐその命令にしたがった。

 ~ない/kein→Kahn/小舟。
 仕切り部屋/Verschlag→verschlagen/ずる賢さ、狡猾さ。
 ドア/Ture→Tour/企て。

☆しかしながらこの死が教会に戻ると、助手(頭脳)たちも同じようにあとに続いた。むろん先祖の権力の影だったが。
 お内儀(監視/親衛隊)は小舟という狡猾な企てについて、ここで話すことは教会のすべてが聞き知ることになるからと十分に気を廻してみんなに教会から出て行くように言いつけた。すぐにみんなは従った。

現代美術とは。

2012-11-28 07:19:48 | 美術ノート
 美術(絵画)の範疇が二次元制作の枠から離れて立体になり、時空間を意識下におくという前提はごく当然の事となって久しい。(フォンタナが画布をナイフで切り裂き、デュシャンが「泉」と命名した便器を提示してから既に半世紀以上の時が経っている・・・)


 絵画といえば、平面制作(洋画、日本画etc)という思い込みが一般的な傾向である。
 けれど、進出のアーテストたちは、「絵を描くのは古い、陳腐でさえある」と一喝してあらゆる素材や機能を活用し、現代である前衛的な象徴を模索してきた。

 対象を描くという行為ではなく、対象(世界)に対して何を感じ、何を媒介にすれば、対象(世界)の表現(提示)が可能になりうるかという観点である。

 世界は必ずしも存在(有)が全てではなく、非存在(無)によって支えられている。有と無の奇妙な揺れを実感させるには・・・作家は思案する。象形(媒体)無くして観察者に伝える術がないからである。

 音、光・・・感覚器官に訴える、音はするが実態がないもの(あるいは移動)、光はあるが存在は隠れて見えないもの・・・イメージを超越する拡大(縮小)、または質的変換により本来の姿を失うもの、空間を取り込む変移・・・試行錯誤が、そのまま現代美術の範疇を闊歩しているといってもいいかもしれない。
 しかし、鑑賞者はあくまでも美術の美にこだわり、それを基準にしているから受け入れがたい亀裂が生じてしまう。

 ごくナチュラルにその空気(作品)に身体を預けるだけで、作家の意図が見えてくることがある。積み重ねた観念のデーターがそぎ落とされていくときの快感、それが現代美術との接点かもしれない。現代美術はある種「哲学」であるがゆえに、本来正当化されるべき学習というデーターの積み重ねはむしろそのものを見えにくくする傾向がある。

 見えないものを見るという透徹のスピリットを研ぎ澄ます必要があり、単純に(子供の絵は素晴らしい)といった無邪気さとも異質なのである。
 わたし達は宇宙における地球という星に住む生物であり智をもった人間であるという原初的感想が、出発点であるかもしれない。

『洞熊学校を卒業した三人』19。

2012-11-28 07:00:21 | 宮沢賢治
 蜘蛛はまた枝のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせながらじっと網をみつめて居た。

 蜘蛛はチ・シュと読んで、千、衆。
 枝はシと読んで、死。
 戻ってはレイと読んで、霊。
 六つはムと読んで、無。
 眼はゲンと読んで、幻。
 光らせはコウと読んで、講。
 網はモウと呼んで、妄。
 居たはキョと読んで、拠。

☆千(たくさん)の衆(人々)の死は霊となって無の幻になるという講(はなし)は妄(空想)が拠(頼り)である。

『城』1108。

2012-11-28 06:11:16 | カフカ覚書
「おれも出ていくよ、ガルデーナ」と、亭主が言った。Kは、このときはじめてお内儀の名前を知った。
「もちろんですよ」と、お内儀はゆっくりと言った。それから、べつの考えごとにふけっているような、放心したような口ぶりで、「どうしてあんたなんかがいつまでもここにいなくちゃならないんでしょう」

 ガルデーナ/Gardena→Garde/親衛隊(ナチスドイツの組織)
 はじめて/erdtemal→arrest mal/禁錮、痕。
 ゆっくり/langsam→Rank/陰謀を企む、姦計をめぐらす。
 べつの/andern→ende/死。

☆「わたしもまた出ていくべきか、ガルデーナ(親衛隊)」と亭主(監視)が言った。Kは禁錮の痕(傷痕)を自由の名において知った。「もちろんですよ」と、お内儀(監視/親衛隊)は陰謀を企むように言った。死についての考えに心を奪われていたが、追い散らすように「どうしてあなたが命を失う必要があるのでしょう」

画家のアトリエ③

2012-11-27 06:34:06 | 日常
 閑右衛門の名前、カンエモンではなく、カンウエモン。ちょっと言いずらく、口ごもってしまうような発音になる。
 本名は浅井實、しかし朝から閑であるという自嘲からの命名らしい。なぜ敢えて「右」を付け加えたのか。
 左翼ではない。どちらかといえば右かもしれないが、閑/何もしない・・・積極的な右ではないという気持ちからではないか。もちろん推測の域を出ない。ただ自分というものを常に客観的に観察するような傾向があったことだけは、名前の由来一つからも伺えて、興味をそそられるのである。


「なぜ、横須賀の田浦だったのでしょう」素朴な疑問をご息女にぶつけてみたら、「田浦で歯科医をしていた方の紹介があったのです」という。
 横須賀田浦は言わずと知れた軍港である。戦争の基地・・・敢えてそこを選択したのは、当時の日本の空気の密な場所(危機的状況下)に身を置くという挑戦的な気持ちも手伝ったのではないか。山間の寒村にすぎない地にもかかわらず、海軍機密の首脳部と化している横須賀/田浦の地。そこで生まれた一連の『電線風景』という作品。


 二軒長屋を改造したアトリエは天井(屋根)を明り取りのガラスに変えたため、そのわずかな亀裂からの雨漏りで、雨天の日には傘をさして制作していたとの逸話もある。(まさに変人たる所以)

 田浦のアトリエへの愛着。転居した鎌倉のアトリエには(せめて床板だけでも?)モザイク模様にデザインしてはめ込まれた床板が今もあり、閑右衛門の心情に触れることができる。 
「田浦を離れたのはなぜ?」の問いに「立ち退きです」という答え。田浦の簡素なアトリエに執着があり、好んでこの屋敷町に転居したわけでもないのだと・・・。


 鎌倉のお住まいは庭も広くまさにお屋敷である。建屋も贅を凝らした造り・・・けれど一見簡素にしか見えず庵とさえ思える造りの箇所に閑右衛門の意思が込められている。豪華絢爛な薔薇に魅かれながら、自然の風情・質実剛健に執着した日常。
 没後三十年とのこと、時間を遡って一目お逢いしたかったとの思いが沸々と・・・。

 アトリエ訪問・・・アトリエには死して尚、画家の息遣いが残っており、深く感銘を受けたわたし。