続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『真理の探求』②

2019-03-29 07:04:32 | 美術ノート

 この室内は微妙な位置にある、水面が石積み二つの高さにすれすれなのではないか。(それともずっと下方にあるのか)とすれば魚は水面下(地下)に立っていることになるが…。
 しかも水平線を人の目の高さだとすると、魚は巨大になる。

 基準は水平線にあると確信するが、そもそも水平に見えるのは地球が丸いからであって平らなわけではない。
 石積みのブロックの大きさも通常の大きさを念頭に入れているに過ぎない。
 魚が質的変換をし、しかも直立しているという驚異・・・魚の形態をしたオブジェ、つまり魚ではないという応えに辿りつけば納得できる。

 経験における情報の蓄積が全てを決定するが、視覚には盲点がある。感覚器官は必ずしも真理を看破できない。
 水平線と尾ひれで立つ魚、真実と虚偽の混沌。不気味・不条理・・・。

 マグリットが差し出して見せたミッション、異議への告発、真理の扉は開かれている。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』79

2019-03-29 06:54:54 | 宮沢賢治

 間もなく地面はぐらぐらとゆられ、そこらはばしやばしやくらくなり、象はやしきをとりまいた。グララアガア、その怖ろしいさわぎの中から
「今助けるから安心しろよ。」やさしい声もきこえてくる。


☆換(入れ替える)字は綿(細く長く続く)。
 照(あまねく光が当たる=平等)の教(神仏のおしえ)を注(書き記し)混(一緒に混ぜて)叙(述べている)。
 案(かんがえ)は真(まこと)の照(あまねく光が当たる=平等)にある。 


『城』3155。

2019-03-29 06:32:42 | カフカ覚書

しかし、ビュルゲルのほうは、自分の考えをたどることに夢中になっていて、これでKをすこし混乱させることができたわいと言わんばかりに、にんまりと笑った。が、彼には、すぐまたKを正道に連れもどす準備ができていた。


☆しかし、ビュルゲルは自分の考えに完全に集中していたので、報復というKの当惑を減少させることができた。しかし、彼はすぐにまた正論に戻す覚悟をしていた。


🈞マグリット『真理の探求』

2019-03-28 07:03:22 | 美術ノート

   『真理の探求』

 海中ではなく室内(陸)にいて、しかも直立している魚、さらには硬質(金属)に質的変換されている。魚の特質をことごとく外しているが、どこから見ても魚としか見えない。
 要するに真理(在るべき姿/道理)である条件の否定である。

 海には水平線、室内には遠近法、光と影・・・ただ違っているのは魚の直立の姿。
 魚類の生態の正しいデータには属さない景色を呈している。

 真理はあらかじめ与えられている。後からそれを覆そうとしても断じて受容しかねるものである。だから、真理は虚偽の探求から見出されるといっても過言ではない。
(もしかしたら)の曖昧さはない。

 そうだろうか・・・遺伝子組み換えの新種出現はすでに実験済みであり、脅威となっている。AIの進歩、有り得ない景色が厳然と眼の前に差し出される今日の驚異。

《絶対に有り得ない》は地球に於いて水平線の真理(物理的論理)以外の変移は《もしかしたらあり得る》として可能かもしれない。否、宇宙でさえ誕生と消滅を繰り返しているのである。

『真理の探求』とは否定の後の肯定にまで領域を広げるものかもしれない。
 この画(魚)を否定する学習されたデータ(概念)、その突破口こそ「真理の探求」の入口ではないか。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』78

2019-03-28 06:45:28 | 宮沢賢治

 オツベルはいよいよやつきとなつて、そこらあたりをかけまはる。オツベルの犬も気が立つて、火のつくやうに吠えながら、やしきの中をはせまはる。


☆兼ねた記の律は化(教え導くこと)であり、拝(神仏などをおがむこと)を注(書き記している)。


『城』3154。

2019-03-28 06:37:14 | カフカ覚書

〈こいつは、どうしたわけだろう。なぜこんなことを話すのだろう〉と、自問しながら、垂れさがった瞼の下からビュルゲルを見つめたが、自分とむずかしい問題を論じている役人ではなく、自分の眠りを妨げ、それ以外の存在理由は見つからないなにものとしか映らなかった。


☆どういうわけだ、この死は何故なんだ?と彼はたずねた。下がった瞼の下からビュルゲルを観察したが、難しい質問を話し合っている役人ではなく、眠り(死)を妨げている以外の意味を見出すことができなかった。


🈞マグリット『神々の怒り』②

2019-03-27 06:52:39 | 美術ノート

 車は走っているだろうか、走っていないかもしれない。この場合、馬が車の上を疾駆しているということが重要である。なぜなら、そのこと自体あり得ない現象だからである。
 確かに人は進歩し、馬の疾駆を追い越せる利器を得る時代になった。車の方が早さも持続力においても馬より優位にあるし、頼る人力も不要である。
 その馬が騎手の鞭一つで車の上に浮上し、乗っているのか跳び越そうとしているのかは不明であるが、車の上(優位)にいるという図である。

 車の優位は判然としているが、馬がその高さを障害物(車)をものともせず飛んでいることが問題なのである。あり得ない・・・。(義経の八艘飛びや馬で崖を駆け下りたなどは話の誇張である)
 わたし達はあらゆる空想を巡らせ夢想する。ごく自然であり、物語は奇想に満ちている。

 しかし、わたし(マグリット)は考える。
 神への畏怖はどこへ行ったろう。
 不条理を条理とするのは、人智を超えてあるべき神の尊厳への冒涜ではないか。
 神聖なはずの神々もアーテストたちの奔放な言動に眉を潜めてはいまいか、否、怒っているに違いない。(マグリットの苦笑いである)


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』77

2019-03-27 06:41:09 | 宮沢賢治

ところがどうして、百姓どもは気が気ぢやない。こんな主人に巻き添ひなんぞ食ひたくないから、みんなタオルはんけちや、よごれたやうな白いやうなものを、ぐるぐる腕に巻きつける。降参をするしるしなのだ。


☆飛躍した章(文章)は祈(神仏にいのる)記であり、趣(狙い)の図りごとを勘(考えること)である。
 転(ひっくり返る)自記を迫(追い詰める)。
 一つを貫く講(話)を散(バラバラにする/自由気ままにする)。


『城』3153。

2019-03-27 06:32:16 | カフカ覚書

こういう事情ですから、秘書たちの不平も、しごく当然だといえないでしょうか」
 Kは、さっきからすこしうとうと眠りかけていたのだが、いままた目をさまされてしまった。


☆こういう状況ですから、秘書たちの不平も全く権利がないものでしょうか」と、Kは思ったが、先祖の氏族は少しの間しか眠られず、再び目を覚ましていた。


🈞マグリット『神々の怒り』

2019-03-26 06:53:38 | 美術ノート

   『神々の怒り』

 文明の利器である車のうえに疾駆の騎手がいるという有り得ない光景の展開。
 この光景に『神々の怒り』が表明されているという。

 神とは人智を超えた存在であり、威力を持つものであるとされている。
 走る車も馬もそれ自体は問題ないが、馬が走る車の上を走るということは非常に違和感がある。

 馬が空を飛ぶというのは神の領域である。

 重力(物の道理)を無視した現実などというものは在ってはならず、神の領域(神秘)を犯す反旗である。
 不条理、条理を破るものは神の尊厳に著しく歯向かうものであり、許されざる行為であり、即ちこれは『神々の怒り』に匹敵する神々への冒涜(反逆)である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)