猛暑の昼下がり、地下鉄戸塚駅まで出かけた。
博物館講座《民俗》では神社などのエベントを訪ね歩く。
信仰の対象、心の拠り所、集落の絆、祭りの高揚・・・。毎年、7月14日と決まっているとのこと。お札を頂くのに階段下の道沿いにまでの長蛇の列だった。
着物に水色のタスキ掛け、踊り手たちは総て男の女装。楽しくユーモアあふれた儀式に心癒されたことでした。
孫の昆虫好きに影響されて受けている(キソコン講座)
カルチャーショック!!
まるで無知だったわたし…大笑い、隠れたいくらいの無知Ah…。
それでも恥ずかしながらついていくと世界が拓けてくるから不思議。四回講座もあと一回を残すのみ。たくさんのミッションを出されたけど最低の成績。
でも、なんか、すごく楽しくなってきたかもしれない~。昆虫に眼を向けられただけでも道を歩くと楽しい気分になる。
昨日は観音崎森のロッジでの講座。
写真はスズメバチ(横須賀市阿部倉・横須賀しょうぶ園)横須賀市保健所 採集
ナミアゲハ(横須賀市大矢部 5丁目)自身で採集したもの。
《キソコン昆虫講座》(昆虫基礎)
キンコンて読んじゃったよ・・・子供とその父母の中にお婆さん、(まぁいいか)浮世の恥もかき捨てで行こう。
孫の大好きな昆虫、(同じ話題で話せるといいな)という軽い気持ちで参加を希望。
たいていの講座は《受け身》ボォーとしていても時間が来ればそれで終了。
ところが、蝶(カラスアゲハ)のさなぎを羽化するまで飼育するという課題…「ええっ、聞いてないよ」なんて言っている場合じゃない。
今日からわたしは親となり、これから餌となるカラスザンショウの木を捜しに行かなくてはならない。
ど、どうしよう。どこにあるの?カラスザンショウ・・・。
内舩先生はじめ昆虫研究会の先生方の熱意あるご指導…恐縮の至り。今日からわたしは頑張るゾ。
博物館の菊池先生による田浦・浦郷地区の建物探訪。
何年か前、同じコースを回り説明を受けたけれど、若い頃の母の勤め先がまだ保存されているので母に会いに行くような気持ちで参加したツアー。母はその後、代用教員に転職したけれど、不運に苛まれた人生に涙…。
五月の空の下、荒崎へ。
好天に恵まれ暑いほどの陽気のなか荒崎に集合。夕陽の丘~ピクニックの丘~潮風の丘~シーサイドコース散策。
植物と昆虫がメインのイベント。
ニワゼキショウ・オオバイボタ・黄色いミヤコグサ(オレンジ色は外来種)ヘラオオバコ・スズメの帷子・カモジ草・ヤブカラシ・スイカズラ・ソレマツムシ草・アシタカマツムシ草・ヤブニッケイ・トウオオバコ・ワダン・イソギクetc・・・。
カジイチゴの実やクコの実を懐かしく摘まみました。
モンキアゲハ・生まれたてのキリギリス・アワフキムシ・ゾウムシ・ハバチ(蜂)・カラムシ・アジサイハムシ・ジャコウアゲハ・イソジョウカイモドキ・アカボシゴマダラ・ウバタマムシetc・・・。
蝶捕り名人がいらして、次々捕獲。ジャコウアゲハなど生れて始めて至近で確認できたのは感動。
ウマノスズクサ(馬の鈴草)に卵を産み付けるとのこと。
モンキアゲハやオオスジアゲハなどはカラスザンショウの木に寄って来ることなど、知らない情報満載の昨日の散策。
名人は空を見て「あ、〇〇が飛んでいます」と即答。昆虫研究会のメンバーの方が、
「あれは正確に把握して言っているんではないんです。周囲の樹木や植物、それに季節的なことを含めて予測して断定しています」と付言。
岩礁を伝って朝の集合場所(荒崎バス停)の帰還。
すごく楽しいイベントでした。
内舩先生、山本先生、自然環境共生課の方、昆虫研究会、植物会の大前先生、ありがとうございました。
*大前先生に「長いですね」と言われ恐縮…博物館のイベントには長いことお世話になっております。退け時でしょうか・・・。
〔稲村先生の授業〕
今回は前回(衣笠城址)に続いて大矢部地区の二回目。
「城って言ったって、闘いの時に逃げ込む場所のようなものなんですよ。東・北・西の三方に囲まれ、南に開けた場所を選んでやぐら(建屋)を建てたということが、川沿いの奥の高いところにお城があるという具合です。」
童子谷遺跡・満昌寺/摩崖仏から近殿神社、薬王寺(仏頂山)やぐら群(五輪塔)伝:和田義盛・1212年創建)を見学。
「五輪塔の崩れていない方は伊豆石の既製品で、形の不明な崩れかけた石は当地の岩盤からのものです」
円通寺跡ー戦後、円通寺が廃寺となった後の陸上自衛隊基地(更地)を眺めての説明。
大矢部に35年も住みながら、一度も通ったことのない道を歩いた。好天に恵まれた初春(彼岸の入り)の散策。大勢の参加者のため先生のお話がちょっと遠かったかもしれない。
稲村先生、瀬川先生、ありがとうございました。
今回は荒崎。京急三崎口駅から城ケ島行きのバスに乗ると、(ああ、ここは)と思いが過る。
自然観察や地層観察で何回もこの街並みに出会っている。忘れていた記憶がよみがえり、懐かしさと共に(ああ、ずいぶん年月が経ってしまった)と感慨に耽ってしまう。
【荒崎の地層】
荒崎のスコリア凝灰岩と泥岩の互層…スコリア凝灰岩は発砲した黒色の火山噴出物であるスコリアが水底に降り積もって固まったもの、泥岩は16分の1mm以下の粒子。
地層の上下の判定は級化層理を用いることが一般的。級化層理とは一枚の地層の中で下から上に向かって粒度が小さくなる構造(大きい方が下方に沈む)。
火山豆石…火山から噴出した火山灰が空中で固まってできるもので(中心には粗い火山灰が核として入っていることがある)荒崎ではスコリア凝灰岩の中に入っている。
タービダイト…海底に降り積もった土砂は地震などによって崩壊し、斜面を雪崩のように走り込むことがあり、このような現象を混濁流と呼びます。混濁流は堆積物をより深い水域に運びますが、斜面の勾配が小さくなったところで再び堆積物を沈殿させます。こうしてできた堆積物をタービダイト(混濁流堆積物)と言います。
タービダイトには波状に乱れたコンボルート層理(地層中の水が上方へ抜けるときにできる変形構造)やお皿を積み重ねたような皿状構造が見られます。
スランプ褶曲…地層が未固結なうちに起った海底地すべりによって、地層の縞模様が乱される現象。
洗濯板のような岩盤を歩いていると、(おお、これが断層だ)と思う露わな亀裂があります。
正断層(片側のブロックがずり落ちる)・逆断層(ずり上がる)・横ずれ断層(左右どちらかに移動する)
注入構造…泥岩のブロックがスコリア凝灰岩の中に取り込まれている構造。地層がまだ固まっていないときに、地震などによって地層が液状化し、我たち層の隙間に入り込んだものと考えられている)
凝灰岩層…に特徴のある地層で地層の目印としたり、離れた場所の地層の対比に予知至りで切る地層を鍵層と呼びます。荒崎にはおよそ470万年前に噴出したゴマシオ状のSo凝灰岩が見られます。
三崎層(付加体)…海洋プレートは海嶺で作られ、開港で大陸プレートの下に沈み込みます。このとき沈み込めなかった海洋プレートの断片や海洋プレートの上に堆積した土砂の一部が、大陸プレートにこすりつけられてできた地質体を付加体と呼び、三崎層にはこの特徴が見られます。
等々のお話、岩礁を飛び跳ねて遊んだ昔とは違い、恐る恐る滑らないように一歩一歩進んだ昨日の見学会でした。
記した文は、ほぼ柴田先生の案内資料からの引用です。
柴田先生、三浦半島活断層調査会の皆様、ありがとうございました。
博物館・三浦半島活断層調査会の先生方による案内で、西海岸は立石~久留和海岸~子産石バス停までの解説。
立石の凝灰岩(降り積もった火山灰の凝固)。
「割ったばかりの内部は濃い緑色をしていますが時間が経つと酸化(風化)され褐色になります。立石公園付近では凝灰岩が三浦群逗子層の泥岩と不整合で接する様相を見ることが出来ます。
X線回析分析を行うと一次鉱物として斜長石と石英、単斜輝石、変質してできた二次鉱物としてスクメタイトと方彿石などの沸石類が含まれていることがわかります。スクメタイトは火山ガラスが変質してできた鉱物です。
年代に関してのデータは得られていませんが小矢部の矢部層からはナノ化石が見つかっており、類似のものとして野比海岸や千葉の荒島からは1300~1400万年前の石灰質ナノ化石が見つかっています。立石の岩石も同じ年代という可能性があります」
「秋谷の葉山層群では凝灰岩砂岩の地層が見られます久留和漁港北の井戸石と呼ばれる岩場からは約1,800万年前を示す放散虫化石が見つかっています。」
放散虫化石については調査会の鈴木先生から写真と解説があり、二千数百万年前から1700万年前のものであるとのこと。
「子産石については地元では安産のお守りとされていることや、直径一メートルの子産石なども拝観。丸い石の正体は他より硬く固まったコンクリーション(ノジュール)と呼ばれるもので、ほかにも様々な形態があることが知られています。これらは一般には地下水の化学成分が化石や砂粒などを核として地層の中に濃集して作られるとされています。」
等々の説明を受けた昨日のジオツアー、快晴の好天、雪をかぶった富士山がくっきり見えて、さすが景勝の地とされる所以。(カメラを忘れてしまい残念…)
柴田先生、鈴木先生、調査会の方々、ありがとうございました。
『横須賀ジオツアー第一回』〔柴田先生の授業〕
「三浦半島の地層や岩石の大部分は深海の底で作られプレートの働きによって変形を受け流域したものであり、500万年前以降の新生代につくっれました。
三浦半島の地質は南帯・中帯・北帯に分かれます。南帯はプレートの沈み込みによってつくられた地層である付加体、中帯(葉山帯)はもっとも古い時代の地層と岩石との集合体であり、北帯は関東平野の基礎となる地層です」
「第2回は衣笠駅周辺の地層で、枕状溶岩(5000~4000万年前)や蛇紋岩などを見学します。」
「第3回は、葉山層群は、砂岩と泥岩で出来ています。(1800万~1500万年前/石灰質コンクリーション)
ここでは、地層の中で一部分のみが固くなってできた子産石(丸い)などを見学します。」
「第4回は荒崎周辺で、スランプ構造・火炎上構造(関東地震などで比重の重い黒いスコリアが沈み込み泥岩が浮き上がってできた互層)・デュープレックス構造・斜交層理・三崎層と初声層の不整合・関東地震で隆起した波食棚などの見学をします。」
「第5回は観音崎で、三浦層群逗子層・池子層は砂岩・泥岩からできており、放散虫・微化石などから、メタンを原料に化学合成したシロウリガイなどが住んでいたことが分かります。」
「ちなみに年代などは、KA年代/カリウムやアルゴンなどを調べて図ったり、ウランと鉛の量を図って時代/年代を推測したりします。」
4回のツアー、全部行きたいけど、2回は「紙芝居講座」とブッキング。
でも2回を愉しみたい。
柴田先生ありがとうございました。
風邪ひき後の病み上がり…しかも急激な冷えに見舞われた昨日のわたし、それでも雨の降る前に催すことが出来た横須賀市長瀬の『ドント焼き』を見ることが叶い、ホッとしました。
お神酒で乾杯、着火、燃え上がる炎の凄まじさを見学しながら、お接待のお汁粉(甘酒)もいただいて参りました。(福銭も配布されたようでしたが気がつかず、残念)
消防車2台・消防隊の方も控えた浜辺での『ドント焼き』
しばらく眺めた後、先生に「自由解散ですか」と伺うと、「最後に燃えた松の木をもらって帰るらしいですよ」という。
町の役員の方に「焼けた木を頂けるとのことですが時間は大分かかりますよね」と伺うと、「別に少しづつ燃やしています」といい、残った一本を手渡してくれた。
帰りは開国橋から久里浜駅までをバスの乗り遅れた方と一緒に歩いた。30代と思われるその人は「暮れも正月もなく子供たちの施設で働いています」と言い、今朝は夜勤明けだった由。
ちなみに瀬川先生は早朝、野比で行われる『ドント焼き』をも見学するため朝4時からネットカフェで待機なさったとのこと。努力の積み重ねが大きな成果に結びつく日を期待しています!(先生は博物館のNewface)
瀬川先生・稲村先生ありがとうござました。