続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)椿山。

2021-12-31 07:06:46 | 飯島晴子

   椿山うかがふ無数の唇よ

※子供ころ椿の蜜を吸ったことがある。無数の鳥たちが椿の蜜を狙っている景。

 椿山はチン・センと読んで、賃、千。
 うかがふ(伺)はシと読んで、思。
 無数の唇はム・スウ・シンと読んで、謀、趨、請。
☆賃(報酬)は千(たくさん)と思う。
 謀(はかって)趨(おもむき)請(頼み願う)。

 椿山はチン・センと読んで、朕、扇。
 うかがふ(伺)はシと読んで、紫。
 無数の唇はブ・スウ・シンと読んで、舞、枢、心。
☆朕(わたくし)の扇は紫である。
 舞(踊る)枢(要)は心(精神)である。

 椿山はチン・サンと読んで、鴆、惨。
 うかがふ(伺)はシと読んで、死。
 無数の唇はム・スウ・シンと読んで、矛、枢、信。
☆鴆(中国に棲むという毒鳥、その羽を浸した酒を飲むと死ぬと言われる)を惨(傷ましく思う)。
 死の矛(長い柄の先に両刃をつけた武器)が枢(物事の重要なところ)なのは信(偽りがない)。


『飯島晴子』(私的解釈)川の夢。

2021-12-31 06:53:31 | 飯島晴子

   川の夢蘭を投じてをはりけり

 川の夢はセン・ムと読んで、遷、霧。
 蘭を投じてはラン・トウと読んで、覧、党。
 をはりけり(終)はシュウと読んで、衆。
☆遷(移り変わる)霧を覧(見渡している)党(仲間)の衆(人たち)。

 川の夢はセン・ムと読んで、戦、謀。
 蘭を投じてはラン・トウと読んで、乱、闘。
 をはりけり(終)はシュウと読んで、醜。
☆戦いの謀(はかりごと)では乱(世の中は治まらない)。
 闘いは醜(みにくい)。

 川の夢はセン・ムと読んで、銭、無。
 蘭を投じてはラン・トウと読んで、婪、蕩。
 をはりけり(終)はシュウと読んで、醜。
☆銭(お金)が無く婪(むさぼる)のは蕩(だらしなく)醜(みっともない)。


鈍くても、行く!

2021-12-30 07:34:38 | 日常

 ハテ、何を書こうとしたのか・・・忘れてしまう。
 もちろん人の名前も出ないし、今の電話も、何だっかという具合。
 一日中、歩けば痛いし、座れば座った切り動かない。

 年の暮れ…猛烈な勢いで片づけ、スッキリとはいかない。一昨日は窓ガラスとカーテン、昨日は不用品の整理を不十分ながら決行したようなしないような…おぼろ。
 何をしても鈍い、衰えていく機能に逆らえない。

 こんな風でとうとう年の暮れ、晦日である。昨日は目いっぱい買い物をし、今日は忘れたものを買い足しにいく。

 恥ずかしいような暮らしぶり、質素が身についているからお正月も晴れ晴れと気張るほどでもなく淡々としている。
 あと少しで七十五歳、後期高齢者である。
 生きている限りは生きねばならない。笑おうか、笑うしかないね。三浦半島は今日も晴れていてそれだけで身に余る幸福!


『飯島晴子』(私的解釈)萵苣色の。

2021-12-30 07:11:13 | 飯島晴子

   萵苣色のタイルに眠る少年団

 萵苣色はカ・キョ・ショクと読んで、化、拠、嘱。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、正、念、団。
☆化(教え導く)拠(よりどころ)は、嘱(委ねる)民(民衆)の正念(本気)を団(一つにまとめること)である。

 萵苣色はカ・キョ・シキと読んで、過、許、式。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、将、念、談。
☆過(あやまち)を許す式(やり方)である。
 民(民事)は将(これからは)念(気をつけるように)と談(話す/説得する)。

 萵苣色はカ・キョ・ショクと読んで、家、居、植。
 眠る少年団はミン・ショウ・ネン・ダンと読んで、民、招、念、弾。
☆家居(やもめ暮らし)である。
 植民(移住)の招きに念(思い)を弾ませる。


『飯島晴子』(私的解釈)二月の神父。

2021-12-29 06:28:16 | 飯島晴子

   二月の神父鯉はなゝめになゝめに流れ

 二月の神父鯉はジ・ツキ・シン・フ・リと読んで、路、突、侵、夫、蘺。
 なゝめになゝめ流れ(斜斜流)はシャ・シャ・リュウと読んで、舎、遮、留。
☆路(みち)に突(つきあたり)侵(他人の領分に入り込んだ)夫。
 蘺(まがき/垣根)のある舎(家)で遮(さえぎられ)留まった。

 二月の神父鯉はジ・ガツ・シン・フ・リと読んで、児、合、真、浮、履。
 なゝめになゝめに流れ(斜斜流)はシャ・シャ・リュウと読んで、捨、社、隆。
☆児(子供)と合(いっしょになり)真(本当)に浮かれて履(はきもの)を捨て、社((土地の祭)を隆(盛り上げた)。

 二月の神父鯉はジ・ガツ・シン・フ・リと読んで、字、合、進、譜、理。
 なゝめになゝめに流れ(斜斜流)はシャ・シャ・ルと読んで、視野、写、縷。
☆字を合わせて進むと、譜(物事を系統的に書き記したもの)の理(筋道)の視野が写(うつしだされ)、縷(細く長く続いていく)。

 二月の神父鯉はジ・ツキ・シン・プ・リと読んで、示、付き、神、父、理。
 なゝめになゝめに流れ(斜斜流)はシャ・シャ・リュウと読んで、舎、捨、流。
☆示(教え示すこと)に付き(従う)神父の理(物事の筋道/根本原理)。
 舎(家)を捨て流(一か所に留まらず、教えを広めている)。


『飯島晴子』(私的解釈)冬の槙。

2021-12-28 07:27:24 | 飯島晴子

   冬の槙あけくれに人にほいけり

 冬の槙はトウ・シンと読んで、盗、心。
 あけくれ(明暮)はメイ・ボと読んで、明、模。
 人にほいけり(人匂)はジン・ニオと読んで、尽、臭。
☆盗心、明らかに模(似せて作っている)。
 尽(ことごとく)臭う。

 冬の槙はトウ・シンと読んで、套、真。
 あけくれ(明暮)はメイ・ボと読んで、冥、暮。
 人にほいけり(人匂)はニン・ニオと読んで、忍、匂。
☆套(被って)真(本当のこと)は冥(よく見えないけれど)、暮らしに忍ぶ匂いがある。

 冬の槙はトウ・シンと読んで、踏、神。
 あけくれ(明暮)はメイ・ボと読んで、命、墓。
 人にほいけり(人匂)はニン・ニオと読んで、任、仁王。
☆踏(ふまえているのは)神の命(言いつけ)で墓(死者を葬るところ)を任せられた仁王である。


M『自由の入口で』

2021-12-28 06:38:57 | 美術ノート

   『自由の入口で』

 自由の入口ということは自由でない領域いうことだろうか。
 床・天井・壁、ドア(出入り口)がない行き止まりの空間である。

 しかし、左半分のパネルを見ると、突き抜ける青空、森の茂みがある。けれど、それらは張り板や裸体の下にあり、板(マグリットのとっては死を暗示するもの)や裸体(生)が自然の上に鎮座している。
 さらに、右半分のパネルにはビル(集合住宅)の窓が床から突き出しているし(埋まっている)、切り紙細工(喜怒哀楽を切り取った魂の連鎖)がある。この閉塞の上に馬の鈴(伝説、うわさetc)と情念のような燃え上がる面がある。

 これらはランダムに設置された人間の条件ではないか。

 これらの手前には大砲(全てをぶち壊すもの)が設置されている。この大砲の発射が人間を拘束する律を破壊する威力を持つ・・・否、戦力による人間の条件の破壊は虚しい。

『自由の入口で』
 人間の条件の向こうには自由の解放があるかもしれない。大砲で打ち抜けば自由が見えるか? 武力をもってする破壊の向こうには自由は無い。
《戦争の破壊力》によって得る幸福(自由)は幻想である。自由は人間の条件たる律によって守られており、この危うい関係こそが『自由の入口』である。

 写真は『マグリット』展・図録より


賢治『春と修羅』2.

2021-12-28 06:15:29 | 宮沢賢治

(正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
 いかりのにがさまた青さ

 正午はショウ・ゴと読んで、章、語。
 管楽はカン・ガクと読んで、換、学。
 琥珀はコ・ハクと読んで、個、魄。
 青さはショウと読んで照。

☆章(文章)は語(言葉)を換(入れ替えて)学(研究する)。
 個(一人ひとり)の魄(たましい)は照(あまねく光が当たる=平等)である。


『飯島晴子』(私的解釈)寒ン河原。

2021-12-27 07:06:26 | 飯島晴子

   寒ン河原その道づれは童女がよし

 寒ン河原はカン・カ・ゲンと読んで、換、化、言。
 道づれ(道連)はドウ・レンと読んで、導、連。
 童女がよし(童女良)はドウ・ジョ・リョウと読んで、動、序、諒。
☆換(入れ替えて)化(形、性質を変えて別のものになる)言(ことば)を導き、連(並べてつなげると)動(心に感じる)序(並び方)が諒(はっきり分かる。

 寒ン河原はカン・カ・ゲンと読んで、艱、禍、限。
 道づれ(道連)はドウ・レンと読んで、働、連。
 童女がよし(童女良)はドウ・ジョ・リョウと読んで、如何、助、良。
☆艱(悩み苦しむ)禍(不幸・災難)に限(区切りをつけ)働く連(仲間)を如何(どう)助けたら良いのか。

 寒ン河原はカン・ガ・ゲンと読んで、完、我、願。
 道づれ(道連)はトウ・レンと読んで、套、連。
 童女がよし(童女良)はドウ・ジョ・リョウと読んで、動、叙、了。
☆完(やりとげること)が我(わたくし)の願いである。
 套(蔽って)連(引き続き)動(心に感じること)を叙(思うことを述べて)了(終わる)。


M『旅人』

2021-12-27 06:38:20 | 美術ノート

   『旅人』

 水平線がかすかに見える、その中空に球体が浮いている。
 椅子、トルソ、鏡、ライオン、樽、管楽器、ミシン、植物・・・etc。

 生きるのに必要な物、物理的にも精神的にも必要欠くべからざるものの集合である。もちろん球体ゆえに反対側にも匹敵するものがあるに違いない。
 これらが宙に浮いている、つまり重力を持たず自由に浮遊し水平線上、上空から地上を俯瞰しているということである。

 地上の律から解放されることへの憧憬、旅人は常に脱出を望むものかもしれない。希望の景観、精神の自由に地上の法(律)は通用しない。

 写真は『マグリット』展・図録より