続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『自由の入口で』

2016-12-31 06:52:53 | 美術ノート

 『自由の入口で』

 自由とは他からの強制・束縛・支配を受けないで、思いのまま、心のままに行動することである。
 この絵の空間は8枚のパネルで壁が被われており、入口の開口部が見当たらない。

 左から、林(樹木)・裸体・板・鈴・炎・切り抜き・集合住宅の窓・青空と雲・・・である。
 林は迷路、迷い(幻惑)。
 裸体は、性への執着。
 板は、死の暗喩。
 鈴は、言葉・噂・命令・伝言etc。
 切り抜きは、刻まれた精神。
 閉じた窓は、閉塞・沈黙。
 青空と雲は、変化(不可逆の時間)。

 それらは生きる糧であり、また生きることを阻む憂鬱である。この混迷・混沌の中に生きている。
 本当の自由があるならば、それは現今の状況を、大砲をもって爆撃するしかないのではないか。

「自由の入口で」わたくしは生きているが、自由の扉が開かれているわけではない。
 解放を願う暴挙を心に抱き、常に自由の入口の前で大志(大砲)をもって構えている。

 マグリットの願う自由とは、絶対に行き来不可の(母のいる)冥府への道ではないかと推測する。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『注文の多い料理店』2。

2016-12-31 06:42:56 | 宮沢賢治

「ぜんたい、こゝらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構はないkら、早くタンタアーンと、やぅて見たいもんだなあ。」


☆算(見当をつけ)皆(すべて)を諜(さぐる)。
 重ねて逸(隠し)畢(おえる)挙(すべて)の講(はなし)は、双(二つ)現れる。


『城』2519。

2016-12-31 06:34:00 | カフカ覚書

村でも声望のある一家が突然村八分にされてしまうと、だれでも損害をこうむるものです。村の人たちは、わたしどもと手を切ったとき、ただ自分の義務をはたしているにすぎないとおもったのです。わたしたちだって、もしその立場に置かれたら、おなじように考えたことでしょう。


☆来世の先祖を見ると、一族は排除され、不利益をこうむっています。わたしたちとの関係を絶ったのは単に義務だったのです。もしその場に置かれたら違うようにはならなかったでしょう。


夜更けの立ち話。

2016-12-29 07:38:12 | 日常

 ゴミを外のゴミ箱に入れようと外に出た、星空である。

 黒い人影が近づいてきた、Xさんの息子さんの帰宅・・・。お母さんが集中治療室にいるという話は少し前に聞いている。
「お母さんの容態は?」と聞くと、
「2月20日が誕生日ですが、それまでは持たないと宣告されています。肝臓は二つあるそうですが二つともがもうすでに・・・管で胆汁を外に出している状態です」と言った。
「明日は仕事を休んで、寿司をもって見舞いに行きます。でも食べられないでしょう…」

 言葉が出ない。Xさんとは同世代・・・。

「母が亡くなったら、この家を売り、借金を返した後は僕も消えます」という。
 返す言葉がないほどの衝撃。
「ぼくも51才になりましたが、この先結婚をする気もないし、ただ消えるだけです。こんな世の中で生きていてもつまりません。一酸化中毒か何かで簡単に死ねたらいいんですけどね」という。
「あなた、若いんだから・・・」
「いえ、食べることもままなりません」
「・・・」

 辛すぎて、寒すぎて「じゃぁ」と別れた後、足がすくんで一歩が出ないほどの膠着状態。

 そんなこと言わないで、頑張って! 
 言葉を失った夜の会話・・・それでも頑張るしかありません!!


マグリット『旅人』

2016-12-29 07:13:04 | 美術ノート

 『旅人』

 静かな海/水平線、宙に浮遊する球体である。

 腰の位置の低い椅子は権威(地位)の象徴ではなく、単にくつろぎの椅子であることの強調かもしれない。
 女体のトルソーは、肉欲はなく・・・ということか。(女/妻とは一心同体である)
 ライオンはどこまでも強い志、挫けずめげない百獣の王たる尊厳としての誇りであり、一人で闘うという表明にも思われる。
 トランペットは、『主張』。
 樽は、飲食。
 袋は、生活を支える金銭。
 ミシンは妻の道具、少し見えているイーゼルは自身の道具。
 虚空(未知)を映す鏡。
 自然の緑、新聞の文字(活字)・・・など。

 世間とは隔絶されているかもしれないが、これがわたしの浮世離れした生活の全てであり、常に人知れず精神の旅を続ける全景である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『注文の多い料理店』1。

2016-12-29 06:52:04 | 宮沢賢治

 注文の多い料理店

 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで白熊のやうな犬をつれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさkさしたとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。


☆宙(大空・空間)を問う。他に、霊(死者に魂)の裏(反対側)をも展(くりひろげる)。

 普く図りごとである。
 惹きつける真(まこと)の詞(言葉)を並べる他意を徹(貫き)、法(神仏の教え)を吐く。
 幽(死者の世界)の他意は普く、必ず太陽に応えるものである。
 朴(すなお)に、要(かなめ)を運(めぐらしている)。


片付け。

2016-12-28 07:40:30 | 日常

 片付けの極意に、「例えば靴箱の下敷きとして新聞紙など使用しないことですね」というアドバイスを聞き、早速違うもの、すこしオシャレな紙ないしはビニールシートに変えてみた。

 けれど、昨日のシンク下の収納場所の清掃では強いた新聞紙の日付で、前回の清掃日が判明することが分かった。
 1916年5月・・・一年半ものブランク!!

 月日はめくるめく過ぎて行くことを実感。Ah・・・。

 通常使わないものは処分。すり鉢などは(絶対使わないよね)でも、捨てかねて、やっぱり収納。

 迷いながらため息をつきながら、死後のことを念頭に片付けている。
(あとどれだけ生きるの?)神様に聞いてみたい。


 今朝チャイムが鳴ったので出てみると、近所の96才になるKさん、
「息子が何でも片付けて棄ててしまうから、孫のもんなんか勿体ないのでお宅で預かったもらいたい」という。
 見ると大きなビニール袋にいっぱい…(何が入っているのかしら)

 それにしてもこれを両手で抱えて持ってきたKさん、すごいわ!!96才って、そんなに元気なの?
(あとどれだけ生きるの?)なんて言っていた自分が恥ずかしい。


マグリット『終わりなき認識』

2016-12-28 07:06:02 | 美術ノート

 『終わりなき認識』

 シンプルな室内から眺め渡した景には、険しく高く不毛のように見える山々が続き、その上に浮かぶ球体の上に一人の男が立っている。

 《わたくし》は、《宙に浮かぶ球体の上の男》と対峙している。男はわたくしであり、わたくしはあの男でもある。
 光は球体に当たっているが、男は陰のなかに在る。男は遥か向こうを見渡しているが、自身の立つ位置の危うさには気づいていないようである。
 宙に浮いているという存在は、むしろ不在に近い感覚で、現場確認は困難な状況と言えるかもしれない。自身の存在の根拠の不明・・・。
 
 認識とは主観である。見聞きした状況を、直観・感性・理性・知性などで判断した意味づけを認識と呼ぶのではないか。いわば情報の収集が認識を導くのである。

 この絵における男の立ち位置の不安を男は知らない。にもかかわらず男は見る(情報の収集)のポーズをしている。転倒し奈落の底に落ちるやもしれないが、その状況を知らなければ一抹の不安も無用である。

 男は世界を認識しようと努めているのかもしれないが、男の存在自体が危うい。この不条理を乗り越えられる認識というものはあるだろうか。

『終わりなき認識』は、認識に完結がないことの証明である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)