続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)麦藁鯛。

2021-09-30 07:29:27 | 飯島晴子

   麦藁鯛少年の服いまも黒く

※少年は吹く(誇張して言う)。「麦藁鯛は色も黄ばみ脂肪が少なく味が劣る」と謹告(謹んで報せる及んで)。

 麦藁鯛はバク・コウ・チョウと読んで、縛、荒、徴。
 少年の服はショウ・ネン・フクと読んで、償、念、伏。
 いまも黒く(今黒)はキン・コクと読んで、金、告。
☆縛(いましめる)荒(でたらめな)徴(取り立て)がある。
 償う念(思い)で伏(隠した)金を告げる。

 麦藁鯛はバク・コウ・チョウと読んで、曝、稿、帳。
 少年の服はショウ・ネン・フウと読んで、章、捻、複。
 いまも黒く(今黒)はキニ・コクと読んで、謹、告。
☆曝(さらす)稿(下書き)の帳(ノート)の章を捻(ひねって)複(重ねたこと)を謹告(謹んでお知らせいたします)。

 麦藁鯛はバク・コウ・チョウと読んで、驀、高、調。
 少年の服はショウ・ネン・フクと読んで、勝、粘、覆。
 いまも黒く(今黒)はキン・コクと読んで、緊、克。
☆驀(まっしぐらな)高調(調子、気分が高まること)。
 勝(勝利)は粘(ねばり)で覆(ひっくり返した)。
 緊(気を引き締め)克(力を尽くしてかった)。


M『ハゲタカの公園』

2021-09-30 06:53:23 | 美術ノート

   『ハゲタカの公園』

 ハゲタカ、コンドルは主に動物の死骸を食べるが、太陽神とも崇められる大きな鳥である。
 この作品を見る限り、太陽という《陽》のイメージは微塵もない。黒い山並みは陰鬱というより暗黒の脅威、恐恐として霊感あるいは冷たい空気感である。

 地上は赤土、肥沃というのではなく、何かおどろおどろした動物の血を吸い込んだような赤い地面である。生を払拭した死の廃域という感じである。

 しかし、なぜかパイプのようなものが突き出ている。人為、人の成せる作為…地下、あるいは異世界との連絡だろうか。背後の方がより高い位置にあるのも奇妙であるが、距離間が把握できないのも妙である。

 手前には設えられた箱があり、等分に配置された白い点描(光の差し込む穴)があるが、意味は不明である。(等分ということは時間?)内部は唐突に樹が生えている。しかし箱の内部にあるため上部は抑えつけられ、これ以上の生育は不可能かもしれない。

 すべてが《意味》に連結しない不気味な光景は、ハゲタカの死骸を食い尽くすという殺伐さ、負の恐怖が蔓延している。

 写真は『マグリット』展・図録より



『水仙月の四日』17。

2021-09-30 06:27:37 | 宮沢賢治

一疋の雪狼は、主人の小さな歯のちらつと光のを見るや、ごむまりのやうにいきなり木に跳ね上がつて、その赤い実のついた小さな枝を、がちがち囓りました。

 小さな歯はショウ・シと読んで、照、死。照(あまねく光が当たる=平等)。
 ごむまり→虚無の霊。
 赤い実→赤いジツ(日)、赤い太陽。
 小さな枝→ショウ・シと読んで、照(平等)である死。
 囓りました→カジは加持(仏の加護を祈ること)。

☆大神は太陽が光るのを見るや、見えない霊(魄)のようにいきなり鬼(死者)についた照(平等)である死の加護を祈りました。


『飯島晴子』(私的解釈)泊船に。

2021-09-29 07:26:12 | 飯島晴子

   泊船に真近く夏の唇とほる

 泊船はハク・センと読んで、帛、染。
 真近くはシン・キンと読んで、新、巾。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、果、浸、痛。
☆帛(白い絹布)を染める。
 新しい巾(布)は果(予想した通り)浸(染める水のしみ込み)が痛(はげしい)。

 泊船はハク・センと読んで、泊、薦。
 真近くはシン・キンと読んで、親、近。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、加、進、通。
☆泊(とまること)を薦める親近(身内)、加(仲間に入り)進んで通(行き来する)。

 泊船はハク・センと読んで、白、千。
 真近くはシン・キンと読んで、辛、禁。
 夏の唇とほる(夏唇通)はカ・シン・ツウと読んで、過、心、痛。
☆白(申し上げる)と、千(たくさん)の辛い禁(いましめ)。
 過(あやまち)の心情がある。


M『困難な航海』3.

2021-09-29 06:45:29 | 美術ノート

 室内と窓外はつながっていないが、繋がっている。室内は現世の記憶を残した形であるが、機能、活性がない。ビルボケなどは倒れることが必至の傾きであり、それとない不安を潜ませている。
 光源はどこにあるのか分からないが、影は微妙に方向を違えている。

 窓外は嵐であるが、室内は開放されており風を感じるのは舞い上がったカーテンだけである。カーテンが揺れ動けば板戸も倒れ、ビルボケも脆弱な卓も倒れるという結果が予想されるが、室内は無風の静寂と不思議な明るさで満ちている。

 ゆえに、室内と窓外は異空間であり、直結はない。荒れ狂う海、横倒しの船の惨状、生命の危機は逼迫している。

 ビルボケのいる室内は明らかに現世ではない。卓も微妙に歪んでおり、卓の上の手や鳩はゆっくり落下していくことを孕んでいる。しかし、多分、ここには然るべき時空の法則が欠如しており、次の瞬間などと言うものが無いのかもしれない。
 室内のそれぞれが、かつての記憶を残したまま長い時間をかけて無に帰していく旅の途中なのだという景に思えてならない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』16。

2021-09-29 06:13:42 | 宮沢賢治

 雪婆んご、雪童子、雪狼、雪丘、雪花石膏、雪けむり・・・。
 雪に秘めた景色は何だろう、雪であることの意味。この説(話)全体は、生死の境界、架空の時空である。雪は折(わける/しぬ)を隠した景色(言葉)ではないかと思う。
 死の婆、死の導師(仏・菩薩)、死の大神、死の丘、死の花、死のけむり・・・。

 象の形の丘(略)その頂には、一本の大きな栗の木が、美しい黄金いろのやどりぎのまりをつけつけて立ってゐました。

 美しい黄金のやどりぎ、やどりぎは宿、一時的に身を置く鬼(死者/亡霊)。
 まりは、まり(球)→たま(魄)。
 栗の木、栗はnutからnat、notを暗示しており、(否定、無)、無いけれども有るというニュアンスではないか。


『飯島晴子』(私的解釈)藻のなかに。

2021-09-28 07:32:56 | 飯島晴子

   藻のなかにはげしく老いてゆく舟影

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、母、衷。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・コウと読んで、撃、老、向。
 舟影はシュウ・エイと読んで、終、影。
☆母の衷(心の中)を撃(うつ)老いへ向かう終(死)の影。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、模、知友。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・コウと読んで、劇、労、恒。
 舟影はシュウ・エイと読んで、終、営。
☆模(手本)の知友は劇(はなはだしく)労(力を尽くして働く)。
 恒(つね)に終わりまで営(つくる)。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、模、沖。
 はげしく老いてゆく(激老行)はゲキ・ロウ・ギョウと読んで、劇、浪、業。
 舟影はシュウ・エイと読んで、衆、営。
☆模(ぼんやりしてよく見えない)が沖の劇(はげしい)浪には、業(生活のためにする仕事)の衆(人々)の営(仕事、いとなみ)がある。

 藻のなか(藻中)はモ・チュウと読んで、喪、中。
 はげしく老いてゆく(激老行)は劇ゲキ・ロウ・ギョウと読んで、激、浪、凝。
 舟影はシュウ・エイと読んで、集、影。
☆喪中に激(感情が激しく高ぶり)浪(寄りどことがなく)凝集(集まってひと固まりになっている)影がある。


『飯島晴子』(私的解釈)天の川。

2021-09-28 07:17:36 | 飯島晴子

   天の川禽獣の夢ちらかりて

※天の川銀河には、わし座、白鳥座、さそり座など禽獣の夢想がちらばっている。

 天の川はテン・センと読んで、展、詮。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、襟、蹂。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで、無、惨。
☆展(ひらいて)詮(しらべる)と、襟(心の中)を蹂(踏みにじる)無(虚しい)惨(みじめ)がある。

 天の川はテン・センと読んで、典、選。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、襟、自由。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで。謀、算。
☆典(根拠があって正しいこと)を選ぶ。
 襟(心の中)で自由に謀(はかりごと)に算(見当をつける)。

 天の川はテン・センと読んで、天、千。
 禽獣はキン・ジュウと読んで、金、事由。
 夢ちらかりて(夢散)はム・サンと読んで、無、燦。
☆天(自然)は千金(きわめて価値の高いこと)である。
 事由(事柄の理由)など無く燦(煌めいている)。


M『困難な航海』2.

2021-09-28 06:44:07 | 美術ノート

 雷電とどろく海上と穏やかだが非現実的かつ空疎な部屋、この二つの異世界が開口を介して繋がっている。

 大荒れの海、船は無事に目的地に着くだろうか。手前の部屋(来世)に着かざるを得ないのだろうか。開口から覗く景色は単に現実(現世)であり、浮世の荒波、困苦かもしれない。人生の悲哀、死に吞み込まれるような困窮、辛苦。

 活性、激動のエネルギーの放出は、来世(死)への航海の消費にすぎないのか。
 異世界(来世)の静けさ、辛うじて眼差しだけを留めたビルボケ(手足のない人型)が現世を見つめている。

 作家の眼差しは異世界(来世)の側にある。死んだ人への思いに身を委ね、作家自身の生きる荒海をビルボケ(母)と共に眺めている。
 公言不可であるが、母と共に在ることが唯一の安息のエリアだったかもしれない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『水仙月の四日』15。

2021-09-28 06:13:41 | 宮沢賢治

『水仙月の四日』の時空を考えると、具体的な示唆は(大きな象の頭のかたちをした、雪丘)であり、(大きく招く祈りの形)だと解釈すると、舞台は《生と死の境界》であることが分かる。
 雪丘の裾、雪丘の上の方、象の形の丘からは(美しい町、川、停車場)が見える。この停車場は『銀河鉄道の夜』の停車場と同じであって、現世と来世の接点だと思う。

 地上ではあるが、景色の変移が幻想的で重力を感じさせない、重力のない世界、つまり現実から離れた時空であることが分かってくる。

 研きあげられたような群青の空から、まつ白な雪がさぎの毛のやうにいちめんに落ちてきました。

 雪雲は重く暗い、群青の空から雪がさぎの毛のように落ちてくるとは考えにくい。

 それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがつた、しづかな綺麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。

(下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがった、しづかな日曜日)というのは下界/現世の景色、太陽を礎にした地球である。『水仙月の四日』の時空は本当の冥府(来世)と現世の中間を仮想してものだと思う。