続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)振袖の。

2021-08-31 07:20:58 | 飯島晴子

   振袖の音はすゝみて山凍てる

 振袖はシン・シュウと読んで、新、秋。
 音はすゝみて(音進)はオン・シンと読んで、穏、進。
 山凍てるはサン・トウと読んで、三・冬。
☆新秋(秋の初め)は穏やかである。進むと、三冬《陰暦で冬季の初冬(10月)仲冬(11月)晩冬(12月)》になる。

 振袖はシン・シュウと読んで、深、皺。
 音はすゝみて(音進)はイン・シンと読んで、隠、伸。
 山凍てるはセン・トウと読んで、宣、党。
☆深い皺を隠し伸ばすと宣(のたまう)党(仲間)がいる。

 振袖はシン・シュウと読んで、浸、臭。
 音はすゝみて(音進)はイン・シンと読んで、因、審。
 山凍てるはサン・トウと読んで、散、蕩。
☆浸(水がしみ込み)臭う。
 因(原因)を審(つまびらかにする)には散(バラバラにして)蕩(すっかりなくす/払い除く)ことである。


D『フレッシュ・ウィドウ』

2021-08-31 06:57:25 | 美術ノート

   『フレッシュ・ウィドウ』
 ミニチュアの窓:青く着色された木、正方形のなめし皮8枚、木製の板台

 実物大ではないミニチュアの窓、青く塗られた窓枠。つまり実用ではない架空の窓である。
 この提示物を称して『フレッシュ・ウィドウ』と名付けている。新しい未亡人?
 なめし皮が貼られた窓は内部(事情)を覗き見できず、全くの秘密である。この怪しい隠蔽された空間にフレッシュ・ウィドウなるものがいると。

 未亡人ということは伴侶の死を迎えた、たった今伴侶(夫)の死があったということである。この小さな架空の窓、設えはマル秘、実際にあるのか、得体のはっきりしない窓、覗くことも向こうからこちらを見ることもできない実質的な作用を失った窓である。

 一つ考えられるのは、夫(男)の変身であり、この窓を通した向こうには夫(男)であることを放棄した、夫(男)を失った未亡人(女)がいるという幻想である。一人の人間の変身であれば、フレッシュの冠は不可欠である。


 写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより


『セロ弾きのゴーシュ』18。

2021-08-31 06:27:47 | 宮沢賢治

大きな白いリボンを胸につけた司会者がはひって来ました。

 大きな白いリボン・・・。
 金環食は太陽の通り道(黄道)と月の通り道(白道)の一致点で生じる現象である。大きな白いリボンを胸につけた司会者は要である。

「では楽長さん出て一寸挨拶して下さい。」(略)「さあ出て行きたまへ。」(略)「どこまでひとをばかにするんだ。よし見てゐろ。印度の虎狩をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。

「印度の虎狩」はインドラ。インドラはバラモン教、ヒンズー教の神であり、神々の王・雷霆神・天候神・軍神・英雄神である。居所は天国だから、ゴーシュの弾いた「印度の虎狩」は、雷の現象を引き起こし《天国と現世》をつないだのではないか。


『飯島晴子』(私的解釈)冬の崖。

2021-08-30 07:27:25 | 飯島晴子

   冬の崖老若の指漂へり

 冬の崖はトウ・ガイと読んで、棟、外。
 老若はロウ・ジャクと読んで、狼、着。
 指漂へりはシ・ヒョウと読んで、姿、憑。
☆棟(建物)の外に狼が着(ついて離れない)姿(様子)で憑(もたれかかっている)。

 冬の崖はトウ・ガイと読んで、套、我意。
 老若はロウ・ジャクと読んで、漏、寂。
 指漂へりはシ・ヒョウと読んで、刺、評。
☆套った我意が漏れるのは寂しい。
 刺す(さすように相手の弱点を突く)評(品定め)がある。

 冬の崖はトウ・ガイと読んで、盗、劾。
 老若はロウ・ジャクと読んで、牢、弱。
 指漂へりはシ・ヒョウと読んで、旨、表。
☆盗みの劾(罪を取り調べる)牢(罪人を閉じ込めておくところ)では、荷役(船の荷物を上げ下ろしすること)に使(働かせること)がある。
 寛政の改革…松平定信。1790年自立支援施設による人足寄場。


D『オーステルリッツの喧嘩』

2021-08-30 07:05:33 | 美術ノート

   『オーステルリッツの喧嘩』

 オーステルリッツの戦い、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がロシア・オーストリア連合軍を破った戦い(三帝会戦)、フランス軍の華々しい勝利。
 歴史に残る大戦、争いは領地の拡大・占領にある。

 ここと向こうの境界、ガラス窓一枚の守備、仕切り。それがいったい何なのか。大勢の死傷を犠牲にした闘いは歴史の闇の中。
 勝利の影の犠牲は黙して語らない。闘いは喧嘩に等しい愚行かもしれない。
 この窓の周囲はぐるりと空いている。小さな小さな仕切り窓に大きな死傷者の怒りが籠っている。


『セロ弾きのゴーシュ』17。

2021-08-30 06:17:41 | 宮沢賢治

 それから六日目の晩でした。金星音楽団の人たちは町の公会堂のホールの裏にある控室へみんなぱっと顔をほてらしてめいめい(略)首尾よく第六交響曲を仕上げたのです。ホールでは拍手の音がまだ嵐のやうに鳴って居ります。

 猫…二十日過ぎの月のひかり
 くゎくこう、狸の子、野ねずみの母子。
 つまり、四+六日目の晩。朔日の月がたつ日です。
《金環食》
 この素晴らしい金環日食を終えた晩、宇宙との体感です。田園の牧歌、第六交響曲4番は「雷。嵐」、ゴーシュ(地球の精神)が宇宙と一体になって演奏するなんてすごい着想!


『飯島晴子』(私的解釈)冬の帯。

2021-08-29 06:53:27 | 飯島晴子

   冬の帯あまたの鳥の棲み合はせ

 冬の帯はトウ・タイと読んで、塔、頽。
 あまたの鳥は(数多鳥)はスウ・タ・チョウと読んで、嵩、多、超。
 棲み合はせはセイ・ゴウと読んで、盛、轟。
☆塔が頽(崩れた)。
 嵩(かさ/大きさ・分量・体積・容積)が多くて超(ある限度を超えている/すごい)盛(勢いが強くさかん)に轟(とどろいた)。

 冬の帯はトウ・タイと読んで、套、他意。
 あまたの鳥(数多鳥)はスウ・タ・チョウと読んで、数、詫、眺。
 棲み合はせはセイ・ゴウと読んで、整、合。
☆套った他意の数(はかりごと)を詫びる。
 眺めて整えると、合(一つにあわさる)。

 冬の帯はトウ・タイと読んで、蕩、替。
 あまたの鳥(数多鳥)はスウ・タ・チョウと読んで、枢、汰、兆。
 棲み合はせはセイ・ゴウと読んで、性、合。
☆蕩(すっかりなくして)替(入れかえる)。
 枢(かなめ)を汰(選び分け)、兆しの背(本質・傾向)を合(一つにあわせる)。

 冬の帯はトウ・タイと読んで、十、対。
 あまたの鳥(数多鳥)はスウ・タ・チョウと読んで、数、多、調。
 棲み合はせはセイ・ゴウと読んで、整、合。
☆十の対数は多い。
 調べると整合(矛盾がない)する。


『飯島晴子』(私的解釈)雪晴の。

2021-08-29 06:21:45 | 飯島晴子

   雪晴の笹をくぐりて先夫かな

 雪晴はセツ・セイと読んで、節、制。
 笹をくぐりて(笹潜)はササ・センと読んで、些々、僭。
 先夫はセン・フと読んで、擅、怖。
☆節制(欲望を抑えて控えめにすること)が些々(少なく)僭(身分を越えて)擅(ほしいままにすること)は怖い。

 雪晴はセツ・セイと読んで、説、勢。
 笹をくぐりて(笹潜)はササ・センと読んで、些々、遷。
 先夫はセン・フと読んで、旋、符。
☆説(はなし)の勢(なりゆき)が些々(わずか)に遷(移り変わり)旋(元に戻る)符(記号)がある。

 雪晴はセツ・セイと読んで、洩、声。
 笹をくぐりて(笹潜)は、細、浅。
 先夫はセン・フと読んで、繊、夫。
☆洩れる声の細さ。
 浅はかで繊(弱弱しい)夫である。


『飯島晴子』(私的解釈)実南天。

2021-08-28 06:28:36 | 飯島晴子

   実南天赤子のいのちすこし減り

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、実、難、展。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、惜、疵、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、昭、厳。
☆実(中身)に難(欠点)、展(開く)と惜(残念な)疵(きず)がある。
 明らかに昭(見比べる)と厳しい。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、昵、楠、展。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、昔、子、迷。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、象、現。
☆昵(慣れ親しんだ)楠(くすの木)を展(かえりみる)。
 昔、子(子供))が迷ったとき、象(しるし)として現われた。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、実、納、店。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、夕、覗、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、照、現。
☆実(果物などの実)を納めた店を夕べに覗くと、明るく照らされ現れた。

 実南天はジツ・ナン・テンと読んで、昵、軟、甜。
 赤子のいのち(赤子命)はセキ・シ・メイと読んで、赤、子、明。
 すこし減り(少減)はショウ・ゲンと読んで、笑、現。
☆昵(なれ親しむ)軟(やわらかく)甜(あまい)赤子(赤ん坊)。
 明るい笑みが現れる。


『飯島晴子』(私的解釈)紅蕪。

2021-08-28 06:08:55 | 飯島晴子

   紅蕪仏ごころを幾重にも

 紅蕪はコウ・ブと読んで、光・武。
 仏ごころ(仏心)はブツ・シンと読んで、仏、信。
 幾重はキ・チョウと読んで、記、帳。
☆光(かがやく)武(強い)仏を信じ、記帳した。

 紅蕪はコウ・ブと読んで、荒、蕪。
 仏ごころ(仏心)はフツ・シンと読んで、払、森。
 幾重はキ・チョウと読んで、記、帳。
☆荒蕪(荒れ果て雑草が生い茂ること)を払う。
 森は貴重である。

 紅蕪はコウ・ブと読んで、考、部。
 仏ごころ(仏心)はブツ・シンと読んで、物、新。
 幾重はキ・ジュウと読んで、記、事由。
☆考(調べて)部(区分けした)物(事柄)は、新しく記(書きとどめる)事由(わけ)がある。