続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お母さん。

2014-02-28 06:38:22 | 日常
 チャイムが鳴ったような気がしたので、玄関のドアを開けてみたが誰もいない。閉めかけて、女の人の肩の辺りがチラッと見えたので再び開けようとしたらドアノブが外れて取れてしまった。

(確かに人がいた・・・あれはお母さんではないか)

 外れてしまったドアノブを手にしたまま開けることの適わなくなったドアを押したが、もちろんカタッとも動かない。(どうすればいいのか・・・お母さんは幻の如く消えてしまうに違いない、急がなくては!)

 閉塞、そして焦燥。パニックになったところで目が覚めた。


 母はわたしに何か言いたいことがあって(あの世)からやって来たのではないか。永遠に交わすことのない会話を夢想してみても、虚しい空気に包まれるだけである。
 母と娘の距離・・・。

 出来損ないの娘への苛立ち、今さら愚痴を言っても始まらないけれど、期待に外れたわたしが悪い。
 わたしは娘として母に申し訳ないことをしたのだろうか・・・。少なくとも自慢の娘にはなれなかった親不幸を詫びたい気持はある。
 

 亡くなる数日前、意識の混濁した中でわたしの手を握り『ありがとう』と言ってくれた母。それでもまだ・・・やっぱり何か言いたいことがあって夢の中に現われたのだろうか。

 心の奥深くの思いは、時として思いがけない形で顔を出す。

『ポラーノの広場』253。

2014-02-28 06:29:57 | 宮沢賢治
「うん。おまへは二十七日の晩ファゼーロと連れだって村の園遊会へちん入したなあ。」
「ちん入といふわけではありませんでした。明るくていろいろな音がしますので行って見たのです。」


☆普く自由な死地の化(形、性質を変えて別のものになる)を番(かわるがわる行うこと)を聯(ならべてつなげる)。
 存(あること)を掩(かくす)幽(死者の世界)を解(さとる)。
 自由で新しい冥(あの世、詞後の世界)の陰(隠れた)講(はなし)が現われる。

『城』1549。

2014-02-28 06:07:15 | カフカ覚書
彼はどうしてだかこの悪天候と関連して、さっきのことを思いだした。橋屋のお内儀は、彼を調書に応じさせようとやっきになって努力していたが、自分は楯をつきとおしてしまった。

 
☆彼は何とかして先祖の死との因果関係をと思ったが、お内儀(言葉)は、記録の構造の支配力に苦労していた。しかしながら自分はそのことに耐えていた。

あらっ、もう雨。

2014-02-27 06:59:43 | 日常
「明日は昼前後、遅くとも夕方ごろには雨になるでしょう」との予報を受けて、今朝は早くに洗濯を済ませ、雨戸を開けたらすでに外は雨。

 焦がれていた雪の過酷を味わってみると、雨は救いのようにも思える(雨でよかった、この際、氷雨でもいいの)

 毎日空を見ながら暮らしている。天気予報を確認して明日を考える。
 桜前線が迫ってきているのも嬉しい。
 お花見・・・若いころには感じなかった桜への恋情。(来年もこうして見ることが出来るかしら)という危惧が微かにうごめく。
 当たり前のことが、突然塞がれてしまう予感・・・不吉。そういう感情が自身を蝕んでくると、一気に世界から突き放され、孤独に陥る。そういう自分に渇!
 
 ♪雨のち晴れるや~♪

 必ず晴れる明日は来る!と信じて、前向きにいく。

 六十七歳に明日は無いと思いたくない。六十七歳にも明日は来るし、明るい未来はある(かもしれない)。まずは、こうして可もなく不可もない状況に感謝すべきで、「あらっ、もうこんな年なの」などと、愚痴りたくない。

『ポラーノの広場』252。

2014-02-27 06:37:45 | 宮沢賢治
「うん。二十七日。どこでだ。」
「あれは何といふ道路ですか、経会の横から、村へ出る道路を一キロばかり行った辺りです。」


☆普く自由な死地の化(形、性質を変えて別のものになる)。
 果(原因があって生じるもの)の導く路(すじみち)には恐ろしい戒めがある。
 往(人が死ぬこと)の存(存在)を推しはかる。
 如何、露(姿が現れるか)逸(かくれて)変っている。

『城』1548。

2014-02-27 06:03:26 | カフカ覚書
 第十章

 Kは、戸外に通じる、風の吹き荒れている階段に出ると、闇の中をじっと見すえた。なんともひどい天候だ。

 階段/Freitreppe→frei Tramp/自由、渡り者。

☆十章/街上で(Strasse→Strafe/罰を暗示しているかもしれない)
 彼は外へ向かって悲しくも意のままの渡り者として、食(死の入り口)を見つめた。
 

ワークショップの課題。

2014-02-26 06:34:06 | 日常
 ワークショップ(美術館)の課題に「美しさ」を考えてくるようにとの指示があった。五感に心地よく麗しい感触を与えられるもの、というのが通常の答えである。
 美しいと表するとき、まずは視覚からの反応が一般的かもしれない。もちろん美しい音色、美味、芳しい香り、優しい触感は外せない。けれど、それらの情報は視覚を併せての感想であることが圧倒的に多いのではないかと思う。

 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる

 この叙情、繊細さは、日本人特有の美意識かもしれない。抽象的な感傷である。
「美しさ」は、ある意味抽象的であって、これという定番はない。

「汚い色と思われる色であっても、隣に合わせる色によって輝き出すことがある。星の数砂の数ほどある彩色の組み合わせは限りない美を孕んでいる」とは某哲学者の言葉である。

『美は乱調にあり』は瀬戸内晴美の小説のタイトル(もしかしたら「岡本かのこ伝」だったかもしれない)。岡本太郎は「美しくあってはいけない、心地よくあってはいけない、きれいであってはいけない」という風なことを言っている。
 美の概念を覆す戦闘的な発言である。

 平和は美しく戦争は醜悪であるという正義。しかし戦火も意味を失いさえすれば、遠く美しい火花となる。矛盾だろうか、美の短絡。


 自然は並べて美しいという。人為的でないことは称えられるが、一方では巧みの美に驚嘆の声が上がる。

 多くの存在は表裏一体である。一方を見れば他方は見えない、ゲシュタルトの心理学を考えるまでもなく、美の奥行きは深い。

 ワークショップ当日までに「美しいものを探してきてください」という一文に、こんなややこしいことを妄想するわたしは変わり者だろうか。
 光り・・・見えることに帰していくであろう美の範疇。

(葉山の美術館は遠い)などと思わずに、自分に負荷をかけることこそ大切なのだと思いたい。

『ポラーノの広場』251。

2014-02-26 06:23:30 | 宮沢賢治
「では訊ねるが気味はどういふことでファゼーロと知り合ひになったのか。」
「ファゼーロがわたくしの遁げた山羊をつかまへたくれましたので。」
「うん。それはいつどこでだ。」
「五月のしまひの日曜、二十七日でしたかな」


☆腎(大切なところ)の訓(おしえ導く、さとす)を置いている。
 業(前世の悪行の報い)の屯(寄り集まる)酸(いたましい)様(ようす)は、悟(真理に目覚めること)に付き、過(あやまち)を容(聞き入れる、許す)。

『城』1547。

2014-02-26 05:51:40 | カフカ覚書
Kがだまってしまったので、亭主は、彼をなぐさめるためか、それとも、早くこの場を切りあげようとしたの化、講つけくわえた。「まあ、まあ、だからといって、天からすぐに硫黄が降ってくることもありますまい」
「おっしゃるとおり、そんな空模様でもなさそうだね」
 そう言って、ふたりは、笑いながら別れた。


☆そこでKは面倒になったので、彼をなぐさめるためか砦へ行くためか、こうつけくわえた。
 「だからと言って天からすぐに同じような流浪を強制するわけでもあるまい」
 「そうです。そんな小舟の予感が降ってくることもなさそうだしね」
 二人の復讐には隔たりがあった。

忘却力の増幅。

2014-02-25 07:13:37 | 日常
 記憶力を鍛えることなくここまできたので、覚えることにはトンと自信がない。だから学習能力に欠けていたかもしれないが、(勉強なんて日常生活には関係ない)くらいの不遜な態度を抱いていた。

 ところが近年、日常生活を脅かすほど忘却力が進み、マイナスゾーンへまっしぐら。恐怖に近いものを感じている。
 記憶力を鍛えることは非常に大切だったのではないか、そのことにより忘却力の進行を食い止められたのかもしれない。

 時すでに遅し・・・。
 今、受けた電話は誰から?
 TVに映った人の名前は?
 わたしは何をしようとしているの?(大ボケ)

 恐れている認知症、ドッキリ、危ないな、と思う。

 昨日も、お風呂に入ろうとして点火していないことに気づいた。適温になるまで冬季は40分はかかるのに・・・。

 こんな風である。他者への危害、損壊がないだけマシだと慰めているが、日常生活の欠損は思い出せないほどある。(まずいな)生活に緊張感が足りないのか、物理的な脳の劣化か・・・萎れゆく哀れな定めと甘受すべきか。


 もともとこの程度のとろい人間だったものを、今頃になって気付いただけなのかもしれない。(どっちもどっちだけど)